フラゴナール

ジャン・オノレ・フラゴナール

(Jean Honoré Fragonard、1732年〜1806年)は18世紀ロココ期のフランスを代表する画家である。フランス・ロココ美術の典型的な画家であるとともに、時代の変化のなかでロココ時代の最後を飾った。
 1732年、コート・ダジュール(南フランス)のカンヌに近いグラースで、皮手袋製造業を営むイタリア系の家庭に生まれた。1738年、家族とともにパリに出てシャルダンとブーシェという、作風の全く違う2人の巨匠に師事する。ブーシェの下ではタピスリのデザインといった仕事を手伝ったと考えられる。フラゴナールは師のブーシェやレンブラントの作品をコピーすることで修行を続けた。20歳の時にフランスの王立絵画彫刻アカデミー主催のコンクールである「ローマ賞」1等賞を受賞して、国費でローマ留学をする権利を得る。だがこのときの提出作品である《偶像に犠牲を捧げるジェロボアム》にはブーシェよりもカルル・ヴァン・ロー的な「大様式」grand mannerの影響がみられる。
 1753年に王立特待生学校に入学し、3年間在籍し歴史画家としての教養をつけ、1754年から1755年まで装飾画としてのキャリアを積んだ。このころ描いた「四季」連作には、同主題を繰り返し描いたブーシェの影響がみられる。ブーシェの影響はさらにこの時期にフラゴナールが制作した神話画にも顕著である。
 1756年、フラゴナールはローマに到着し、5年間をこの地で過ごした。だがこの時期の活動の内容はよくわかっていない。1761年にパリにもどってからは、主にコレクターのために作品を制作した。
 1765年にはパウサニアスの著作からとられた、それほど有名でない主題に基づく油彩作品「コレスュスとカリロエ」(ルーヴル美術館)をアカデミー入会承認のための作品として制作、「サロン」に出品し批評家ディドロの絶賛を受けた。1767年頃、画家としての絶頂期に描かれた「ぶらんこ」は、庭園に設けられたぶらんこに乗る若い女と、それを低い位置からのぞき見る、愛人の貴族男性を描いたものである。ひとつ間違えば下世話になりかねない主題を品良く描いている。1773年から1774年まで、フラゴナールは徴税請負人ベルジェレとともにイタリアを旅行している。この時期に描いた、巨大な松や杉の木のモチーフが特徴的なイタリア風景をビスタの淡彩で描いた素描が多数現存している。
 しかし、ロココ絵画のこうした軽薄な画題は、ディドロらの百科全書派の批判を招いた。そして、1789年のフランス革命とともに、時代の好みも変わり、ロココ美術も次第に下火になっていった。1793年フラゴナールは美術管理委員会メンバーに選ばれ、1800年までルーブル美術館の収蔵品管理を担当する。1805年にフラゴナール一家はルーヴル美術館の住居から他の芸術家たちとともに追い出された。晩年は失意と貧困のうちに亡くなった。


ぶらんこ
(ぶらんこの絶好のチャンス)
1767年頃 83×65cm | 油彩・画布 |
 ウォーレス・コレクション(ロンドン)

 本作に描かれるのは、美しい森の中でぶらんこに乗る若い娘と、それを押す中年の男、そして若い娘のスカートの中を覗く若い男である。愛や女性(本作では若い娘)の象徴である薔薇が咲く園でスカートの中を覗く若い男は若い娘に好意を寄せているのであろう。左手には脱いだ帽子を手にしている。この脱がれた帽子と若い娘の足から脱げる靴には道徳や宗教的教義から開放された性的な意味が含まれている。ぶらんこの浮遊感もそれを意味するとの説もある。また若い男の頭上には口元に指を立てるキューピッド(エロス)の石像が、少女の背後(下部)には驚き戸惑う二体のキューピッド(エロス)の石像が描かれている。一方、ぶらんこを操る男には中年の男が描かれており、当初は依頼主の要望で司教が描かれる予定であったが、画家は(おそらく若い娘の夫として)中年の男に変更して描いた。このようなやや軽薄で不道徳ではあるが、優雅かつ軽やかなロココ様式の中に、自由な恋愛を謳歌する当時の男女の世界観を表現した。中でも本作はその最たる作品として知られている。また登場人物によって三角形が形成される安定的な構図や画面構築(中央の石像も三角形である)、木々の間から射し込むスポット的な陽光の表現と深い深緑による陰影の描写、美麗で華やかな色彩表現など一枚の絵画としての完成度は非常に高い。本作は当時から版画に刷られ世間に出回るほど好評を得た

読書する娘
1776年頃 82×65cm | 油彩・画布 |
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

