フェルメール

フェルメールの時代背景

 オランダ(ネザーランド)は15世紀からスペインの統治下あった。しかしスペイン王のフェリペ2世が課した重税とプロテスタントへの弾圧がオランダ独立運動に火を付け、フェルメールが誕生したころはスペインとの80年戦争の渦中にあった。さらにポルトガルとの戦争へと続くが、戦争の最中に造船技術を向上させたオランダは、世界の海へと繰り出し、東インド会社を設立するなど貿易で利益を上げていった。そして「黄金時代」と言われるほどの繁栄を迎える。

 貿易によって商業が発展し、市民生活は豊かになり、学問も芸術も盛んになった。また当時のオランダはプロテスタントで、神聖ローマカトリックと対立して独立していた。プロテスタントは偶像崇拝を否定していたため、ヨーロッパ絵画の主流であった聖書を主題にした宗教画の必要はなくなり、代わり静物画、風俗画を自由に描けるようになった。また絵画の買い手も、市民生活が豊かになったことから、大きな城を持つ王侯貴族に代わりに市民が日常に関した絵画を買い求めるようになった。当時のオランダにはこのような時代背景があった。

 しかし黄金時代は長くは続かず、フェルメールが40歳ころに英蘭戦争があり、43歳で他界するころにはオランダの黄金時代は終わりを迎えるのである。

ヨハネス・フェルメールJohannes Vermeer 1632年1〜1675年)
 フェルメールは17世紀にオランダで活躍し、ルーベンス、レンブラントと並びオランダ黄金時代を代表する画家である。生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごし、43歳で他界するが、個人的資料やデッサンは残されていないことから、フェルメールの生涯はほとんどわかっていない。そのことが神秘的な雰囲気を生む背景になっている。

 初期の作品、「マリアとマルタの家のキリスト」に見られるように、初めは物語画家として出発した。やがて1656年の「取り持ち女」の頃から風俗画家へ転向する。小さく静かな写実的画面は、綿密な空間構成と巧みな光の表現に支えられている。フェルメールは「光の魔術師」と呼ばれ、その光の反射や質感の描き方で、世界の人々を魅了している。日本でも人気があり、17世紀のオランダ絵画において大きな存在になっている。

 現存する作品数は33点から37点と少ない。作品数が確定していないのは、「フルートを持つ女」のように、真作について意見が分かれているためで、また「合奏」は1990年に盗難にあって以来行方不明である。22年の画家歴からすれば30数点は寡作である。作品が小さく、少ないことが他の画家と違っていて、それが人気につながっている。

 フェルメールはオランダの古都デルフトに生まれる。デルフトは代々の王族の墓があり、陶磁器の製造でも有名である。父親は絹織物職人でパブと宿屋を営んでいた。9歳の時に現在「フェルメールの家」として知られるメーヘレンへ転居した。

 1653年、裕福な家の娘カタリーナ・ボルネスと結婚するが、フェルメールの父に借金があり、カタリーナがカトリックだったため、カタリーナの母親に結婚を反対されていた。プロテスタントとカトリックが結婚することは、想像以上に困難であった。
 結婚から8か月後に、聖ルカ組合に親方画家として登録される。フェルメールの父親も聖ルカ組合親方に加入していたが、聖ルカ組合とは画家を初めとする職人の組合で、タイルの色彩職人や陶磁器職人、画商なども聖ルカ組合に加入していた。聖ルカ組合に加入していないと社会的に一人前と認められず、画家として登録されるには最低6年の下積みが必要である。しかしフェルメールが誰の弟子として修業を積んだのか、師事した人物については不明である。

