キセナラミン事件

キセナラミン事件 昭和38年(1963年)

 名古屋市に本社を置く興和が、風邪の新薬・キセナラミンを社員に内服させ、その副作用で17人が入院、1人が死亡していたことが発覚した。人体実験ともいえるこの事件は、女性社員の内部告発で明らかになった。

 昭和40年3月24日、興和の社員だった薬剤師の中村晴子さん(24)は、興和が自社の社員に、新薬の人体実験をしたとして東京法務局・人権擁護部に内部告発を行った。共立薬科大学を卒業し入社2年目の中村さんは、同社の東京薬品部の企画課に勤務、そこで今回の新薬の人体実験を知ったのである。

 中村晴子さんの告発により、昭和38年に興和が187人の社員に、新薬キセナラミンを強制的に内服させ、副作用により多数の被害者を出していたことが明らかになった。興和は新薬の効果を調べるため、ひそかに社内で臨床試験を行っていたのだった。

 この事件は中村晴子さんの告発が新聞に載り表ざたになったが、企業内で行われる臨床試験はよほどのことがない限り外部に漏れることはない。今回、もしこれほどの副作用がなかったら告発は免れていたであろう。ここで問題になるのは、副作用とは関係なしに自社社員を使って新薬の臨床試験を行っていたことである。

 新薬の開発に自社社員を用いることは当時の製薬会社では日常的に行われていたが、社員を用いた臨床試験では、新薬の効果が証明されたとしてもその効果は信用できなかった。また薬剤による副作用が出た場合には、副作用そのものがもみ消される可能性があった。社員にとって治験への参加は断りにくく、断れば冷遇や左遷が待っていた。社員の愛社精神を利用した非人道的行為であった。興和はキセナラミンの臨床試験で死者まで出していたのである。人体実験、人間モルモットと非難されても反論はできないであろう。

 社員の弱点を利用した会社の態度に卑劣さを感じるが、キセナラミンはイタリアの研究者・マグラッシュが昭和34年に開発した薬品である。インフルエンザ、水痘、麻疹などのウイルス性疾患に効果があるとされ、それまでに製薬会社数社がキセナラミンの開発、販売を試みたが、毒性が強いことから断念していた。しかし興和はこのキセナラミンの合成法を独自に開発し、抗ウイルス剤として開発に着手していた。興和は風邪薬であるコルゲンコーワで有名な会社だが、これまでの風邪薬は、風邪の症状を緩和させるだけで、ウイルスに直接効果のある薬剤は存在していなかった。もし興和が抗ウイルス剤を完成すれば、それこそ画期的な薬剤になるはずだった。キセナラミンの開発に興和首脳陣が色めき立ったのは当然のことであった。

 興和はこの新薬開発に意欲を示し、キセナラミンの臨床研究を東北大学内科の中村隆教授を中心とする著名なウイルス研究者に依頼した。中村教授を班長としたウイルス病化学療法研究班20人が結成され、興和から研究費を受けて臨床試験に踏み切った。

 中村教授は東北大学病院内科に入院している22人の患者にキセナラミンを投与し、1人に肝障害を認めたが、ほかには特別な副作用は認められなかったと公表している。さらに61人の患者にキセナラミンの投与し、ウイルス性疾患に有効としていた。そこでキセナラミンの安全性を確実にするため、興和は自社社員を用いてキセナラミンを投与することになった。

 昭和38年10月15日、興和は名古屋本社と東京支社薬品部に男女207人の社員を集め、キセナラミン服用の説明を行った。勅使川厚学術部長、佐々木信元課長が責任者となり207人の社員はシート14枚、124錠のキセナラミンが渡され、2週間の内服が言い渡された。臨床実験は上司により強制的に人選が行われ、参加するかどうかの選択権はなかった。事前の身体検査は行われず、医師の立ち会いはなく、投与は上司の監視下で行われた。さらにお粗末なことに、キセナラミンの内服量は1日1グラムであったが、間違って倍量の2グラムが投与された。

 社員には「キセナラミンはすでにイタリアで市販されている安全な風邪薬で、副作用はこれまで認められていない」と佐々木課長が説明した。なお胎児への副作用は調べられていないので、結婚直後の女性、妊娠予定の女性は除かれることになった。

 この臨床試験は実薬(キセナラミン)と偽薬(プラシーボ)を無作為に投与する二重盲検法と呼ばれる方法で行われた。207人の社員のうち実際に実薬のキセナラミンが投与されたのは半数の104人で残り103人には偽薬が投与された。この二重盲検法による臨床試験では、薬剤を内服した者も、また薬剤を投与した試験者も、その錠剤が実薬か偽薬か分からないようになっていた。臨床試験が終了した時点で、投与したのが実薬だったのか偽薬だったのかを調べ、薬剤の効果と副作用を調べる方法であった。二重盲検法は薬剤の効果と副作用を調べる上で最も優れた臨床試験であった。