 フラゴナール1770年代を代表する単身人物画作品のひとつ。本作は室内で静かに本を読む若い女を真横から捉え描いた作品である。本作のモデルに関しては一般的に不明とされているが、フラゴナールの妻の妹で画家の弟子(そして愛人)とする説も唱えられている。本作の様に書物や手紙を読む女性の姿を画題とした作品は、フェルメールの作品「窓辺で手紙を読む女」や「青衣の女」など既に比較的ポピュラーな画題であった。
 本作の技巧的表現や画題への斬新なアプローチには注目すべき点は多い。画面中央に配される若い女は静謐な雰囲気の中、右手で持つ書物に視線を落とし、読書に集中している。豊かな量感によって描かれる女の姿態は力みを感じさせず、やや脱力的に扱われながらも、全体としては気品の高さを感じさせる。特にこの若い娘のあどけなさの残る端整な横顔や、憂いにも似た感情を思わせる瞳の表情は特筆すべき出来ばえである。
 技巧的な要素を考察してみても、流れるような軽快でやや大ぶりの筆触によって描写される若い女の瑞々しい肌や髪の毛の表現、身に着ける黄色の衣服と青緑色の背景との色彩、この明暗的の対比は優れた力量を感じさせる。

目隠し鬼
1748-1752年頃 116.8×91.4cm
| 油彩・画布 | トリード美術館(オハイオ州)

 初期の代表作のひとつで、画家が師事していたフランソワ・ブーシェの工房時代に制作された作品と推測されるいる。城館、又は邸宅の美しい庭園の中で優雅に目隠し鬼ごっこ遊びに興じる若い男女を描いた作品である。そのため甘美で堕落的な世界観や豊麗な官能性などが反映されている。本作を詳しく分析してみると、コルセットを用いてウエストラインを過剰に補正する当時の流行によって、細過ぎる女性の腰周りや、野暮な筆触、配置にやや不自然さを感じさせる。画面右側の雑用具の描写にフラゴナールの若輩さが見られるが、躍動的で軽快な運動や個々の高度な描写に若き画家の溢れる画才を感じずにはいられない。さらに本作の生命感に溢れた輝かんばかりの色彩、特に目隠しして無邪気に足を進める若い女性が身に着ける衣服や帽子の縁、その左側に描かれる薔薇の鮮烈な色彩は、遠景、そしてさらに奥の空の青色と相対を成している。この男女による「目隠し鬼」という遊戯から愛欲エロティシズムや貴族階級、遊戯独特の幼児性。当時の社会的風潮や流行を良く伝えている。

連作「恋の成り行き-逢い引き」
1771-73年頃 317.5×243.8cm
| 油彩・画布 | フリック・コレクション

 本作は貧民階級層の出身ながら、当時のフランス国王ルイ15世の愛妾となり、宮廷内で絶大な権力を得ていたデュ・バリー夫人の依頼によって、ルーヴシエンヌの館の装飾画として1771-73年頃に制作された4点から構成される連作『恋の成り行き』の中の1点である。本作は連作「恋の成り行き」の中で最初の場面(第一場面)を表し、一般的には次いで「追跡」、第三場面に「冠を受ける恋人」、そして最後の場面(第四場面)として「付け文(恋と友情)」とされている。
 本作に描かれる若い男女は、その関係が密で、城館の庭園の美しい木々と薔薇の園の中に置かれるキューピッドを伴う愛の女神の石像の前で密会している。鮮やかな朱色の衣服を身に着ける若い男は、木製の梯子を使い石塀を登って、女の待つ待ち合わせ場所に赴いたばかりのようで、。先に石像の前に来ていた若い女は周囲の様子を注意深く伺い、物音がしたのだろうか、左手で男に何か合図を送っている。両者の視線は何かを伺うかのように同一方向を向いており、この場面が緊張的空間を明確にしている。しかし本作で用いられた表現は、緊迫した状況とは相反するかの如く、ロココ様式独特の優美で、世俗的で軽薄な雰囲気に満ちている。また明瞭かつ軽快な本作の色彩描写も秀逸で、特に背景に描かれる木々の大気感や幻想性、詩情性に富んだ表現は画家の森林描写の大きな特徴である。

かんぬき(閂)
1780-84年 73×93cm
| 油彩・画布 | ルーヴル美術館(パリ)

 フラゴナール晩年の代表作「かんぬき(閂)」。地位は低いが裕福な貴族ドゥ・ヴェリ侯爵の依頼により制作された。本作に描くのは、部屋の中で若い男が嫌がる素振りを見せる若い女を抱き寄せながら、扉のかんぬきをかけ、扉を開閉できないようにする姿である。
 明暗の大きい劇的な光の描写、絹や金属的な光沢感のある衣服の表現、フラゴナールが好んで使用した赤色、黄色、白色の三色で構成される色彩など晩年期の特徴が良く表れている。
 若い男は左腕でしっかりと若い娘を力強く抱き寄せながら、この情事に他の者の邪魔が入らぬよう閂に右手を伸ばしている。一方、質の良さを感じさせる艶やかな光沢を放つ黄色地の衣服に身を包む若い女は、男の顔を押し退けるように男の顔へ手を掛け、顔を仰け反らせている。この背徳的で堕胎的な秘密の情事とその行為を、射し込む強烈な一筋の光で照らしている。この登場人物の運動性や硬質的で冷麗な描写は、男の性的欲求とそれに準ずる行動、さらにそこに垣間見る人間の衝動性を表している。
 また散らかった室内や倒れる花瓶なども、この性的欲求の暴力的行為・行動をより強調している。この「かんぬき(閂)」と表現に性的な暗喩にある。