性病予防法

【性病予防法】昭和23年(1948年)

 進駐軍(GHQ)は日本を占領するにあたり、自国の兵士たちの健康を最も留意した。特に梅毒を中心とした性病については強い懸念を持っていた。そのため昭和20年11月に花柳病予防法が公布された。

 花柳病予防法は医師が性病と診断した場合、売春婦だけでなく一般国民についても、医師が保健所に届け出ることを義務づけていた。戦後ペニシリンが急速に出回ったが、これは梅毒の早期治療のためのGHQの政策であった。

 GHQは警察の協力で「街の女」の検挙と強制治療を行った。乱暴な話であるが、路上に立っている女性は「街の女」の嫌疑をかけられ、証拠がないまま検挙された。検挙された女性の中には売春とは無関係の女性が多く含まれていたが、無関係であっても病院に連行され、強制的に検査が行われた。性病の診断は女性の性器を見て判断することから、間違えられて検挙された女性たちの屈辱感は大きかった。

 東京の池袋では、売春婦と誤認された労働組合の女性2人が、吉原病院で強制診察を強いられ、そのため女性組合員1000人が警視庁へ抗議のデモを行っている。この事件は国会でも取り上げられ、日労組婦人部、社共各婦人部、婦人民主クラブなど2000人の婦人が抗議集会を開いた。

 名古屋では強制検査を拒んだ若い銀行員が抗議ための自殺を図った。死亡した銀行員の司法解剖が行われ、銀行員は女性として純白であることが証明された。米兵を性病から守るため、このような仕打ちが一般女性に加えられた。同じような事件が頻発し、強制検査への批判が高まった。

 昭和23年7月15日、性病予防法が公布され、婚約者は結婚前に健康診断書を取り交わし、母親が妊娠した場合には血液検査をすることになった。性病予防法は性行為によって引き起こされる疾患が対象で、わが国では梅毒(syphilis)、淋病(gonorrhea)、軟性下疳(chancroid)、第四性病(鼠径リンパ肉芽腫症:lymphogranuloma venereum)の4疾患が性病に含まれた。欧米ではこれに鼡径部肉芽腫(granuloma inguinale)が含められている。平成11年に感染症新法が成立し、性病予防法は感染症新法に吸収され廃止されることになった。