日本脳炎の流行

日本脳炎の流行 昭和23年(1948年)

 数ある疾患の中で、病名に日本の国名が付いているのは日本脳炎と日本住血吸虫だけである。このように日本脳炎は日本を代表する疾患であるが、日本だけに限られた疾患ではない。日本脳炎は東南アジアに広く存在しているが、日本脳炎と命名されたのは日本で最初にウイルスが同定され、それまでに知られていた他の脳炎とは別種の脳炎と認められたからである。

 日本脳炎の記録は、江戸時代までさかのぼることができるが、日本脳炎が流行するようになったのは、農家でブタを飼うようになってからである。

 大正13年に日本脳炎が大流行し、その流行をきっかけに日本脳炎の本格的研究がなされるようになった。昭和9年、林道倫(はやし・みちとも)が日本脳炎で死んだ患者の脳をすりつぶしてサルに接種、日本脳炎をサルに感染させることに成功している。昭和11年には谷口・笠原らがマウスを用いて日本脳炎ウイルスの分離に成功。13年には東京帝国大学伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の三田村篤志郎が、日本脳炎が蚊(コガタアカイエカ)によって媒介されることを証明した。

 日本脳炎を引き起こすウイルスは、アルボウイルスB群に属するRNAウイルスで、セントルイス脳炎、ベネズエラ脳炎、西ナイル脳炎のウイルスに類似した構造を持っている。

 現在、日本脳炎はごくまれな疾患となっているが、かつては「はやり病」として西日本を中心に猛威を振るっていた。発症は蚊の発生する夏の7月から9月までの間に限られ、日本脳炎の名称がつくまでは、夏季脳炎、流行性脳炎B型などと呼ばれていた。

 日本脳炎のほかに、日本には眠り病との異名を持つ「エコノモ型脳炎」が流行していたが、現在ではエコノモ型脳炎を見ることはなく、過去の疾患となっている。このように日本脳炎は似た疾患があったため、統計上日本脳炎の患者数が記載されたのは昭和21年からである。

 この日本脳炎が、昭和23年8月に大流行した。日本脳炎は重篤な急性脳炎で、後遺症や致死率が高いことから社会問題になった。日本脳炎の患者数は、23年の1年間だけで 4757人、死者は2620人に達した。流行は北海道を除く西日本が中心で、その中でも熊本県が最も多くの犠牲者を出している。東京でも患者数926人、死者数124人(死亡率13.4%)に達し、都会においても日本脳炎は猛威を振るっていた。厚生省は流行の兆しがみえた昭和21年に日本脳炎を法定伝染病に指定したが、日本脳炎は23年をピークに流行を続け、28年までの累計死亡者は9335人に達した。毎年7月になると九州地方から流行が始まり、日本列島を北上し、北限である岩手県まで流行した。青森県や北海道での発症は報告されていない。

 日本脳炎に感染しても、実際に発症するのは1000人に1人程度とされ、感染しても大多数は無症状のまま抗体をつくるだけであった。しかし感染者が発症すると恐ろしい疾患になる。潜伏期間は1から2週間で、症状は夏風邪程度のものから、死に至る劇症型まで幅広い症状を示した。初発症状のうち最も多いのが発熱と頭痛で、前触れもなく突然の高熱を出し、興奮、意識混濁、顔面や手足のけいれんなどの精神神経症状が出る。いったん重症化すると、意識障害や精神症状が顕著になり死に至ることになる。発病後4日から7日が病状のピークで、この時期を過ぎると熱も次第に下がり回復に向かう。重症患者の約30%が死亡し、約30%に重い後遺症がみられ、完全に治癒するのは40%とされている。この治療成績は高度医療がなかった当時の統計であるが、医療や医学の進歩した現在でも、死亡率はそれほどの改善をみせていない。

 41℃以上の高熱をきたした場合、高齢者が発症した場合に死亡率が高いとされ、後遺症として、健忘、性格の変調、手足の強直性麻痺、性格異常、痴呆などの精神障害を残すことが多い。ワクチンが唯一の予防薬で特効薬はない。日本脳炎は症状が現れた時点では、すでにウイルスが脳内に達して脳細胞を破壊しているので、将来ウイルスに効果的な薬剤が開発されたとしても、破壊された脳細胞の修復は困難とされている。

 昭和20年代の日本では、日本脳炎が猛威を振るっていた。しかし農薬散布によるコガタアカイエカの駆除、養豚場の郊外への移転、ワクチンの普及などが効果をみせ、患者数は昭和28年から徐々に低下し、昭和52年には患者数全国で4人までに減少した。58年以降はわずかに増加したが、現在では全国で年間10人程度である。

