アドルム禍


【アドルム禍】昭和23年(1948年)

 昭和23年、「平和の眠り」というキャッチフレーズで、睡眠薬アドルムの宣伝が新聞に掲載された。アドルムは戦前から市販されていたが、戦後の急激な社会変化に順応できない人たちは、この宣伝によりアドルムに救いを求めた。アドルム、ヒロポン、カストリ、これらは戦後の退廃した世相を象徴する言葉だった。

 戦後の文壇で流行した無頼派作家の間で、アドルムを昼間から常用する者が多くいた。昭和24年8月7日、小説家坂口安吾がアドルム中毒で錯乱状態となり警察に保護されている。また同年11月3日には、「オリンポスの果実」の小説で有名になった田中秀光が太宰治の自殺に衝撃を受け、太宰治の墓前でアドルムを飲んで自殺している。

 このようにアドルムを飲んで自殺を図る者が続出し、特に問題になったのは、アドルムをかみくだきながら酒をあおる者がいたことである。また乙女心の感傷から女子高生の間でアドルムによる自殺が流行した。東京都江東区の高校では、アドルム自殺が連鎖反応のごとく流行し、「汚れた世の中がいやになった」、「肉体は滅びても魂は生きている」、…。このような遺書を残し、高校生たちが自殺を図った。当時の女子高生は死を賛美する傾向があり、アドルムをひそかに忍ばせておくことが女子高生の間で流行した。

 昭和35年1月23日、小説家火野葦平は「死にます。芥川龍之介とはちがふかも知れないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるし下さい。さようなら」の遺書を残して死んでいった。昭和48年、平和の眠りをもたらすはずだったアドルムは、批判の的となり発売中止になった。