赤痢患者強盗事件

【赤痢患者強盗事件】昭和26年(1951年)

 昭和26年、日本中で赤痢が大流行し、患者数9万3039人、死亡数は1万4836人に達していた。赤痢は強力な感染症のため、患者は専門病院に隔離されていた。同年11月12日、東京都文京区の酒屋に3人組の強盗が入り、ナイフで家人を脅し、現金を奪って逃走する事件が発生した。現場には、犯人が覆面代わりに使ったオシメが残されていた。

 警察の捜査により、このオシメは現場近くの都立駒込病院で使われていたものと判明。犯人は同病院に入院している患者とされ、3人の入院患者が逮捕された。3人は赤痢で入院していたが、病院の食事だけでは空腹に耐えられず、看護婦のすきを見て窓から抜け出して犯行に及んだのである。病院に干してあったオシメを覆面に使ったことから足がついた。

 駒込病院は都立病院のなかで最も大きい病院で、伝染病科と普通科を併設していた。その駒込病院で、職員の集団赤痢感染事件があった。昭和31年8月30日、同病院で10人の看護婦が赤痢になった。その後、病院が職員、医師、看護婦、患者の便検査を行ったところ、41人の看護婦から赤痢菌が検出され、先の10人の看護婦を含め計51人が隔離された。駒込病院の看護婦の総数は91人だったので、看護婦の半数以上が隔離されることになった。同病院は他の都立病院から応援を求め、新たに雇用するなど看護婦集めに大騒ぎとなった。

 赤痢は、「赤痢菌の感染により血液を混じた下血症」を上品に言い換えた病名である。赤痢は有史以来からの疾患で、食物や水によって感染した。赤痢はわが国の代表的な法定伝染病で、赤痢菌(Shigell)の経口感染によるものである。糞便が汚染源で、飲食物、水を介して感染した。

 赤痢の致死率は高く、ときに爆発的な集団感染を起こした。戦後は環境衛生や国民の栄養が向上し、抗生剤が進歩したために急速に減少し、最近の患者発生数は全国で年間1000人程度に減っている。最近では、旅行者が東南アジア諸国で罹患するケースが増えている。

 赤痢菌は糞便培養で容易に検出され、4亜群(A群S.dysenteriae、B群S.flexneri、C群S.boydii、D群S.sonnei)に分類される。近年わが国の主な流行菌型はB群とD群で、A、C群の多くは外国由来である。2〜7日の潜伏期ののちに発熱、激しい下痢、血便、しぶり腹を呈する。最近は軽症例が多く、血便を欠くものや下痢の回数の少ないものが多い。死亡例はまれである。