DDT散布とシラミ

DDT散布とシラミ 昭和21年(1946年)

 終戦直後、日本の衛生状態は極度に悪化し、伝染病が蔓延する最悪の状態にあった。外地からの引き揚げ者や復員兵が伝染病を国内に持ち込み、国民の栄養状態は極端に悪化し、空襲で下水道は破壊され、医薬品はないに等しい状態であった。そのため終戦直後の日本では、各地で伝染病が流行し、その猛威にさらされた。

 昭和21年の発疹チフスの患者は3万2366人、死者は3351人に達していた。同年の天然痘による死者は3029人であった。その他の伝染病による死亡者数は、赤痢が1万3409人、腸チフスが5446人、日本脳炎が590人となっている。また大正時代以降鳴りをひそめていたコレラも流行し560人が死亡している。まさに伝染病が日本中で暴れ回っていた。

 大阪府は発疹チフスの流行を阻止するため、次の広告を出している。この大阪府の文面が当時の伝染病の脅威を示す例として参考になる。

 「愛すべき大阪は、恐ろしい悪疫の猛威下にある。このまま放置すれば、都市隔離の非常手段をとらなくてはいけない。大阪、堺、布施の住民は一人残らずDDTの散布を受けなければいけない。これを受けない者はこの三市から一歩も出ることを禁じる」。この文章を読めば、いかに伝染病が脅威であったかが理解できる。

 当時は薬剤も医療器機も不足し、抗生剤も輸液も普及していなかった。伝染病に苦しむ患者を前に医師は何もできず、患者の自然治癒力に頼るだけであった。

 人々は風呂に入れず、着替える衣服もなかった。衣服や頭髪にはノミやシラミが寄生し、著しい掻痒(そうよう)が人々を悩ませていた。

 現在では、ヒトに寄生するノミやシラミを見ることはないが、当時は日常生活の中で普通に見ることができた。シラミは人に寄生し、皮膚を刺し、吸血による不快な掻痒をもたらしたが、それ以上に人々を恐れさせたのは、シラミが発疹チフスなどの伝染病を媒介したからである。昭和20年からの1年間だけで、発疹チフスによる死者は日本全体で4万人に達するほどであった。発疹チフスは、戦争や飢饉などの不潔な状態が続いた時に流行することから、欧米では「戦争チフス」の別名で呼ばれていた。

 発疹チフスはリケッチアによる病気で、感染者の血液を吸ったシラミの消化管でリケッチアが増殖し、このシラミが他のヒトに飛びつき、シラミの糞中のリケッチアがかき傷から皮膚に侵入して、ヒトからヒトへと感染した。

 発疹チフスの症状は、40℃を超える高熱と全身の皮疹で、腸チフスに似ているが、ワイル・フェリックス反応と呼ばれる血清反応が陽性になるため鑑別は可能であった。治療はクロラムフェニコールなどの抗生物質であるが、その当時はまだ治療薬はなかった。治療よりも予防の時代であった。

 昭和20年8月30日、米軍は横須賀に上陸する直前に、飛行機からDDTの空中散布を行った。米軍は感染症対策には神経質といえるほど気を使った。それは日本国民のためではなく、上陸する米国の将兵を発疹チフスなどの伝染病から守るためで、米軍は立川に駐留するに際にも立川基地上空からDDTを散布している。

 DDTの空中散布はすでに沖縄上陸時に試され、沖縄では蚊帳をつらずに寝られるようになっていた。米軍は亜熱帯地方ではマラリアの予防、日本においてはシラミによる伝染病の予防のため、DDTの大量散布を行った。

 米軍は、日本がポツダム宣言を受諾する前から占領政策を計画。日本で発疹チフスが流行していることから、発疹チフス予防のため大量のDDTを用意していた。もちろんDDTはシラミのほかにノミ、ハエ、カなどにも殺虫効果があった。

 昭和21年3月7日、GHQは、日本人全員にDDTを散布する計画を発表。以後、全国の学校、職場、街頭、駅、港などで強制的に散布された。DDTの散布はノミ、シラミの駆逐のためであるが、頭から白い粉を浴びせられることに終戦の屈辱を感じた者がいた。

 うどん粉をかけられたように頭髪が真っ白になり、さらに袖口や襟の奧まで噴霧機を差し込まれ、全身にDDTが噴霧された。DDTのシラミへの殺虫効果は絶大で、散布によりシラミは急速に姿を消すことになる。昭和21年に東京だけで9864人の発疹チフス患者がいたが、昭和22年には217人に激減するほど劇的効果があった。

 このDDT散布は30年頃まで全国各地で日常的に続けられ、日本では32年以降、発疹チフスの発生はみられていない。DDT散布は「DDT改革」と呼ばれるほど、日本の公衆衛生に飛躍的な進歩をもたらし、頭から白い粉をかけられることを「DDT洗礼」と表現したほどである。

 GHQが行った公衆衛生の政策は、DDT散布のほかに、結核へのBCGの強制接種、寄生虫予防のため人糞から化学肥料への切り替え、保健所の設置など多岐にわたっていた。これらが日本の環境衛生の改善に絶大な貢献をもたらした。

 DDTは殺虫剤として人体に散布されただけではなく、稲作などの農作物にも大量に用いられ生産性を向上させた。昭和31年8月にはフィラリア症が続出した八丈島にも散布された。

