ビタミンブーム

【ビタミンブーム】昭和25年(1950年)

 昭和25年12月、武田薬品工業から日本初の総合ビタミン「パンビタン」が発売された。終戦後の食糧難が次第に改善し、栄養のバランスや健康維持に関心が向くようになった。医薬品メーカーはビタミン剤を相次いで発売、戦後の経済復興を象徴するかのようにビタミン剤が売れていった。

 当時の栄養学会は、食物からビタミンをバランスよくとるのは困難としていた。そのためビタミン剤は国民から歓迎されビタミンブームをつくった。武田薬品工業が発売したパンビタンは疲労回復に効果があるとされ、昭和28年には1億3000万錠を売り上げ、武田のトップ商品となった。

 昭和26年に東京田辺製薬がビタプレックス、大正製薬がビタコリン、27年には塩野義製薬がポポン、28年には三共がミネビタールを販売した。同じ28年に中外製薬が解毒と肝機能改善薬「グロンサン」を発売し、キャッチフレーズは「二日酔いにグロンサン」であった。各製薬会社は新聞、ラジオ、テレビを利用して大々的に宣伝を行い、売り上げを伸ばしていった。

 これらのビタミン剤は多数のビタミンを混合した総合ビタミン剤であったが、29年3月には武田薬品工業がビタミンB1誘導体である「アリナミン」を発売した。アリナミンは京都大学医学部衛生学教室・藤原元典の研究を製品化したもので、藤原はビタミンB1とニンニクの成分を結合させると、人間の胃腸から効率的に吸収されることを発見し、これを製品化して糖衣錠タイプのアリナミンとして発売した。

 アリナミンはビタミンブームを決定的なものとし、このブームは昭和40年の「アリナミンA」の販売につながっていく。武田薬品工業はアリナミンAの宣伝に三船敏郎を起用し、「飲んでますか?」のコマーシャルでブームをつくった。

 また医薬品ではないが、29年にはビタミンB1を米に染み込ませた強化米ビタライスが武田、三共、塩野義から発売され、日本人の栄養の改善に大きく寄与した。そのせいかどうかは不明であるが、25年以降、日本には脚気はほとんど見られない疾患となった。