結核患者座り込み事件

【結核患者座り込み事件】昭和29年(1954年)

 昭和29年7月27日、東京都内の約2300人の結核患者が入退院基準の廃止を訴え、都議会議事堂の廊下で2昼夜にわたり座り込みを行った。座り込んだ結核患者は日本患者同盟に所属する生活保護患者が大部分で、入退院基準の廃止のほかに付添看護制限の廃止、生活保護法の基準の値上げなど6項目を都知事に訴えてストに入った。炎天下の座り込みによって1人の患者が心臓発作で死亡した。

 29年当時、結核で入院が必要とする患者は137万人で、一方、入院できるベッド数は17万8000しかなかった。また結核療養所に入院している患者の3割が自費、3割が社会保険、3割が生活保護の患者だった。ベッド数が絶対的に不足していた。

 厚生省はベッドの回転数を上げ、多くの患者が公平に医療を受けられるように、生活保護を受けている患者の入退院基準を作り、病院から生活保護者を追い出すことを各都道府県に通達していた。

 生活保護患者にとっては、入院していれば食費を含め毎月1200円の入院費が支給されるが、退院すれば生活費は8000円程度に抑えられる。そのため生活保護患者が猛反対して座り込みのストとなった。生活保護患者にとって、入院と退院では生活に大きな格差が生じた。

 厚生省の狙いは「生活保護患者を病院から追い出せば、生活保護費が節約できる」ということで、このことから厚生省は入退院の基準を設けて生活保護患者を追い出そうとした。昭和29年の国家予算で、生活保護の予算を大幅に削減する予定だった。