村八分事件

村八分事件 昭和27年(1952年)

 昭和27年5月6日、静岡県参議院補欠選挙の投票日、静岡県富士郡上野村(現、富士宮市)で組織的な替え玉投票が行われた。富士山の麓の上野村では、以前から村の役員が選挙の投票を取りまとめ、投票日になると隣組役員が半強制的に投票券を回収して替え玉投票をしていた。同一人物が何度も会場で投票したが、村役場や選挙管理者はそれを黙認していた。

 富士宮高校2年の石川皐月さん(17)は以前からこの替え玉投票に憤りを覚えていた。石川さんは「上野中学新聞」に告発文を書いたが、学校側が新聞を回収して焼却した。悩んだ石川さんは、選挙当日、この不正を朝日新聞静岡支局に投書したのである。朝日新聞が調査に乗り出すと、替え玉投票は事実であった。そのため朝日新聞は「替え玉投票」の記事を新聞に掲載し、村の関係者は警察に出頭を命じられた。
 これで一件落着のはずであったが、事態は思わぬ方向へ発展した。石川さんは村人から苦情を言われ、脅された。「他人を罪におとして喜んでいる。警察から帰ったらお礼に行く」、「自分の村に恥をかかせた」などと言われ、村八分が始まったのである。石川家は周囲から無視され、隣人の挨拶もなくなった。彼女の妹は学校で「スパイ、赤だ」といじめられた。

 6月23日、朝日新聞がこの「村八分」を全国版で掲載すると、上野村は一気に全国に知れ渡ることになった。法務府人権擁護局による現地調査が行われたが、集落の実力者(62)は「個人の人権と、村の名誉のどちらが大事か」と怒鳴り込み、巡査の仲介で引き下がる一幕があった。

 「村八分」とは、集落住民が結束して10ある交際のうち「葬式と火事」の2つ以外はつきあいを絶つことで、つまり8つの付き合い(冠、婚礼、出産、病気、建築、水害、年忌、旅行)を絶つことであった。村の掟を破った者への絶交であり、共同体による仲間はずれであった。当時の上野村のような地方では、「村八分」は珍しい話しではなく、表沙汰にならないだけで、共同体の合意にそむけばそれだけで「村八分」であった。

 昭和31年の神奈川県中郡のある地方では、強姦した男と強姦された女性を集落ぐるみでの結婚を薦め、それを断った女性を村八分にした事例もあった。また最近でも村八分事件はおきている。

 平成16年、新潟県関川村の36戸の沼集落で「村八分事件」がおきている。集落の有力者が「お盆のイワナつかみ取り大会」を企画したが、準備と後片づけを命じられた村人11人は「お盆をゆっくり過ごせない。村の補助金を不正にもらっている」と不参加を申し出た。すると憤慨した有力者は不参加の11戸に回覧板を回さず、ゴミ収集箱に鍵をかけ、山での山菜採りを禁止した。集落は2分され、11人が「村八分」の停止を求めて有力者らを提訴。新潟地裁新発田支部は「生活上の不便を感じたのみならず、精神的苦痛を被った」として有力者に村八分の禁止と計220万円の賠償を命じた。しかし有力者は「集落の総会で決めたことで、一人ひとりのわがままを認めたら集落を維持できない」と東京高裁に控訴した。平成19年10月、東京高裁は一審判決を全面支持、すなわち村八分を受けた側の勝訴となった。

 田舎の集落の日常生活は、限られた人たちによって成り立っている。毎日顔を合わせ、プライベートなうわさ話で、自分の主張は表だって言えないことが多い。すべての物事に対して同じ価値観であれば問題はないが、そのようなことは有り得ず、利害関係もからみながら、共同体の和のもとで誰かが我慢しなければいけない。

 このことはかつての集落文化、と他人事のように受け止めてはいけない。村八分は集団における排除の原理によるもので、学校、会社においても村八分に似た「いじめ現象」が起きている。閉鎖性、ねたみ、無知、わがまま、このような陰湿な感情に基づく行為は集団であれば、常に起き得るのである。