ベンゾール中毒

【ベンゾール中毒】昭和34年(1959年)

 昭和34年9月6日、東京・葛飾区の主婦・笹川峯子さん(38)がベンゾール中毒により浅草寺病院で死亡した。ベンゾールの蒸気には有毒性物質が含まれ、死亡した主婦は内職で20年間ベンゾールを用い、再生不良性貧血を起こした。当時は国民皆保険制度が発足していない時代で、医療費は全額自己負担であった。内職者の笹川さんは3月に三楽病院で再生不良性貧血の診断を受けたが、医療費が払えずに退院していた。

 ベンゾールは石油から作られる有機溶剤で、ビニール製のサンダルを作る際に、のりの原料として使われていた。ビニール製品の接着作業が零細企業や内職者の間で盛んに行われるにつれ、特殊ゴムのりに含まれるベンゾール中毒が表面化してきた。ベンゾール中毒は以前から注目され、それまでベンゾール中毒で7人が死亡していたのである。

 労働基準法によるとベンゾールの危険度は高く、取り扱う者の25%に異常をきたすとされ、婦人や年少者のベンゾール使用は禁止されていた。しかし生活が苦しい内職者は、労働基準法の枠外で多用していた。

 今回の事件で、ベンゾール禍は大きく報道され、そのためベンゾールのりは製造が禁止になった。ベンゾール中毒は最も危険な職業病で、この事件は内職者の厳しい実態を表していた。