新潟大ツツガ虫病人体実験事件

新潟大ツツガ虫病人体実験事件 昭和31年(1956年)

 昭和31年9月2日、新潟大学医学部内科・桂重鴻教授がツツガ虫病の病原菌を精神病患者に注射し、人体実験を行っていたことを読売新聞が5段抜きの見出しで大きく報道した。

 桂教授はかねてからツツガ虫病の研究を行っていたが、昭和27年から30年にかけ、内科医局員を総動員して、私立新潟精神病院に入院している149人の患者にツツガ虫病の病原菌の注射を行っていた。この人体実験で患者8人が死亡、1人が自殺していた。さらに8人の患者から注射部位の皮膚を切り取り研究材料にしていた。

 この事件が発覚したのは、新潟精神病院の賃金引き上げ闘争に端を発したストがきっかけであった。病院ストを扇動したとして労働組合の看護人3人が責任を問われ、病院を解雇されることになった。そのため看護人は地位保全の仮処分を新潟地裁に申請し、不当解雇に関する諮問が地方労働委員会で開かれた。この席上、病院側は懲戒免職にした看護人は患者の人権を無視して病院ストを行い、そのため患者が亡くなったことを懲戒免職の理由として挙げた。解雇された看護人は病院側のこの発言に反発、「新潟精神病院では、精神病の治療と称してツツガ虫病の病原菌を患者に注射している」と暴露したのだった。

 新潟精神病院は入院患者450人の新潟県では最大の精神病院であったが、職員数は128人で、法令で定められた基準人員に達していなかった。このような人手不足のなかで看護人を悩ましたのは、精神科とは関係のない新潟大学内科の医師たちであった。内科医が治療をすると、患者は高熱を出し、苦しみだした。高熱で苦しむ患者を前に、看護人が指示を仰いでも内科医たちは無視するだけであった。そのため看護人は苦しむ患者を慰めるしかなかった。

 この人体実験を知った弁護士が中心になり、調査が行われた。昭和32年3月2日、日本弁護士連合会はその調査結果を法務、文部、厚生省に提出し、基本的人権を侵した人体実験と警告した。

 新潟精神病院は、新潟大学の桂内科の依頼でツツガ虫病の病因菌を患者に注射したことを認め、精神病の治療のひとつであったと説明したが、149人のカルテには注射についての記載はなかった。またこの研究は米軍の援助金による実験であったとされている。

 桂教授は「ツツガ虫病の病因菌の注射は、精神病患者の発熱療法のためで、今さら人体実験などする必要はない」とコメントし、厚生省は「梅毒性の精神病患者にツツガ虫病の病原菌を植え、高熱によって梅毒菌を殺すという高熱療法の可能性」を述べた。しかし皮膚を切り取られた患者は、高熱療法を要する梅毒患者ではなく、統合失調症(精神分裂病)の患者だったことが後に判明した。厚生省や桂教授の説明は、多くを納得させるものではなかった。桂教授はそれ以上述べず、権威主義的な態度で事態を押し切ろうとした。

 しかし11月29日、この人体実験を追及された桂教授は読売新聞紙上で、「注射の目的はツツガ虫病の研究のためで、皮膚を切り取ったのは患者の血液を採って検査をするのと同じ行為で、医療にはある程度の犠牲が必要で、犠牲がなければ医学は進歩しない」と述べた。桂教授は人体実験を認めたが、当時のことである、何の処罰も受けなかった。

 ツツガ虫病は、かつて日本に広く分布していた風土病である。そのため、「つつがなし」という言葉が無病息災をたとえる言葉として使われていた。607年、聖徳太子が小野妹子を遣隋使として隋に送る際、「日いずる処の天子、書を日の没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや…」という国書を送っている。このことから分かるように、ツツガ虫病は日本だけでなく中国においても古くから重篤な疾患であった。

 ツツガ虫病は日本では、秋田、山形、新潟などの河川流域でよく見られ、かつては致死率50%という恐ろしい疾患であった。戦後、抗生剤の使用、河川の整備、農薬の使用などにより患者は減少し、昭和40年代には全国で患者は年間10人以下となった。しかしながら昭和50年代から増え始め、現在では年間800人近い患者が発生し、数人が死亡している。。

 ツツガ虫は体長0.3ミリ前後の微小なダニ類に属し、肉眼でどうにか見える程度の大きさである。このツツガ虫に刺されると、ツツガ虫に寄生している病原体リケッチアがヒトに浸入し、ツツガ虫病を引き起こすのである。

 ツツガ虫病はツツガ虫に刺された後、約10日前後の潜伏期を経て、全身倦怠感、食欲不振、頭痛、39〜40℃の発熱などがみられる。また皮膚にツツガ虫の刺口を認め、所属リンパ節の腫脹がみられる。重篤化した場合には、悪寒戦慄を伴った高熱の後に、意識障害を引き起こして死に至ることになる。その診断はツツガ虫に特徴的な刺し口を探すことで、刺し口は無痛性で発赤、水疱を形成し、黒色のかさぶたへと変化していく。刺されてから発症まで10日前後で、刺された部位に痒みも痛みもないことから、診断を見逃すことが多い。

 ツツガ虫病は致死率の高い疾患で、有効な治療を受けた者でも死亡率は1%、無治療の場合の死亡率は20〜30%とされている。このように診断が遅れると、生命にかかわる恐ろしい病気である。ツツガ虫病の治療上の特徴は一般的抗生剤・抗生剤β-ラクタム剤が無効なことで、安易にβ-ラクタム剤を続けると予後不良となる。このことからβ-ラクタム剤を使用しても高熱が持続し、皮疹があれば、それだけで本症を疑うべきである。治療はテトラサイクリン系抗生剤が第1選択薬となる(ミノマイシン 100mg×2/日 14日間)。投与開始一両日中に解熱し、臨床症状も劇的に好転する。テトラサイクリンを投与し、3日経っても解熱しなければ、ツツガ虫病は逆に否定的となる。

 現在では、ツツガ虫病はまれではあるが、山菜、タケノコ採り、釣り、花火大会などに行く場合は注意が必要である。その予防は、素肌をさらさないように長袖のシャツを着て、帽子、首にはタオル、靴下など着用することである。川や山歩きをした後は、風呂に入ってツツガ虫をよく洗い落とすことである。ツツガ虫は身体についてからすぐに刺すわけではない、身体の中で刺しやすい部位を探すので、風呂が有効なのである。