中性洗剤有毒説

【中性洗剤有毒説】昭和36年(1961年)

 中性洗剤は水に溶けると中性を示す合成洗剤で、それまでの石けんに比べて洗浄力が強いことから売り上げを伸ばしていた。洗剤業界は「無味無臭で毒性なし」「放射能も洗い流せる」とのキャッチ・フレーズを使い、中性洗剤は洗濯用に、次いで台所用に商品化された。また食器だけでなく、野菜についた寄生卵の洗浄にも効果があると宣伝された。

 ところが昭和36年頃から、中性洗剤有毒説がささやかれるようになる。東京医科歯科大学・柳沢文徳教授が「中性洗剤を使い続けると、肝臓や皮膚が冒される」と警告したのだった。

 柳沢教授の警告が社会的反響を引き起こし、もし有毒説が正しければ、月産1万トンの洗剤業界にとって死活問題になった。この警告は国会でも問題になり、厚生省が調査に乗り出すことになった。厚生省は通常の使用法では無害としたが、中性洗剤有毒説はさまざまな波紋を引き起こした。

 西岡武夫・文部省政務次官は、「中性洗剤のシャボン玉が体内に入った場合に有害」と教育委員会に通達を出した。また東京都教育庁は学校給食では野菜、果物は水洗いだけで、中性洗剤は使わないように指示を出した。中性洗剤と、がん、奇形、肝障害との関連性を示す発表が相次ぎ、当時の水俣病も中性洗剤説が言われたほどである。

 この論争は10年以上にわたり繰り返されたが、中性洗剤有毒説は次第に否定されるようになった。この問題を検討していた厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会は中性洗剤有毒説を否定、三木武夫首相が国会で中性洗剤に毒性のないことを述べて決着がついた。