 日本脳炎には有効な薬剤がないことから、予防接種、コガタアカイエカの駆除などの予防が重要である。現行の日本脳炎ワクチンは7〜14日間隔で2回皮下注射を行い、流行前に1回皮下注射を追加する。免疫効果は2年から3年持続するので、追加免疫は2〜3年間隔でよいとされている。このようにして基礎免疫があれば感染の心配はない。この予防接種は昭和51年から臨時接種となり、流行地域の小児や学童を中心に実施されている。

 コガタアカイエカが日本脳炎ウイルスの運び屋となるが、その伝搬にはブタの介在が重要である。つまりコガタアカイエカによって日本脳炎ウイルスがブタに持ち込まれ、ブタの体内で何百万倍に増幅したウイルスが蚊によってブタからヒトに伝染する。1匹のブタが感染すると1万匹のコガタアカイエカが感染するとされ、感染したブタが再度蚊に刺され、ウイルスを持つ蚊が人を刺すことにより感染する。ブタは生後数カ月で母体からの移行抗体が消失するので、流行期のほとんどのブタはウイルスに感染可能な状態にある。

 ヒトの血液中のウイルス量は少ないため、ヒトからヒトへの感染はみられない。自然界では人間が終末宿主となるので、患者の血液を吸った蚊に刺されても感染は起きない。日本脳炎は蚊の発生する7月から9月に限られ、また流行の地域も限定されている。

 日本脳炎が流行する前には、必ずブタの間で流行する。ブタの感染が人間への感染よりも先行するため、ブタの血液中の抗体価を調べれば、日本脳炎ウイルスの流行を事前に知ることができる。現在では、都道府県ごとに畜場からブタの血液が集められ、日本脳炎の流行を予測する体制が整っている。

 ブタの抗体保有率が50%以上になると、ブタに日本脳炎の流行が始まったとされ、2〜3週後にヒトに日本脳炎が発生することが予測される。ブタの流行が分かると、保健所を中心に蚊の駆除などの予防対策、臨時予防接種の実施が検討される。日本脳炎の流行予測は昭和40年から行われ、ブタでは多くの地域で流行がみられ、伝染が南から北へと日本を北上していくのがわかる。

 日本脳炎の患者数は激減し、日本脳炎は過去の病気と思われがちであるが、自然界の日本脳炎ウイルスが減少しているわけではない。今後、農薬に抵抗性のあるコガタアカイエカの増加、ウイルスの変化、ワクチンの有効性の低下、ワクチンが強制から任意に変わった(平成7年)ことから、再び日本脳炎が増加することは否定できない。平成7年に伝染病予防法が感染症新法に変わり、日本脳炎は法定伝染病から届け出疾患4類に格下げされている。

 生物学的興味であるが、日本脳炎ウイルスを媒介するコガタアカイエカは冬を越せない。そのためどのように日本脳炎ウイルスが冬を越すのかが大きな疑問になっている。蚊によって日本脳炎が媒介されることを発見した三田村篤志郎も、この難問に取り組んだが、現在に至るまで謎のままである。

 日本ではワクチンにより日本脳炎はほとんど見られないが、ベトナム、タイなどの東南アジア、さらにはインド、ネパール、スリランカなど南アジアの諸国では、現在でもしばしば日本脳炎が流行している。水稲の水田栽培(蚊の発生場所)、ブタの飼育(増幅動物)が盛んになったことが流行の要因とされている。中国では年間1万人を超える発症がみられ、コガタアカイエカ以外の蚊が日本脳炎を媒介することが知られている。

 日本脳炎は人間だけでなく家畜伝染病でもある。つまりウマ、ウシ、ブタ、ヤギなどの大型哺乳類にも脳炎を起こす。発病率はヒトとウマが最も高く、ブタは死産や流産の原因となる。そのためアジアにおいては農業経営の視点から問題になっている。

 日本脳炎は過去の疾患になったことは確かである。そのため、もし脳炎症状を示す患者を診た場合は、日本脳炎である可能性は極めて低い。日本脳炎の検査は中小病院でも簡単に調べられるが、脳炎患者を診た場合、それが7月から9月の夏季であれば日本脳炎を疑うべきで、夏季以外に日本脳炎の検査が依頼された場合は、医師の常識が疑われることになる。もし夏季以外に感染を思わせる患者を診たら、日本脳炎よりもヘルペス脳炎やインフルエンザ脳症を疑うのが一般的である。