瀬戸の花嫁

 瀬戸の花嫁は1972年4月に発表された小柳ルミ子の4枚目のシングルである。小柳ルミ子としては「わたしの城下町」に次ぐヒットとなった。 
「わたしの城下町」同様、ディスカバー・ジャパン路線を踏襲する楽曲で「瀬戸内海」をテーマに製作された。瀬戸内海を代表するご当地ソングである。瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。曲の舞台が香川県小豆郡土庄町沖之島であるとする説がある。作詞の山上は四国へ仕事で行く途中、水中翼船で何度も通ったことがあり、水中翼船から見た段々畑と、美しい夕焼けの島々の景色が印象的で、それを思い浮かべ作詞をしたと話している。
 わたしの城下町を歌った小柳ルミ子は出生名小柳留美子で昭和27年、福岡市早良区生まれ母親は秋田県出身。幼少期は、娘を歌手にさせたかった母の期待を受け日本舞踊・クラシックバレエ・ジャズダンス・タップダンス・ピアノ・三味線・習字・歌、と計8つの習い事に通っていた。筑紫女学園中学校卒業後、宝塚音楽学校に入学。友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよの知り合いで、その口利きで在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出る。渡辺プロは「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と回答。昭和45年、言葉通り宝塚音楽学校を首席で卒業、歌手デビューとなった。なおデビュー時に「みんなの恋人」というキャッチフレーズをつかった。
 昭和46年に作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、「わたしの城下町」大ヒットし、1971年のオリコン年間シングル売上第1位を記録し、第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。その後に「お祭りの夜」や「京のにわか雨」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理・南沙織らとともに「三人娘」と呼ばれ、当時を代表するアイドルとなった。その後は歌唱力を活かした正統派歌手として「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」など、数々のヒット曲を飛ばした。デビューの昭和46年から昭和63年まで、NHK紅白歌合戦に18年連続出場という実績を残している。