 新婚当初はメーヘレンで生活していたが、しばらくしてカタリーナの実家で裕福な母親とともに暮らすことになる。同居の理由は分からないが、作品の大半を焼失させた「1654年の大規模な弾薬庫の爆発事故」が原因とする説がある。妻との間に15人の子供が生まれ4人は夭折したが、それでも大家族だった。画業では養うことができなかったため、裕福な義母に頼らざるを得なかった。
 父親の死後、1655年に実家の家業を継いで、メーヘレンのパブ兼宿屋の経営に乗り出した。この収入やパトロン、裕福だった義母のおかげで、当時純金と同じほど高価だったラピスラズリを惜しげもなく絵に使用できた。またこの年、デ・ホーホが聖ルカ組合に加入したことで、彼との付き合いが始まった。この2人はのちに「デルフト派」と呼ばれるようになる。他のオランダの都市に比べて、この時代のデルフト派の美術品・工芸品は、よりエレガントな傾向にあるが、それはデルフトの上品な顧客層やオランダ総督の宮廷デン・ハーグに近く、宮廷の顧客の好みが反映されていたからで、フェルメールやデ・ホーホも洗練された静寂な作品を描いている。
 1657年、彼は生涯最大のパトロンである、醸造業者ライフェンと出会う。このパトロンはフェルメールを支え続け、彼の作品を20点所持していた。パトロンの援助があったため、仕事を丁寧にこなすことができ、年間2から3作という寡作であったが生活には十分であった。
 1670年代になると、画家兼美術商であるフェルメールにとって冬の時代がくる。第3次英蘭戦争が勃発したため、オランダの国土は荒れ、経済が低迷し、また彼とは違った画風の若手画家が台頭してきたことが追い打ちをかけた。さらにパトロンであるライフェンも亡くなり、戦争以降、彼の作品は1点も売れなくなった。彼の義母はかつてほど裕福でなくなり、オランダの絵画市場も大打撃を受け、オランダの画家数は17世紀末には17世紀中頃とを比べると4分の1に減少した。
 フェルメールの11人の子供のうち、8人が未成年だった。そのため負債をなくそうと駆け回ったが、とうとう首が回らなくなり、1675年にデルフトで死去した。享年43。
 彼の死後、フェルメール家は破産し、破産のため妻カタリーナは過酷な生活を送る羽目になった。フェルメールの死から12年後の1687年、56歳でカタリーナも死去した。

 

「忘れられた画家」と再発見
 生前フェルメールは画家として高い評価を得ていた。死後20年以上たった競売でも彼の作品は高値が付けられていた。しかし18世紀に入ると、フェルメールの名は忘れられていった。寡作で、しかも作品が個人のコレクションだったためである。
 しかし19世紀のフランスで再び脚光を浴びることになる。それまでのフランス画壇は、絵画は理想的題材を描くもの、非日常的なものを描くものという考えが支配していた。しかしその考えに反旗を翻し、民衆の日常生活を描くクールベやミレーが現れたのである。この新しい絵画の潮流が後の印象派へつながるが、このような時代背景の中で、写実主義を基本とした17世紀オランダ絵画が人気を獲得し、フェルメールが再び高い評価と人気を得ることになった。

 1866年にフランス人研究家トレ・ビュルガーが、美術雑誌に書いた論文がフェルメールに関する初の本格的な総説である。当時フェルメールに関する文献資料は少なく、ビュルガーは自らをフェルメールの「発見者」と称した。しかし実際にはフェルメールの評価は生前から高く、完全に「忘れられた画家」だったわけではない。ビュルガーは研究者だけでなくコレクターでもあり画商であった。彼はフェルメール「再発見」のシナリオによって利益を得ようとしたのである。その後、文学者であるプルーストやクローデルからも高く評価され、注目されることになった。
 フェルメールの絵画には、日本の着物を着た人物像が5点ほど描かれている。オランダ商人の経済力は、当時、世界的に注目を受けていた石見銀山で産出した銀を、出島からオランダにもたらし莫大な利益を生んでいた。オランダ商人の活躍が絵画の黄金時代を花開かせたといっても過言ではない。
贋作事件
 トレ・ビュルガーがフェルメールの作品として認定した絵画は70点以上にのぼる。しかしその後の研究によってこれらの作品の多くは、別人の作であることが明らかになった。20世紀に入るとフェルメールの贋作が多数現れてくる。中でも最大のスキャンダルとされるのがメーヘレンによる贋作事件である。

