バナナコレラ騒動

【バナナコレラ騒動】昭和36年(1961年)

 バナナは、明治36年頃から日本領であった台湾から輸入されていた。しかし台湾ではバナナよりもコメの生産を優先させる政策がとられ、日本への輸入はわずかばかりであった。昭和25年に日本・台湾間で通商協定が結ばれ、バナナは再び日本に輸入されるようになった。しかしサラリーマンの平均月収が約1万円の時代に、バナナは卸値1キロが約1000円で、超高級品となっていた。

 その後、バナナは急速に値段を下げたが、昭和36年から37年にかけて台湾の雲南、高雄でコレラが発生。台湾から横浜港に入港した「イサルコ号」の船員からコレラ菌が検出され、神戸港で陸揚げされたバナナ1億6000万円分が自衛隊の火炎放射器によって焼却処分にされた。また台湾バナナからコレラが感染するとうわさが広がり、台湾バナナは輸入禁止となった。ところが翌38年に台湾バナナは解禁となり、また南太平洋のバナナも輸入され、次第に輸入量を増やしていった。現在、日本のバナナの輸入先はフィリピンが70.6%、エクアドルが20.3%、台湾が6.9%となっている。バナナ輸入量は増加傾向にあり、平成12年のバナナ輸入量は107.9万トンに達している。

 日本産バナナは、鹿児島と沖縄両県を合わせて約340トンである。また最近では遺伝子工学が農作物に応用され、コレラワクチンとなる遺伝子を組み込んだ作物がすでに栽培されている。コレラ予防バナナ、コレラ予防ジャガイモなどが作られ、これも科学の進歩である。