最強の発がん物質

最強の発がん物質 昭和35年(1960年)

 昭和35年、イギリスで10万羽の七面鳥が数カ月のうちに肝臓がんで急死した。肝臓がんがなぜ集団で起きたのか、この謎に包まれた事件は七面鳥X(エックス)事件と呼ばれた。

 その後の調査で、死んだ七面鳥は同じ工場で作られた飼料を食べていて、飼料のピーナツが原因とする論文が科学雑誌「ネイチャー」に発表された。同じころ、ケニアでもピーナツによる家禽(かきん)の大量死が発生して注目を集めた。

 その後の研究で、死因はピーナツではなく、ピーナツに寄生しているアスペルギルス・フラブス(Aspergillus flavus)というコウジカビの一種であることが分かった。さらにカビを殺菌したピーナツを七面鳥に食べさせても肝臓がんが発生することから、カビそのものではなく、カビが産生する何らかの物質によるものとされた。そして数年後にカビが産生する「アフラトキシン」が強力な発がん物質であることが判明した。このカビはそれほど珍しいカビではなく、米、麦、ライ麦、トウモロコシ、ピーナツ、大豆などで繁殖するコウジカビの一種であった。

 アフラトキシンは数種類知られているが、なかでもアフラトキシンB1は天然物質の中で、最も強力な発ガン物質として知られている。ネズミの実験では、アフラトキシンB1を15ppb(1ppb=10億分の1)混ぜるだけで100%肝臓がんを発生させることができ、地上最強の発がん物質といえた。アフラトキシンは人間が作った化学物質と誤解されがちだが、カビが生産する天然の毒である。

 アフラトキシンB1による発がんのメカニズムは、アフラトキシンB1が肝臓の酵素(チトクロームP450)によって代謝され、その代謝産物が遺伝子の構成物質とよく似ているため、DNAに代謝産物が結合し、遺伝子の正しい情報を変えて細胞をがん化させるのであった。

 アフラトキシンの人間への被害は、インド、タイ、アフリカ、北米南部などの熱帯地方で報告され、1974年のインドではトウモロコシを食べて994人が発病し160人以上が死亡している。また1982年には、ケニアで12人が死亡している。いずれもアフラトキシンに汚染されたトウモロコシを食べ、肝臓がんで死亡している。

 日本は高温多湿で、多くのカビが生息しているが、幸いなことにアフラトキシンを産生するカビは常在しない。日本人にとってコウジカビは身近なもので、みそ、しょうゆ、酒などの発酵食品にはアスペルギルス属のコウジカビが使われている。このことからアフラトキシンの毒性が発見された当時、日本は一時パニック状態になった。しかし日本のコウジカビは、アフラトキシンを産生しないことが分かりパニックは沈静化した。日本で発酵に使われているのはアフラトキシンを産生しないアスペルギルス・オリザ菌であった。

 日本はみそ、しょうゆ、酒などのカビによる発酵文明の国である。もし日本にアフラトキシンを産生するアスペルギルスが常在していたら、日本人そのものが存在していなかったであろう。日本に常在しているのがアスペルギルス・オリザ菌であったことは、幸いというほかない。

 なおアフラトキシン以外のカビ毒としては、アルカロイドによる麦角中毒、ペニシリウム属の産生するいわゆる黄変米毒による肝障害、キノコ中毒などがある。

 昭和46年から食品衛生法によりアフラトキシンを含んだ食品を違反食品とすることが決められている。これまでアフラトキシンが日本で検出されたのは、木のナッツ、ピーナツ、およびトウモロコシなどである。発見された例はすべて輸入食品で、国産品からは検出されていない。またアフラトキシンを家畜に与えるとミルク、肉、卵などに移行することから、家畜用飼料についても監視がなされている。しかし全国20カ所の港や空港の検疫所の食品衛生監視員は75人にすぎず、検査率の低さから不安をぬぐい去ることはできない。

 またアフラトキシンが生物兵器のひとつとして使用される可能性が高い。平成9年の米誌「タイム」は、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会の調査で、イラクはボツリヌス菌1万9000リットル、炭疽菌8500リットル、アフラトキシン2500リットルを保有していると報じている。この報道が正しければ、イラクは地球上のすべての人を抹殺できるほどの大量の細菌兵器を保有していたことになる。