 佐々木課長は社員に「キセナラミンには副作用はない」と断言したが、投薬数日後から頭痛、食欲不振、全身倦怠感などを訴える社員が出てきた。それでも上司の命令によって治験は中止されず、症状を訴える社員には胃腸薬などを飲ませながら治験は続行された。

 キセナラミンを内服した104人のうち76人(73%)が副作用を訴え、17人が入院、1人が死亡する事態に至った。東大伝研付属病院に入院していた東京薬品部宣伝課の内田美穂子さん(24)が服用後4カ月後に骨硬化症と急性肺炎で死亡した。この死因とキセナラミンとの関連性は不明であるが、何らかの因果関係があったのではないかとされている。

 入院した17人の社員のほとんどが肝障害をきたし、17人全員が1カ月以上、最長では1年半にわたる長期入院を余儀なくされた。社員たちは安全な風邪薬と説明され、気楽な気持ちで臨床実験に参加したのに、まさか副作用があるとは思いもしなかったことである。

 女性社員の中村晴子さんが東京法務局・人権擁護部に内部告発したのは事件から1年半後のことである。告発したのは、厚生省がこの事件に何ら対応せず、同様の事件の再発が予想されたからであった。中村さんは新薬開発の名目で行われた治験を人権侵害と訴えたが、別の反応を示す社員もいた。

 当時の製薬会社では、新薬を社員が試すことは慣例になっていた。また強制されなくても、会社との信頼関係で「新薬を内服するのは当然」とする社員が多かった。「お菓子屋が新しいお菓子を試作する際に、店員が試食するのと同じ感覚で参加した」と述べる社員もいた。

 この事件に先立ち、東北大学の中村隆教授が中心となって設立した「ウイルス病化学療法研究班」が入院患者61例に行った臨床実験では、特別な副作用は出現していない。同じキセナラミンなのに、なぜ73%の社員に副作用が出たのかは解明されていない。投与量が倍量だったことが関係しているのかもしれないが、原因解明の猶予もなくキセナラミンの開発は中止となった。

 この事件は中村晴子さんの内部告発で明るみに出たが、営利企業である製薬会社にとって社員への人権の意識は薄かった。社員にすれば治験を断ることは愛社精神を疑われ、副作用や事故が起きたとしても自社を訴えることは会社を敵に回すことになった。

 法務局はこの事件について、臨床試験前の検討が不十分であったこと、被験者が強制的であったこと、医師による管理が不十分であったことを問題にした。昭和40年5月、被害者の入院費などの治療費を会社が全額支払うことなどを明記した念書が、会社と被害者社員の間で交わされた。

 このように被害者社員の治療費については解決したが、この事件の責任の所在があやふやのままとなった。薬事法によると厚生省が薬剤に責任を持つのは「薬剤として承認され、発売された後の薬剤」についてである。承認以前の開発中の薬剤については厚生省への報告の義務はなく、法律上厚生省に責任はなかった。厚生省は会社から事件の報告を受けておらず、新聞で初めて知ったのである。

 薬剤として発売されていれば使用した医師の責任も問われるが、開発段階の薬剤の責任は明確にされていない。新薬開発における薬事行政の盲点であった。新薬を開発するためには何らかの人体実験が必要である。動物実験で安全性が確保されたとしても、人間と動物では薬剤効果が異なることが多い。人体実験が新薬開発に不可避ならば、なおのこと新薬の開発には人権を尊重することに徹することが必須となる。

 キセナラミン事件は製薬会社の利潤追求と人間軽視が根底にあった。被験者側の人権が軽視されれば、新薬開発のために人間がモルモットとなってしまう。新薬開発において最も尊重すべきは危険を伴う被験者の人権であった。会社から安全な薬剤と説明を受け、キセナラミンを内服した社員に、興和の道義的責任が強く問われる事件であった。

 興和の人体実験はこの事件によって表ざたになったが、社員を対象にした新薬の開発の実験は、他の製薬企業でも日常的に行われていた。厚生省はこの事件後に通達を出し、強制的な人体実験はできなくなったが、逆に社員の承諾書があれば社内で堂々と行われるようになった。

 この事件は被害者が多かったこと、企業が威圧的に事件を隠蔽しようとしたことから中村晴子さんが内部告発をしたのである。なお中村晴子さんは退社後、薬事関係専門の弁護士になった。