ニセ死亡診断書事件

【ニセ死亡診断書事件】昭和39年(1964年)

 死亡診断書の虚偽作成事件を捜査していた警視庁捜査二課は、昭和39年2月24日、千葉大医学部第二外科・中山恒明教授を虚偽私文書作成違反容疑で警視庁に任意出頭を求め事情聴取を行った。中山教授は付属病院で死亡した中国人の死亡診断書の死亡時間を18時間遅らせた罪に問われたのだった。

 この事件は、千葉大医学部付属病院に入院していた東京都杉並区の中国人・林葆郷さん(45)が食道がんで死亡。林さんと内縁関係にあった米子さんが千葉市役所に火葬許可書の申請書を提出したが、火葬許可書と死亡診断書に書かれた死亡時間が食い違っていたのである。米子さんが火葬を申請した時には、林さんはまだ生きているという奇妙な死亡診断書だった。

 林さんが死亡した日の午後、米子さんは林さんとの婚姻届と子供の認知届を杉並区役所に提出した。つまり米子さんは林さんが死亡してから、死亡診断書に記載された18時間の間に正式な妻となっていた。警視庁は林さんの5億円の遺産相続に関係するとして捜査を始めた。

 死亡診断書を書いた柳沢医師は虚偽の経過を全く知らず、中山教授が家族から頼まれて当直の柳沢医師に書かせたものだった。中山教授は取り調べに「死亡診断書を虚偽作成したのはすべて自分の責任」と事実を認め、「家族の事情を考慮した善意によるもの」と説明した。

 米子さんが後日、中山教授に50万円を渡していたことが明らかになったが、これについては偽装の謝礼ではなくがん研究のための寄付金とされ、贈収賄は成立しないことで一件落着となった。

 中山恒明教授は食道がん、胃がんの名医として世界的に知られていて、また日本で初めて肝臓移植を行ったことでも知られている。食道外科の世界的権威で、国際外科学会会長でもあった。昭和40年、中山教授は東京女子医大に赴任し、消化器病センターを設立し、「世界の中山」として活躍、多くの弟子を育てている。平成22年7月20日に老衰で死去、94歳であった。