 この絵画史最大の贋作事件は、1945年ナチス・ドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの「キリストと悔恨の女」が押収されたことに始まる。売却経路の追及によって、メーヘレンが逮捕され、オランダの至宝を敵国に売り渡した売国奴と非難された。ところがメーヘレンはこの作品は自分が描いた贋作であると告白したのである。さらに多数のフェルメールの贋作を世に送り出し、その中には「エマオのキリスト」も含まれていた。「エマオのキリスト」はロッテルダムのボイマンス美術館が購入したもので、購入額54万ギルダーはオランダ絵画としては過去最高額であった。メーヘレンの贋物の自白を誰も信じなかったが、メーヘレンは法廷でフェルメールの「寺院で教えを受ける幼いキリスト」を実際にを真似て描いたことで、裁判所も認めざるを得なくなった。メーヘレンは「ナチスをだました男」として一躍英雄になり、詐欺罪だけの1年の実刑判決で済んだ。贋作「エマオのキリスト」は、現在でも教訓の意味を込めボイマンス美術館に展示されている。
フェルメールとダリ
 シュルレアリストとして有名な画家ダリは、フェルメールを絶賛しており、自ら「テーブルとして使われるフェルメールの亡霊」(1934年、ダリ美術館)、「フェルメールのレースを編む女に関する偏執狂的=批判的習作」(1955年、グッゲンハイム美術館)など、フェルメールをモチーフにした作品を描いている。ダリは著書の中で、歴史的芸術家達を技術、構成など項目別に採点しているが、レオナルド・ダ・ヴィンチやパブロ・ピカソなど名だたる天才を押しのけ、フェルメールに最高点をつけている。独創性において1点減点したが、それ以外はすべて満点をつけるほどの傾倒ぶりを見せている。
盗難事件
 1970年代以降、フェルメールの作品はたびたび盗難に遭った。1971年、アムステルダム国立美術館所蔵の「恋文」が、ブリュッセルで行われた展覧会への貸し出し中に盗難に遭った。程なく犯人は逮捕されたが、盗難の際に木枠からカンバスをナイフで切り出し、丸めて持ち歩いたため、周辺部の絵具が剥離してしまい、作品は深刻なダメージをこうむった。
 1974年2月23日、「ギターを弾く女」がロンドンのケンウッド・ハウスから盗まれた。この作品と引き換えに、「無期懲役刑に処せられているIRA暫定派のテロリストをロンドンの刑務所から北アイルランドの刑務所に移送せよ」との要求が犯人から突きつけられた。さらに5週間後には、ダブリン郊外の私邸ラスボロー・ハウスからフェルメールの「手紙を書く婦人と召使」をはじめ19点の絵画が盗まれた。こちらの犯人からも同じくテロリストの北アイルランド移送と、50万ポンドの身代金の要求があった。しかしイギリス政府はいずれの要求にも応じなかった。翌1975年1月、別件で逮捕されたIRAメンバーの宿泊先からケンウッド・ハウスから盗まれた絵画が無事保護された。さらにその翌々日、スコットランドヤードに「恋」はロンドン市内の墓地に置かれているという匿名の電話があり無事保護された。ラスボロー・ハウスの「手紙を書く婦人と召使」は1986年に盗まれたが、7年後の1993年に、囮捜査によって犯人グループが逮捕され、作品は取り戻されている。
 1990年3月18日の深夜1時過ぎ、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館にボストン市警の警察官を名乗る2人組が現れ、警備員を拘束しフェルメールの「合奏」をはじめ、レンブラントの「ガリラヤの海の嵐」、ドガ、マネの作品など計13点を強奪の上、逃走した。被害総額は当時の価値で2億ドルとも3億ドルともいわれ、史上最大の美術品盗難事件となった。これらの絵画は依然として発見されていない。

絵画技法

 何気ない日常生活の情景を、光と静寂の中で描いている。作品の中心をなす人物像は、精密に描かれているが、人物の周辺はあっさりとした描写になっている。この対比によって、見る者の視点を人物に集中させ画面に緊張感を与えている。「レースを編む女」の糸屑の固まり、「ヴァージナルの前に立つ女」の床の模様などが典型的な例である。また絵の意味を寓意する絵画の中に絵画(画中画)を描いた作品が多い。

 フェルメールの絵はカメラで撮ったカラー写真のようだと言われ、これほど写実的な絵画はないと思ってしまうほどである。しかし実際に、彼は「カメラ・オブスキュラ」というカメラの原型になる機械を使っていた。これは今日の写真器のは似ているが、大きな暗箱式の装置で、フィルムがなかったためフィルムに画像を定着させるのではなく、見るだけのものだった。しかし三次元の外界を二次元の平面に投影させるのだから、相当参考になったはずである。
 
