メチルアルコール中毒

メチルアルコール中毒 昭和21年(1946年)

 戦時中と戦後の数年間は、嗜好品であるアルコールの配給はほとんどなかった。日本酒の原料である米が何よりも貴重品だったので、醸造にまわせる米が絶対的に不足していたからである。たとえ酒の配給があっても、アルコール濃度は極端に低く、金魚を入れても泳げるほど薄かったことから、配給酒のことを「金魚酒」と揶揄(やゆ)されていた。

 飲酒が可能なアルコールはエチルアルコール(エチル)であるが、エチルの代わりに値段の安い工業用メチルアルコール(メチル)が闇市に出回り、多くの酒飲みがメチルの犠牲になった。

 戦時中の事件としては、昭和18年4月、川崎市で工業用メチルに香料を入れて造られたウイスキーで6人が死亡。20年7月1日には神奈川県横須賀市浦郷町の住民たちが輸送中のブタノールアルコールを盗んで飲み17人が死亡、8人が重体となっている。

 終戦からの数年間は、メチル中毒が多発した時期であった。20年11月には東京都八王子市で闇市のアルコールを飲んだ4人が死亡し売人が検挙されている。占領軍の米軍将兵からも犠牲者が出たため、GHQは米軍将兵にメチルを販売した者は死刑にすると発表した。

 メチル中毒による死者は、20年には403人、21年には1841人と犠牲者は増大し、たとえ一命を取り留めても失明に至る者が多くいた。失明に関する統計は明らかではないが、その犠牲者は相当数にのぼっていた。

 メチルは量が多ければ死に至るが、少量でも失明する。当時の眼科医の記録に、メチルによる失明者を多数診察したことが残されている。また当時の眼科医で、メチルによる失明者を診たことのない医師はいないと言われている。眼が散る意味から「眼散るアルコール」という言葉が流行した。

 メチル中毒が日本で蔓延したのは、飲食店がメチルと知りながら客に飲ませていたからである。盛り場にはメチル鑑定所が設置され、多くの売人や飲食店主が逮捕された。東京都内では、メチルを大量に含んだウイスキーが「ダイヤモンド」の名前で売られていた。

 メチルのほかにも、ベンゾールやナフタリンなどの変成アルコールを用いた酒が売られていた。アルコール不足の時代に、酒は危険と分かっていても、飲む者が後を絶たなかった。そのため「メチルは命散酒」とも呼ばれていた。歌手の鬼俊英や女優の山田五十鈴の夫である俳優の月田一郎もメチルで命を落としている。

 絶対的なアルコール不足がメチルによる犠牲者を多く出した。一方、体に害をもたらさない薬品用エチルは堂々と飲み屋でだされ、当時の人々は日常的に薬品用エチルを飲んでいた。薬品用エチルにカルメラなどの添加物で味をつけ、あるいは水で薄めただけの酒が闇市に広く出回った。この薬用エチルはアルコール度数が高いため、飲むと一気に酔いが回ったため「バクダン」と呼ばれていた。また大衆酒場では、酒を造ったあとのカス(粕)をさらに発酵させ、それを蒸留した「カストリ」や、密造された「どぶろく」が庶民のアルコールとなっていた。

 戦後の混乱期から世の中が落ち着きを取り戻し、それまでのカストリやどぶろくに代わって安価になった焼酎(しょうちゅう)の全盛期を迎え、日本の酒飲みが清酒を飲めるようになったのは、昭和25年以降のことである。一方、メチル中毒は23年がピークであったが、生活が戦前の状態に復興する27年頃まで、メチルによる中毒は散発的に発生していた。

 メチルは酩酊をもたらすが、酒の味や酩酊状態からメチルとエチルを区別することはできない。副作用が出て初めて分かることになる。犠牲者の多くは、飲酒から半日ぐらいで、頭痛、嘔吐などの症状が出現し、眼がかすみ、激しい腹痛に襲われ、「ヤミ酒にやられた」と自覚して死んでいった。

 視力障害や死亡はメチルの直接の毒性ではなく、メチルが体内で分解された代謝産物ホルムアルデヒドとギ酸によるものである。これらが血液を酸性に傾け、代謝性アシドーシスを引き起こすことが死因とされている。また眼のかすみ、物が二重に見え、失明などの視力障害はギ酸による視神経障害とされ、病理学的には両側性視神経萎縮、視野狭窄の所見がみられる。この視力障害は治療によって回復しないのが特徴である。

 メチル中毒は現在では見ることはできないが、特異的な事件はまれに散発する。昭和57年4月15日、アルコールが禁止されている精神病院で、入院患者2人が燃料用アルコールを用いて宴会を行い死亡している。

 時代が豊かになっても、旧ソ連では貧しい人々の間でメチル中毒が多発した。飲酒追放運動によりウオッカを入手できない労働者が、昭和62年の1年間だけで1万人以上が死亡したと報道されている。アルコール規制の強いスウェーデンでは、エチルにも飲酒ができないようにメチルが混入されている。しかしこのことが逆効果となり、メチル中毒者を増加させた。さらに寒冷地用のウインドーウォッシャー液にはメチルが含まれているため、ウインドーウォッシャー液を誤飲した子供の事故が報告されている。

 メチル中毒の治療は、メチルアルコールの分解を抑制させるためにエチルを飲ませることである。エチルを摂取させ、メチルと競合させメチルの分解を防ぐことが治療とされている。もちろんその治療効果は事例が少ないため明らかではない。

 アルコールを飲む者も、アルコールを売っても儲ける者も、すべては終戦後の貧しい生活の犠牲者であった。貧しい生活、荒廃した社会状況、その環境の中で庶民のアルコールへの渇望がいかに強かったかが分かる。