日本医大遺体紛失事件

【日本医大遺体紛失事件】昭和25年(1950年)

 昭和23年1月28日、東京都渋谷区の火葬場で男性の遺体が火葬にされた。間もなく焼け具合を見るため、火葬係が穴からカマをのぞくと、男性の腹から胎児が飛び出しているのが見えた。驚いた火葬係は火を止めて代々木警察署に通報。警察の調べにより次の事実が判明した。

 火葬された男性は東京逓信病院に入院して死亡した胃がんの患者だった。患者の主治医である東京大学医学部の外科医Aは、家族の反対で遺体を解剖できなかったが、研究熱心なあまり遺体を家族に無断で解剖。抜き取った内臓の代わりに、不用になっていた胎児の遺体を男性の腹に縫い込んでごまかそうとした。

 A医師は死体損壊罪に問われ、裁判では有罪になったが執行猶予がついた。また、この事件とは関係ないが、翌24年7月には東京警察病院で解剖死体の一部をドブに流す事件が起きている。昭和25年2月18日、東京都荒川区町屋の火葬場に運び込まれた4つの棺が軽すぎると荒川署に密告があった。19日朝、警察が調べたところ棺に遺体はなく、1個には腫瘍の塊、他の棺には毛髪やボロ切れなどが詰められていた。

 この4つの棺は日本医大から運ばれたもので、遺体を棺に入れなかったのは、戦災で焼失した標本を作るため、また遺体を解剖実習に使うためであった。日本医大に火葬にされるはずだった4体の遺体が残されていたが、3体はバラバラになっていた。また1体は家族に渡されていたが、それは他人の遺体だった。尊重されるべき遺体をズサンに扱った病院の事件であった。