船橋ヘルスセンター 

船橋ヘルスセンター 昭和30年(1955年)

 昭和30年2月、東京近郊の千葉県船橋市の埋め立て地に船橋ヘルスセンターが誕生した。誕生のきっかけは、船橋市が手がけていた埋め立て地で,

偶然にも36℃の温泉が噴きでたことによる。

 埋め立て地は資金不足から中断となったが、その代わりに温泉を利用したレジャー構想が浮上し、1漁村にすぎなかった地域に巨大な温泉娯楽施設ができることになった。船橋ヘルスセンターは、直径30メートルの大ローマ風呂、ジャングル風呂、牛乳風呂、酵素風呂など50近い大小の浴場があって、風呂から上がると10以上の大広間が果てしなく続いていた。

 500畳敷きの大広間の中央には円形のステージがあって、歌謡ショー、演歌、漫才、落語などが演じられた。美空ひばり、三波春夫、村田英雄などの有名歌手がステージで歌を披露し、舞台が空いているときには、のど自慢大会、隠し芸大会が行われた。

 子供たちには巨大なプールが人気で、ウォーター・スライダーの先駆けとなった100メートルの大滝滑りは超人気であった。さらに遊園地、ボウリング場、アイススケート、ローラースケート、ダンスホール、遊覧飛行場、ホテル、結婚式場が備わり、遊びには事欠かなかった。

 船橋ヘルスセンターは当時としては国内最大級のレジャー施設で、風呂に入り、宴会場で持参の弁当を食べ、一日中ごろごろと過ごす家族連れが多かった。当時のコーヒー1杯が50円だったが、これだけの施設で入浴料は120円と安かった。風呂に入って、飲んで、食べて、歌って、演芸を見て、ゲームをして500円もあれは1日中遊ぶことができた。大広間は持参の弁当を広げた家族連れ、ビールやお酒で盛り上がる団体客で賑わっていた。当時の総武線沿線では、「嫁と姑のけんかが少なくなった」と言われたほどであった。

 船橋ヘルスセンターの誕生から数年後に旅行ブームが始まったが、日本はまだ貧しく、当時の旅行は団体旅行が主で家族旅行は少なく、安くて便利な場所に人々が集中した。船橋は東京から電車ですぐの場所にあり、熱海や箱根よりも近くて安いことから客が集まった。観光ブームに乗り、農村や中小企業の慰安旅行などの団体バスが全国から集まってきた。駐車場には長距離バスが列をなし、農協、婦人会、町内会の団体が娯楽を求めて船橋に集まってきた。

 開業当初は、温泉旅行に出かけることの少なかった主婦や老人が多かったが、次第に子供の入館が増え、若者や家族連れが増えるようになった。開館5年目には入場者数は年間300万人、年間売り上げ10億円となり、8年目には東京ドーム11個分の広さに拡大され、10年目の入場者数は年間450万人、年間売り上げ30億円に達した。正月には成田山新勝寺への参拝の帰りに立ち寄る団体客が1日6万人もいた。

 船橋ヘルスセンターには自動車レースのサーキットまでつくられていた。当時、日本でカーレースができるのは、鈴鹿サーキットだけで東名高速道路もまだ未完成だった。サーキットがオープンしたのはマイカーブームの直前で、開催されたレースは35戦ほどであった。サーキットは2年間だけであったが、平成5年にはサーキット跡地に巨大な屋内スキー場「ザウス」がオープンした(平成14年クローズ)。

 船橋ヘルスセンターは白亜の温泉デパートとして一世を風靡(ふうび)し、現在の東京ディズニーランド同様の人気だった。多くの人たちにとって印象深いのは、テレビコマーシャルである。「船橋ヘルスセンター 船橋ヘルスセンター、長生きしたけりゃ、ちょとおいで、チョチョンのパ、チョチョンのパ」。三木鶏郎が作曲、楠トシエが歌ったこのコマーシャルソングが全国で流れ盛んに宣伝された。また当時の人気番組・ドリフターズの「8時だよ!全員集合!」の公開放送がしばしば行われ、会場では観客がドリフターズに合わせ「オーッス」と言い、「ババンバ バン バン バン」をみんなで合唱した。

 船橋ヘルスセンターの成功をきっかけに全国でヘルスセンターが開設され、ヘルスセンターの看板を掲げた業者は全国で100カ所をこえた。厚生省は「保健所を意味するヘルスセンターの言葉を使用禁止」としたが、この通達に従う業者はいなかった。厚生省は公衆浴場とヘルスセンターを区別するため、ヘルスセンターを「一般公衆浴場とは異なる、保養または休養施設を有する施設」と定義することにした。公衆浴場は都道府県ごとに料金が決められていたので、このような定義が必要だった。

 船橋ヘルスセンターは、昭和40年頃にピークを迎え、経済成長とともに客足が遠のいていった。最盛期には年間450万人に達していた入場者は、レジャーの多様化、国内旅行から海外旅行への移動などから次第に減少し、さらに温泉のくみ上げによる地盤沈下から、温泉のくみ上げが規制されたことが致命的となった。昭和52年5月5日、船橋ヘルスセンターは22年にわたる歴史に幕を閉じることになった。

 昭和58年に、千葉の浦安に東京ディズニーランドが誕生するが、東京ディズニーランドは船橋ヘルスセンターの成功を参考に建てられたとされている。現在、船橋ヘルスセンターの跡地は巨大ショッピングセンター「ららぽーと」になっている。