先天性風疹症候群

先天性風疹症候群 昭和39年(1964年)

 昭和39年は、東京オリンピックで日本中が沸いた年である。この39年の12月から翌40年末までの1年間に、沖縄で生まれた赤ちゃんに白内障などの眼の異常、心臓奇形、難聴などのさまざまな先天異常が見つかったのである。

 当時の沖縄は本土復帰前であったが、沖縄県衛生部と九州大学小児科が中心になり、この先天異常の原因究明がなされた。その結果、先天異常の赤ちゃんから風疹ウイルスが分離され、血液中の風疹抗体価が異常に高いことがわかった。つまり奇形は風疹ウイルスによるものだった。

 沖縄ではこの1年間に408人の先天異常児が出生していた。この数値は人口10万人当たり44人に相当し、赤ちゃん50人に1人と異常に高い数値であった。すなわち、沖縄では大規模な風疹の流行により、風疹(rubella)に罹患した妊婦が奇形児(先天性風疹症候群:CRS)を多数出産していたのだった。

 風疹は飛沫感染によるウイルス性疾患で、麻疹に似た症状を引き起こす。春から初夏に流行し、発熱と発疹が主な症状で、軽度の微熱や頭痛で始まることが多い。発熱は風疹患者の約半数にみられる程度で、発熱に続いて全身に発疹が出現し、また後頸部のリンパ節腫脹が特徴的である。

 これらは軽症で2から3日で軽快する。そのため欧米では風疹を「3日はしか(three-day measles)」と呼び、麻疹を「9日はしか(nine-day measles)」と呼んでいるが、風疹ウイルスと麻疹ウイルスは全く別種のウイルスである。

 風疹ウイルスの伝染力は、患者が症状を出す前が最も強く、発病した時にはすでに隣人にウイルスを振りまいた後となる。風疹の合併症としては関節痛が比較的多く、血小板減少性紫斑病が患者3000人に1人、脳炎が患者6000人に1人の頻度で合併する。

 風疹の好発年齢は学童期で、そのため風疹は小児科領域の疾患といえる。風疹は第二種の伝染病に定められていて、紅斑性の発疹が消失するまで出席停止が基準になっている。大人ほど重症になりやすく、3日では治らないことが多い。治療は安静と対症療法だけで特別な治療法はなく、ほとんどが自然治癒する。

 風疹が問題になるのは妊娠している女性が感染した場合で、胎児が子宮内で感染を受けると奇形児になる可能性が高い。特に妊娠初期に感染すると危険性は高く、約2割の胎児に先天異常をきたすとされている。

 昭和39年、沖縄で先天性風疹症候群が大流行したが、先天性風疹症候群の発症は沖縄が初めてではない。昭和16年、オーストラリアの眼科医ノーマン・グレッグが風疹にかかった母親と先天性白内障の子供との関係を報告したのが初めてである。そのため先天性風疹症候群をグレッグ症候群と呼ぶことがあるが、弱毒ウイルスは奇形をつくらないとの先入観が強かったため、彼の学説が医学界で認められるのに10年以上かかっている。昭和19年の英国の医学雑誌「ランセット」に、グレッグの学説を否定する論説が掲載されたが、疫学から次第に先天性風疹症候群が立証され、先天性風疹症候群はCRS(congenital rubella syndrome)と略されるようになった。

 先天性風疹症候群は、「風疹ウイルスが胎盤を通過して胎児へ感染し、白内障、難聴、心臓奇形などの多彩な奇形を生じさせる疾患」と定義される。この先天奇形は妊娠1カ月から4カ月の間に感染した場合に限られ、それ以外の妊娠時期では奇形児となる可能性は低い。つまり胎児の臓器が形成され時期に感染を受けると奇形をきたすのである。受精卵が着床するまでの妊娠1カ月、臓器が形成された妊娠4カ月以降では奇形児の可能性は少ない。

 先天性風疹症候群は、さまざまな臓器に奇形を生じさせる。その頻度は難聴が80%、先天性心疾患60%、精神発達遅延50%、白内障40%である。これら奇形の頻度は感染した時期によって異なり、妊娠2カ月では白内障や心疾患、妊娠第3カ月以降では聴力障害や網膜症が多くみられる。なお妊婦が風疹に感染すると流産、早産、死産を起こしやすく、生まれた子供は発育や発達障害を伴うことが知られている。また出生1週間以内に低出生体重、血小板減少性紫斑、肝脾腫、肝炎、溶血性貧血、泉門膨隆などがみられることがあり、これを新生児急性先天性風疹と呼び、先天性風疹症候群と区別されている。

