狂犬病予防法

狂犬病予防法 昭和25年(1950年)

 狂犬病は古代エジプトの時代から知られており、日本では984年の丹波康頼の「医心方」に狂犬病の記載がある。狂犬病は海外から持ち込まれた輸入感染症で、狂犬病ウイルスに感染した犬にかまれて発症する人獣共通感染症である。

 狂犬病が恐ろしいのは、発症すれば犬も人間も100%死亡することである。パスツールによってワクチンが開発され、感染してから発症するまでの予防法は確立しているが、発症すれば100%死亡する最も恐ろしい疾患である。

 江戸時代の徳川吉宗の時代に大流行があったが、これは将軍綱吉の出した「生類憐(あわ)れみの令」によって犬とのかかわりを人々に強制した結果、煩わしさから捨て犬が増加したことによる。明治5年に、犬の首輪に飼い主の住所氏名を記した木札をつけさせ、狂犬を見つけたら打殺することが定められ、明治14年には犬の登録制度が始まり、明治29年には犬の狂犬病を法定伝染病にした。しかし狂犬病は撲滅できず、大正時代は毎年500件から3000件の発症があった。昭和19年には狂犬788頭と患者46人が発生している。また昭和25年にも狂犬病が流行し、犬320頭が発症して21人が死亡した。

 昭和25年、狂犬病撲滅のために狂犬病予防法が設定され、それまで放し飼いの野犬が多かったが、飼い主は登録が義務づけられ、飼い犬には強制的にワクチンの接種が行われた。保健所は野犬狩りを繰り返し、輸入犬の検疫が施行され、これらの予防体制によって日本から狂犬病が駆逐されていった。

 昭和45年7月19日、ネパールを旅行していた日本大学の学生が首都のカトマンズで犬にふくらはぎをかまれた。青年は犬にかまれたこを忘れていたが、8月5日に帰国、同月16日になって急に呼吸困難をきたし、東京大学医科学研究所付属病院に入院となったが翌日死亡した。

 青年の話を聞いた主治医は、狂犬病特有の上行性脊髄炎の症状から、都立衛生研究所に狂犬病ウイルスの検査を依頼、その結果、狂犬病による死亡であることが確認された。日本では昭和32年に狂犬病の最後の患者が報告されて以降、今日に至るまで狂犬病患者はこの学生を含む3例だけで、いずれも海外で犬に噛まれての感染である。日本国内ではかつて恐れられていた狂犬病はすでに過去の疾患になっている。

 世界保健機関(WHO)によると、現在でも全世界で毎年6万人から7万人が狂犬病で死亡している。日本の狂犬病は撲滅しているが、世界的には狂犬病はまだ蔓延しており、特にインドや北朝鮮などのアジア、ロシア、アフリカでは狂犬病が多く、インドでは年間4万人近くが狂犬病で死亡している。

 狂犬病が存在しない国は日本の他、オーストラリア、台湾、ハワイなどの海に囲まれた10カ国程度しかない。日本で撲滅されたのは、犬へのワクチン接種や検疫制度によるが、わが国が島国という地域的要因が大きい。

 世界から狂犬病が撲滅できないのは、狂犬病ウイルスを媒介するのは犬だけでなく、猫、コウモリ、リスなど多くの哺乳類が関与しているからである。狂犬病ウイルスが犬だけに限られていれば、全部の犬にワクチン投与すれば撲滅は可能であるが、媒介する動物が多すぎるために撲滅できないのである。イギリスではコウモリが、フランスではキツネが感染源となっている。フランスでは国土の3分の1が汚染地区とされ、ワクチンを注入した鶏肉を森に置き、キツネの感染を予防しようとしている。

 メキシコでは、洞窟に入って霧状になったコウモリの唾液を吸入して、狂犬病を発症した例が報告されている。ラブドウイルスに属する狂犬病ウイルスは唾液腺で増殖するので、狂犬病に罹患した動物にかまれると、唾液中の狂犬病ウイルスが傷口から浸入して発症する。ウイルスが体内に潜伏すると、潜伏期間は通常1カ月から2カ月だが、早い場合は10日間で、1年以上の例も6%ほどある。

 潜伏期間に個人差があるが、潜伏期間は咬傷の程度、かまれた時の洗浄の有無、かまれた場所が関係している。発病率は頭頚部や顔面の咬傷では50%、手足等の露出部の咬傷では30%、衣服の上からの咬傷では10%とされている。

 全体では、かまれても発症するのは2割程度であるが、いったん発症すると100%死亡する。発症時にはウイルスはすでに脳を侵しており、脳におけるウイルスの増殖を阻止する方法はない。

 ヒトからヒトへの狂犬病の感染例は、患者が狂犬病に罹患していることを知らずに角膜を提供し、提供を受けた患者が発病した角膜移植の1例だけである。しかし患者に直接接触する医師、看護婦等の医療従事者は感染予防に十分注意すべきである。

 狂犬病の前駆症状として発熱、頭痛、不快感、かゆみ、手足のしびれ、全身倦怠感などの風邪に似た症状がみられる。次に異常行動、見当識障害、幻覚、痙攣発作、麻痺などで、狂犬病に特有の症状として「恐水発作」が有名である。

