博士号謝礼事件

博士号謝礼事件 昭和33年(1958年)

 博士号(学位)は医学部だけでなく、文学部、工学部など大学の各学部でも、一定の研究を行い、研究論文が評価されれば授与されることになっている。大学には医学部以外に多くの学部があるが、博士号を取得している者は医学部が圧倒的に多かった。医学博士の数は、それ以外の博士の合計数よりも数倍多いのである。

 このように医学部で博士号がもてはやされるのは、博士号を持つことによって一人前の医師と見なされる風潮があったからで、博士号があれば開業したときに箔(はく)がつき、博士号がなければ病院の勤務医は出世が遅く、部長などの管理職になれないなどの制約があった。そのため医学部を卒業すると医局に入り、博士号を目指して研究するのが当たり前になっていた。

 大学で研究することは、本来は学問を究めることであるが、医学部においては紙切れ1枚にすぎない博士号を取得することが目的となった。そのため博士号を取得すると、教授を目指して大学に残る者は少なく、それまでの研究をやめて開業医や勤務医となる者が多かった。

 博士号を取るには、大学院に進学して博士号を取る過程博士と、論文を書いて博士号を取る論文博士の2つがあるが、どちらであっても担当教授が研究や論文の指導を行い、担当教授が博士号を与えることになっている。そのため学位の授与には、学問を離れた金銭がつきまとうことがあった。

 博士号を目指す者にとって、教授に便宜を図ってもらい、早く学位を取りたいと思うのは当然のことで、教授の機嫌を損なえば学位取得は困難になるのも現実であった。教授は絶対で、学問上の対立、あるいは教授の気まぐれな意地悪は珍しいことではなかった。

 そもそも研究を指導する教授と、学位を与える教授が同じであることが問題で、そのため金銭の授受について多くの疑惑を生じることになる。学問の世界といえども、金銭については医学部も世俗同様、あるいは世俗以下であった。

 昭和33年、医学博士の学位論文審査で、三重県立大学(三重大学)医学部の教授6人が警察の取り調べを受けた。論文提出者から謝礼金を受け取ったことが警察に内部告発されたのである。三重県立大医学部の今村豊医学部長をはじめとして、解剖学、産婦人科、口腔外科、公衆衛生、病理の各教授が次々に警察に出頭を命じられた。

 この事件は、取り調べを受けた医学部教授だけでなく、医学界の事情を知る多くの医師を驚かせた。それはどの医学部でも、学位審査には多少の謝礼は当たり前とされていたからで、学位の謝礼金はお中元、お歳暮と同じような社会的常識と思われていた。

 謝礼金の相場は決まっていて、もし学位をもらいながら謝礼をしなければ、それこそ非常識とされていた。警察は学位の謝礼を賄賂として取り締まったが、もしこれを犯罪とするならば、日本の博士号の肩書きを持つほとんどの医師が贈賄で、大部分の教授が収賄で捕まっても不思議ではなかった。

 事実、取り締まりを受けた今村医学部長は、「ぼくは昭和3年に母校の京大で学位を取ったが、その時、教授に当時の金で100円のお礼をした。それと同じことをぼくの弟子がしただけではないか」と公言。さらに「伝統に従ってやったことが、どうして法に触れるのかわからん」「窃盗は悪いが、人間の90%が窃盗だったら罪にはならない」「調べるならば学内の全教授、いや全国の教授を調べてくれ」と発言した。この今村医学部長の発言には、罪悪感もなければ反省もなかったが、むしろこの発言が日本の医学部の実態を示していた。

 三重県立大医学部の博士号謝礼事件の根底には学内の派閥問題が絡んでいた。同学部の教授は、昭和19年の設立当時からほとんどが京大出身者で占められ、そのため今村医学部長を中心とする京大今村学閥と、反今村学閥の権力闘争が水面下で激しく行われていた。

 衛生学教授、細菌学教授の後任問題で三重県立大出身者と今村派が対立、この内部抗争がこの謝礼事件に飛び火したのである。学内では三重県立大出身者が力を増し、三重学閥による民族独立運動のひとつとして、今村派が刺されたとうわさされた。

 三重県立大の博士号謝礼事件は、40年以上も昔の話である。では博士号の謝礼は、現在どのようになっているのだろうか。このような悪習は改善されたと思いたいが、実際にはこの悪習は、お中元、お歳暮と同じように日本ではまだ生きている。医学部教授の収入は、学位の謝礼金と結婚式の礼金が大きなウエイトを占めているのである。

 このことを示す事件が、平成13年2月に発覚している。奈良県立医科大第1内科の土肥和紘教授(58)が医局の医師派遣で便宜を図った見返りとして、医療法人理事長・平井純容疑者(52)から現金574万円を受け取った疑いで大阪地検特捜部に逮捕された。

 この事件の捜査の過程で、土肥教授は医局員から学位論文の謝礼として1人当たり現金50万円を受け取っていたことが分かった。教授就任から8年間で20人以上の医局員から計1000万円以上の謝礼を集めていた。このように現代版博士号謝礼事件が明らかになった。

 学位論文の審査は通常3人の教授によって行われる。申請者の教授が「主査」で、別の教授2人が「副査」を務める。教授3人で論文の内容を審査するが、審査によって落ちることはない。主査が認めた研究に、副査が文句をいえないからである。学位審査はこのように形式だけで、担当教授が学位の申請を許可した時点で学位は得られることなる。

 奈良県立医科大第1内科の医局員の話では、博士号を取得すると土肥教授に50万円、副査の2人に各10万円を渡したとされている。教授への現金提供は、慣例として医局の先輩が指導し、ほとんどの医局員が謝礼を出していた。

 謝礼は服の生地や商品券とともに渡すのが礼儀であった。副査を務めた教授が受け取りを拒否する場合もあるが、それはまれであった。もちろん奈良県立医科大ばかりではなく、他の医学部でも同様に行われていた。平成14年4月30日、大阪地裁・傳田喜久裁判長は、医師派遣をめぐる汚職事件で収賄罪に問われた土肥教授に懲役3年、執行猶予5年、追徴金約2200万円の判決を下した。

 平成21年には、東京医科大で医学博士審査にかかわった教授33人が大学院生47人から現金を受け取っていたことがわかっている。

 このように博士号取得にかかわる謝礼は、医学部の歴史とともに最近まで存在していた。神聖な学問の世界にはふさわしくない行為であるが、医学部そのものが神聖な学問の世界とは限らないのである。