知床旅情

 知床旅情は、森繁久彌が作詞・作曲を手がけた楽曲。初出時の題は『しれとこ旅情』。1960年発表。
知床を舞台にしたご当地ソング。知床とは北海道北東部に位置する知床半島一帯をさす。知床国立公園があり世界遺産に登録されている。
 楽曲制作者は、俳優業のほかに歌手としてNHK紅白歌合戦への出場歴もある森繁久彌である。森繁が1960年の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床半島羅臼に長期滞在した際に制作され、その最終日に羅臼の人々の前で『さらば羅臼よ』という曲名で披露された。1962年の大晦日に放送された第13回NHK紅白歌合戦では、森繁自身によって披露された。原曲は「オホーツクの舟唄」。「徹子の部屋」の第1回放送の中で、このタイトルで熱唱している。
 1970年に加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカット。徐々に人気に火がついた。翌1971年にはオリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得、同年のオリコン年間チャートで2位にランクインした。加藤盤の累計売上は140万枚を記録。また、同楽曲で第22回NHK紅白歌合戦に初出場をしたほか、1969年に続いて2度目の第13回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞している。同楽曲のヒットの要因としては、当時日本国有鉄道がディスカバー・ジャパンのキャンペーンを展開していたことの相乗効果もあったといわれている。
 目梨郡羅臼町にある、海に面した「しおかぜ公園」には、森繁久彌が出演した上記映画『地の涯に生きるもの』(原作は戸川幸夫「オホーツク老人」)の老人の像と、「知床旅情」の歌碑が建立されている。また、斜里郡斜里町のウトロ地区のウトロ港の近くにある三角岩の前にも「知床旅情」の歌碑がある。
 原曲はオホーツクの舟唄という曲で、その曲の歌詞は1番・2番で知床の冬の厳しさを歌い、3番で春の訪れを喜ぶとともに、かすかに見える国後を「我がふるさと」と言い、いつか帰れる日を願う、と言うものである。この『オホーツクの舟唄』は、森繁久彌自身もレコーディングしているが、倍賞千恵子が主に歌っており、倍賞自身のアルバムに収録されている。