 先天性風疹症候群が奇形を起こすことより、風疹の流行が注目を集めた。風疹の予防接種がなされていなかった時代には、風疹の流行は2年から3年の周期で10年ごとに大流行がみられた。ところが沖縄の流行以降、しばらくは国内での流行はみられず、次に風疹が流行したのは、昭和51年の2月から7月にかけてである。全国で105万人が風疹に感染したが、この時の先天性風疹症候群の発生は49人と少なかった。それは風疹を理由に2500人以上の妊婦が人工中絶したせいとされている。

 風疹は症状が軽いため、感染しても問題にならないが、先天性風疹症候群は治療法がないため風疹の予防が何よりも重要である。国は妊婦の感染を防ぐため、昭和52年から中学3年生の女子中学生を対象に風疹の予防接種を義務付けた。ところが昭和64年にMMRワクチン(はしか、おたふく風邪、風疹)の予防接種が導入され、20万人に1人とされていた副作用が、実際には統一株で約930人に1人、その後導入された3種類の株でも約1980人に1人と極めて高い頻度であることが分かった。そのため平成5年4月に学校での集団接種が中止され、ワクチンは「受けなければいけない義務接種」から、「受けるように努めるべき勧奨接種」に変わった。つまり予防接種は保護者の判断に任されることになった。そのため風疹ワクチンの接種率が低下し、抗体陽性率は約30%まで低下した。沖縄の悲劇が繰り返される可能性が危惧され、接種率向上のためのキャンペーンが行われた。

 アメリカでは、昭和40年に2万人の先天性風疹症候群が発生し、それを教訓に、昭和44年から男女の別なく幼児に接種している。日本では昭和52年から思春期女子に限定した英国方式を採用している。この方式の違いにより、アメリカでは風疹の流行がほぼ終息しているが、女性に限定した英国方式の国では流行にはほとんど変化がみられていない。そのため平成7年から、男女ともに乳幼児に接種されることになった。

 現在では妊娠可能な女性の9割は抗体を持っていて、風疹ワクチンの接種を希望する場合は、保健所や医療機関を受診することになっている。なお、年少時に予防接種を受けても免疫が次第に低下することが分かっている。

 14歳で予防接種を受け、1回目の妊娠時に免疫を確認して赤ちゃんを産んだ女性が、2回目の妊娠の際に先天性風疹症候群の子供を出産した例も報告されている。このように予防接種を受けていても、妊娠初期に風疹に感染し、生まれた子供に障害が出た症例が国内で31例あることが分かっている。

 このことから女性の場合は、年少時に加え、成人初期にも予防接種が必要である。現在は、風疹の流行防止を目的に幼児への接種がされているが、抗体のない女性を対象に妊娠前に1回接種するのが最良とされている。成人となった女性は妊娠する前に風疹抗体の検査を行い、陰性の場合、あるいは抗体価が低値の場合には、妊娠前にワクチンの接種を受けることが望ましい。ワクチン接種後2カ月間は避妊しなければいけない。また風疹ワクチンは生ワクチンなので、妊娠が分かってからのワクチンは接種できない。

 最近まで、妊娠5カ月以内に風疹の感染が証明された場合には中絶が勧められてきた。しかし母親が風疹にかかっていても胎児に感染しているかどうかがウイルスの遺伝子診断によって可能になった。この遺伝子診断は信頼性の高い検査であるが、まだ普及はしていない。いずれにしても、沖縄の悲劇を繰り返さないため、妊娠前のワクチンの心構えが必要である。なお風疹ワクチンは米国のハリー・マイヤー、ポール・パークマン博士が5年がかりで開発し、昭和41年から実用化されている。

 風疹ウイルス以外に胎児に影響をきたすウイルスとして、妊娠初期に水痘あるいは帯状疱疹のウイルスに感染すると5〜10%に先天性水痘症候群(眼異常、中枢神経異常子宮内胎児発育遅延)を起こし、妊娠後期では重症の新生児水痘となり致命率は30%である。

 単純ヘルペスウイルス感染が原因で発症する性器ヘルペスでは奇形児は生じないが、分娩時の新生児ヘルペス感染が問題になる。経膣分娩で新生児が単純ヘルペスウイルスに感染すると重症化することがある。そのため妊娠中でも薬物による治療、帝王切開で分娩させる場合がある。小児の伝染性紅斑(りんご病)の原因ウイルスであるヒトパルボウイルス感染症は、成人には関節炎を起こすが、妊婦が感染するとウイルスが胎児骨髄を破壊するために胎児貧血、胎児水腫、死産を引き起こすことがある。このように風疹に限らず妊娠中にウイルス疾患に罹患すると、子供に影響を及ぼす可能性がある。