ゴジラ

【ゴジラ】

 水爆実験への国民的な怒りと恐怖が日本を覆う中、東宝映画「ゴジラ」(本多猪四郎監督)が昭和29年11月3日の「文化の日」に封切られた。この異色の映画は、水爆実験とは直接関係はないが、第五福竜丸事件にヒントを得て製作された。ゴジラは単なる怪獣映画ではなく、水爆実験に反対する強いメッセージが含まれていた。ゴジラの名前は、ゴリラとクジラを組み合わせたものである。

 映画は、アメリカの水爆実験によって原始恐竜が太古以来の眠りから目を覚まし、東京を襲う設定であった。ゴジラは口から放射能を噴出し、国会議事堂を踏みつぶし、放射能を含んだ火炎で東京を破壊した。ケロイド状のゴジラの皮膚は水爆実験への恐怖と抗議の気持ちが含まれていた。

 ゴジラが去った東京の風景は、まさに原爆で破壊された広島、長崎のようであった。この映画のラストシーンで、「もし水爆実験が続いて行われたら、ゴジラの同類が世界のどこかに現れるかもしれません」と述べられている。このことから反原水爆映画であることが分かる。

 当時は日本の映画界が最も繁栄していた時期である。巨匠といわれる監督の作品が次々に発表され、黒沢明監督の「七人の侍」、木下恵介監督の「二十四の瞳」が、同じ昭和29年に封切られている。その前年には、衣笠貞之助監督の「地獄門」がカンヌ国際映画祭でグランプリ、ベネチア国際映画祭では溝口健二監督の「山椒大夫」が銀賞を受賞している。その中で「ゴジラ」は観客動員数961万人で、動員数では邦画での最高記録を達成している。

 ゴジラは特殊プラスチックの縫いぐるみで、縫いぐるみの中に人が入って操作していた。この特撮撮影を担当していた円谷英二はゴジラによって名声を高め、ゴジラはシリーズものとなった。モスラやラドンなどの対戦相手が次々と現れ、観客を楽しませた。最終的に20作以上の「ゴジラもの」がつくられ、多くの怪獣映画ファンを生んだ。円谷は独立し、ウルトラマンなどのヒット作品を生みだした。