 恐水発作は水を飲もうとすると、あるいは水を見ただけで、のどに有痛性の痙攣が起きることである。これは咽頭麻痺によって水が飲めず、むせによって水に恐怖心を持つためとされている。また顔面や声帯が麻痺することから犬が叫ぶような声を出し、恐怖心から狂乱状態となるが、意識は最後まで残されている。精神錯乱、麻痺、呼吸障害、昏睡状態から突然死する。検査所見としては白血球が3万から4万に増加するが、死亡するまで診断がつかないことがある。発症から死亡までの期間は1週間以内である。

 狂犬病の予防としては、流行地に行く場合にはワクチンの接種が有効だが、ワクチンの効果のない狂犬病ウイルスが知られているので万全ではない。ワクチンが効かないことがあるのは、狂犬病ウイルスは1種類だけでなく数種類あるからである。

 日本では狂犬病の発生がみられないので、海外に出かけてもその危険性を認識していない人が多い。そのため海外で不用意に犬に近づき、かまれる例が後を絶たない。むやみに犬や野生動物に接触しないことである。

 ワクチンの接種が勧められているが、狂犬病が疑われた犬などの野生動物にかまれた場合には、傷口を石鹸と水でよく洗うことである。このことでウイルスを不活性化することができる。また早期に狂犬病ワクチンと抗狂犬病ガンマグロブリンを投与することであるが、それでも死亡例が報告されている。かまれてから7日を経過した場合は予防効果はないとされ、もちろん発症した場合には治療法はない。死を待つだけである。

 1992年、フランスを旅行していた日本人男性が、野犬に靴下の上から足をかまれた。男性はそのまま旅行を続けたが、かんだ犬が狂犬病と分かって現地でワクチンと狂犬病免疫グロブリンを注射し、さらに帰国後、都内の病院で5回ワクチンを接種して発病を免れた例がある。

 狂犬病の犬にかまれればその対応は早いが、リスなどにかまれた場合はやっかいになる。リスが狂犬病に感染していないと確認されない限り、現地の医療機関を受診し、狂犬病ウイルスを含めた感染症予防策をとるべきである。

 なお日本では狂犬病ワクチンは製造されているが、常備している医療機関は少ない。また抗狂犬病ガンマグロブリンは製造も輸入もしていない。このように日本の狂犬病への医療体制は不十分で、WHOの勧告通りの治療が受けられないのが実情である。

 平成15年の犬の輸入頭数は約1万7000頭になっている。日本では狂犬病予防法に基づき輸入動物を検疫所で調べ、狂犬病の上陸を水際で防いでいる。また狂犬病予防法では飼い主が市町村に犬を登録し、年に1回予防注射を受けることを義務づけている。

 日本国内では狂犬病の発症はみられないが、ペットブームにより世界中から動物が輸入されていることから、狂犬病が日本に上陸する可能性は残されている。また狂犬病の恐怖が薄れたことで、義務化されている予防接種を受けていない犬が5割以上に達している。厚生労働省は狂犬病の予防には7割以上の犬への接種が必要としている。

 さらに犬以外の哺乳類は検疫を通らずに輸入されていて、いつ狂犬病が侵入してきても不思議ではない。例えばアライグマ、プレリードック、シマリスなどは、犬よりも狂犬病を感染しやすいとされている。事実、1992年アメリカでは8545頭のアライグマが狂犬病によって死亡している。ペットショップで売られている動物は人工繁殖された動物が多いが、狂犬病に感染していないという証拠はない。

 WHOの調査では、人への感染源は犬82%、猫10%、牛1%、キツネ2%、その他5%となっている。なおアメリカでは3年間有効のワクチンが当たり前で、日本でも3年間有効のワクチンが可能であるが、狂犬病予防法が毎年の接種を義務づけているため、年1回の予防注射は獣医師たちへのボーナスとなっている。

 中国などアジア各国で狂犬病が多発していることから、平成16年、農林水産省は狂犬病発生国から生後10カ月未満の子犬の輸入を禁止している。また輸入犬の皮下にマイクロチップを埋め込み、個体識別をすることを決めている。このような対策を立てているが、輸入動物の検疫は農水省で、予防注射や発病時の対策は厚労省の担当となっていて、この縦割り行政が狂犬病の予防と対策の問題となっている。

 ところで疫病神と恐れられていた狂犬病のワクチンは、1880年、パスツールによって開発されたことは有名である。狂犬病のワクチンは、パスツールの偉大な業績のひとつで、当時はウイルスの概念はなかったが、犬の唾液によって狂犬病が伝染することが分かっていた。パスツールは狂犬病に感染させたウサギの脊髄液を処理してワクチンの研究を重ねていた。ある日、狂犬病のオオカミにかまれた少年がアルザスからパリのパスツールのところに連れてこられ、母親がパスツールに息子を治してくれるように懇願した。

 パスツールの狂犬病ワクチンは弱毒化した生ワクチンで、有効性と安全性がまだ未確認だった。パスツールはもしワクチンで少年が死んだら殺人罪になると躊躇したが、ワクチンでこの少年を助けることになる。人類史上初めての狂犬病ワクチンの接種だった。

 メイステル少年はパスツールの恩に報いるため、パスツール研究所の門衛として働くことになる。第二次世界大戦でドイツ軍がパリに侵攻し、パスツールのひつぎが納められている「パスツール廟」を開くよう命じるが、扉の前に立った門衛メイステルは、「これより先にはドイツ兵は誰一人として入れない、入りたければ私を殺してからにしろ」といって自殺した。今もパスツール研究所の地下に「パスツール廟」があり、かつての少年、門衛メイステルの話はいまも語り継がれている。