 DDTはジクロロジフェニルクロロエタンの略名で、殺虫剤として先駆的な薬剤であったが、その歴史は古く、明治7年にドイツの学生が卒業実験でDDTを合成させたのが最初である。昭和14年にスイスのガイギー社の研究員ミュラーがDDTの殺虫効果を発見、一躍注目を集めることになる。ガイギー社は英米と日独の両方にDDTを売り込んだが、その重要性に気がついたのは英米側であった。第二次世界大戦で英米が軍用防疫薬剤としてDDTを用いマラリア退治に威力を示したが、日本軍は使用せずに多くのマラリア感染者を出した。

 DDTは農作物の害虫に広く用いられ、農作物の生産性は向上し、農村の衛生環境の改善に貢献した。DDTは世界中で大量に使われ、「奇跡の化学物質」と呼ばれた。DDTは人間が殺虫剤として大量に使用した最初の薬剤で、その後の農薬はすべてDDTからスタートしたといえる。

 DDTの殺虫効果は神経毒によるもので、昆虫などの冷血動物に強い毒性を示すが、哺乳類などの温血動物への毒性が弱いのが特徴である。さらに殺虫スペクトルの幅が広かったため、虫の種類にかかわらず効果的であった。また簡単に合成でき値段が安かったことから、農薬殺虫剤として長期にわたり大量に使用されてきた。昭和23年、DDTの殺虫効果を発見したミュラーはノーベル生理学医学賞を受賞している。

 しかし昭和37年、レイチェル・カーソンが農薬の空中散布や殺虫剤の危険性を告発した「沈黙の春」を出版、アメリカで1日に4万部が売れるほどのベストセラーとなった。DDTを用いて害虫との戦いに勝った思っていたとき、DDTは鳥や益虫を殺し、さらに人間の命まで脅かす恐ろしい毒物であるとカーソンは警告したのである。ケネディ大統領が彼女の本を話題にすると、世論も彼女を支持することになる。

 DDTの殺虫性は抜群であったが、一般の昆虫にも効果が及ぶことから、DDTはトンボも飛ばない、セミも鳴かない自然界をもたらし、昆虫がいなくなれば鳥や魚もいなくなった。つまり「ドミノ連鎖により自然生態系のバランスが崩れること」を彼女は指摘したのである。

 DDTは化学的に安定した化合物で、自然界では分解されないため食物連鎖によって人間の体内に蓄積され、思わぬ害を招くことが指摘された。DDTは油に溶けるが水には溶けないため、プランクトン、原生動物、魚から人間へと食物連鎖によって、人間の体内の脂肪に蓄積され、特に母乳に多く含まれることもわかった。

 日本でも「沈黙の春」は話題になり、農薬の安全性に関する議論が沸騰した。さらに発がん性も言われだし、そのため昭和44年12月、日本BHC工業会(三菱化成など6社)はDDTの製造を中止することになった。欧米のほとんどの国ではDDTをはじめとした有機塩素系の農薬は禁止されたが、発展途上国ではマラリア防除から現在でも使用されている。DDTの半減期は100年とされ、この分解されにくいDDTの汚染が問題になっている。発展途上国で使用されているDDTが世界の海を汚染し、生物濃縮や食物連鎖によって、全世界の人々に害を及ぼす危険性があった。慢性的に人体に影響を及ぼしている可能性があった。

 しかし意外なことに、日本人は頭から浴びるようにDDTの洗礼を受けたのに、DDTによる死亡例はこれまで報告されていない。DDT以降に開発された多くの殺虫剤は、理論上毒性は低いはずであるが、皮肉なこと毎年数百人の中毒死亡者を出している。

 DDTによる死亡例はこれまで報告されていないが、目には見えない環境ホルモンとして子供や子孫に影響を与えていることは否定できない。南極圏のペンギンの脂肪にもDDTの蓄積が確認され、この事実は生物濃縮、食物連鎖の恐ろしさを示している。

 発疹チフスはDDTにより昭和32年以降日本では発生していない。このように発疹チフスを媒介するコロモジラミは全滅したが、昭和50年頃から全国的にアタマジラミと毛ジラミが流行している。

 コロモジラミは衣服の縫い目に寄生し、アタマジラミは頭髪に寄生する。衛生状態が格段に改善しているのにアタマジラミが流行しているのは、海外との交流が増えて感染の機会が増えたこと、シラミへの知識不足によるとされている。

 平成9年の国立感染症研究所の報告では、アタマジラミ患者数は8600人となっている。アタマジラミの感染は報告の義務がないため、実際の患者はこの報告数よりもはるかに多いとされている。アタマジラミは、保育園やプールの更衣室から子供が感染する場合が多い。

 シラミ駆除剤は住友製薬からフェノトリンを成分とするスミスリン(商品名)が発売されている。スミスリンの年間出荷量が33万個であることから、アタマシラミ感染者は予想以上に多いと推測される。治療はスミスリンを使用すれば比較的容易であるが、枕カバーやタオルなどの頭に触れる物の洗濯やアイロンをかけることも重要である。

 シラミの感染として毛ジラミがある、毛ジラミは陰部に生息し、陰部の接触によって伝染する。伝染病には関与しないが、毛ジラミはコンドームでは予防できない性感染症である。毛ジラミは性行為によって感染するが、人間の体から離れても2日間は生存するため、公衆浴場や家族間で感染する例が報告されている。アポクリン汗腺を好むことより、陰毛や腋窩に寄生する。治療は剃毛(ていもう)が有効とされているが、それ以上にスミスリンによる治療が有効である。