寄生虫予防運動

寄生虫予防運動  昭和28年(1953年)

 昭和28年11月16日、厚生省は戦後初めての寄生虫予防運動を実施した。全国各地で寄生虫の街頭検診や薬剤の配布が行われ、寄生虫の予防が訴えられた。終戦当時の東京では住民の3割、農村では8割が寄生虫を保有していた。このことから日本は「寄生虫王国」とまでいわれていた。この寄生虫予防運動をきっかけに、立ち遅れていた寄生虫の駆除が本格的に始まった。

 当時の日本人にとって、「寄生虫は疾患と呼ぶよりも共生」と呼ぶにふさわしいほど日常生活にありふれていた。昭和24年以降、学校では春秋の2回検便検査が行われ、検便が学校の年間行事になっていた。検査の結果、ほとんどの児童から回虫卵が見いだされ、定期的に虫下しを飲ませる学校が多かった。寄生虫の種類としては回虫が圧倒的に多く、次いで蟯虫(ぎょうちゅう)、十二指腸虫の順であった。

 寄生虫の駆虫剤「サントニン」が発売されたのは昭和23年10月19日のことである。日本新薬が東北大学と共同でサントニンの工業化に成功したのだった。このサントニンはソ連の専売品で、原料である植物の種の持ち出しが厳重に禁じられていた。日本新薬は昭和2年にサントニンを含有する植物の種を入手。昭和15年にサントニンを抽出、昭和23年に製品として発売したのである。ミブヨモギから抽出されたサントニンは回虫駆除の有力な武器となった。昭和28年に行われた統計では寄生虫の保有率は低下したが、それでも保有率は国民全体で36.7%と高い数値であった。

 昭和31年6月3日から、学校を中心に、虫歯、寄生虫、トラコーマの3大病撲滅運動の5カ年計画が開始された。寄生虫は昭和30年ころから激減していくが、この激減は治療薬の効果よりも、農家が肥料として人糞を用いていた習慣が改められ、化学肥料が普及したことが大きい。それまでの農家は「肥料として人糞を用い、野菜に付いた寄生虫卵がヒトの口から体内に入り、便から排出される」という寄生サイクルが繰り返されていた。また上水道や下水道の整備、水洗式トイレの普及などにより、寄生虫を取り込む機会が少なくなったことが減少に寄与していた。現在では寄生虫の保有率は3%前後で、その内訳は回虫や鉤虫は激減しているが、蟯虫はそれほど低下していない。

 多くの日本人を悩ましてきた回虫、蟯虫、鉤虫について振り返ってみる。

 回虫は線虫に属する寄生虫で、ミミズに似た形をしている。野菜などに付着した卵が口から入り、小腸で孵化し小腸に寄生する。小児の有病率が高く、ときに迷入により重篤な症状を引き起こす。通常は軽い下痢や腹痛程度の軽い症状であるが、回虫が胃に迷入すると胃けいれん様の激しい痛みを引き起こす。胆管に侵入した場合には肝炎や胆石様発作を起こし、膵管に入れば膵炎、虫垂に迷入すれば虫垂炎を起こす。駆虫剤はサントニンやカイニン酸などである。

 蟯虫は体長1センチ前後の盲腸に寄生する白色の糸状の寄生虫で、特に小児で多い。雌は口から進入し、3カ月後に夜間に肛門からはい出し肛門周辺に産卵する。産卵後に雌は死ぬが、かゆみが激しいため、かいた手に付いた卵をなめることで、再び口から体内へ入ることになる。肛門のかゆみにより、不眠症、精神的不安定、学力低下などをきたすことがある。蟯虫は、まれに虫垂炎や卵管炎を引き起こすことがある。蟯虫の検査は肛門部にテープをはり付けて虫卵の有無を調べることである。駆虫剤はピルビニウム・パモエートである。

 鉤虫はかつて十二指腸虫といわれていた寄生虫で、十二指腸虫の命名は鉤虫が初めて発見された時にたまたま十二指腸にいたためで、本来の寄生部位は小腸(上部空腸)である。症状は軽度の貧血などである。

 回虫、蟯虫、鉤虫は日本人の3大寄生虫であるが、飢餓の時代から飽食の時代へと変わり、最近では新たな寄生虫が問題になっている。

 グルメ嗜好となった現在では、食生活の多様化により新たな寄生虫が登場してきた。その中で最も多いのはサバやイカの刺身から感染するアニサキスである。

 アニサキスはオキアミが第1中間宿主で、それを食べたサバやイカなどが第2中間宿主となる。サバ寿司やイカソーメンなどを生で食べると、アニサキスは人の胃壁や腸壁に進入し、激烈な痛みを引き起こす。このため胃潰瘍や虫垂炎と間違えられることが多い。アニサキス症は、俳優の森繁久弥が公演地の名古屋で発症し緊急入院となったことから有名になった。アニサキスの予防は、熱を通して食べる、あるいは凍結解凍してから食べることである。アニサキスの治療法は、内視鏡で胃壁にはり付いたアニサキスを摘出することである。

 その他の寄生虫として、アユから感染する横川吸虫、淡水産のカニから感染する肺吸虫、サクラマスから感染する日本海裂頭条虫、クマ肉の生食による旋毛虫症、ドジョウのおどり食いによる顎口虫症などがあるが、心配するほど多いものではない。

 またペットブームによりネコの糞便から感染するトキソプラズマ症、幼犬に由来するイヌ回虫症などがまれに報告されている。海外旅行が日常的となり、東南アジアやアフリカなどでマラリア、アメーバ赤痢、ランブル鞭毛虫、有鉤条虫、無鉤条虫、顎口虫などの感染が増えている。いずれにしても現在では寄生虫はごくまれな疾患となっている。