 


聖プラクセディス
    制作年代:1655年
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:101.6×82.6cm
    個人蔵(日本・国立西洋美術館に寄託)

 個人の所蔵品としてモナコで展示されていたが、2014年に競売され、新たな所蔵者によって日本の国立西洋美術館に寄託された。フェルメールの真作かどうかについては意見が分かれてる。真作とすればもっとも初期の作になる。

 フェルメールの絵画のほとんどは風俗画であるが、この作品を含め、初期の3作品は物語画(歴史画)である。物語画(歴史画)とは聖書の物語やせんわの中の物語など、非日常的なもである。フェルメールの初期の時代は宗教を題材にした物語画(歴史画)こそが絵画であって、風景画や風俗画は価値観の低いものとされていた。

 本作品は、首を切られ処刑された殉教者の血を、スポンジで含み絞り取り絞っている「プラクセディス」を描いている。プラクセディスは2世紀の人物で、本作品はイタリアの画家フィケレッリが10年ほど前に描いた「聖プラクセディス」の写しと思われる。構図はフィケレッリの作品とほとんど同じであるが、本作品は手にスポンジを持ち、十字架を握っている点が異なっている。
 本作品は、1969年にメトロポリタン美術館で開催された展覧会で、フィケレッリの作品として出品された。しかし画面左下に「Meer 1655」との署名が発見され、画面右下にもこれとは別の署名が発見され、フェルメール作品と主張する研究者が現れた。フェルメール研究の権威者の1人であるウィーロックが、著書に収録して以降、フェルメールの作品として紹介されることが多い。


マルタとマリアの家のキリスト
    制作年代:1654年 - 1655年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:158.5×141.5cm
   スコットランド国立美術館(スコットランド、エディンバラ)

    スコットランドの実業家が1901年に購入。彼の死後、スコットランド国立絵画館に遺贈された。現存するフェルメール作品のうち、大きさは最大である。画題は「ルカによる福音書」10章のエピソードに基づく。

 キリストが、マルタとマリアという姉妹の家に招待された。マルタはキリストをもてなすため忙しく働いているが、熱心な信者のマリアは座り込んだままキリストの言葉を聞き働こうとしない。マルタが何もしないマリアをなじると、キリストは「マルタ、マルタ。あなたは多くのことに心を配り、思いわずらっている。しかし、大切なことは1つしかない。そしてマリアは正しい選択をしたのだ。マリアは神の言葉を選んだのだ。それを取り上げてはならない」。このように主イエスに宥められる場面である。フェルメール唯一の宗教画とされる。マリアの頬に手を当てるポーズは図像学的にはメランコリーを意味し、マリアが裸足であるのはキリストへの謙譲を意味する。

 フェルメール作品の中で最も初期の作品で、やや荒い筆跡や、大胆でダイナミックな場面展開、オランダ絵画主流派の影響を感じさせる明暗法による表現など、フェルメール独自の様式とは違っている。また本作では登場人物の視線による人間関係の表現が試みられていてる。


ディアナとニンフたち
    制作年代:1655年 - 1656年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:97.8×104.6cm
  マウリッツハイス美術館(オランダ、デン・ハーグ)

 1876年にオランダ政府が購入。当時はフェルメールでなくニコラース・マースの作品と信じられていた。現存するフェルメール作品のうち、神話の登場人物を題材にした唯一のもの。多くの研究者がフェルメールの真作とするが、疑問を呈する研究者もある。一番手前の人物がディアナ(頭上の三日月の飾りとウエストに巻いた動物の皮から分かる)。ニンフの一人がディアナの足を洗っているのは、キリストが弟子の足を洗ったエピソードを思わせる。他にも前景の水盤(純潔の象徴)、アザミ(受難の象徴)などのキリスト教的シンボルが目につく。ディアナの隣のニンフが自分の足をつかんでいるのも、十字架に足を釘付けされたキリストの受難を暗示する。画面左端の犬(スプリンガー・スパニエル)は、現存するフェルメール作品に登場する唯一の犬である。修復前には画面の右上方に青空が描かれていたが、これは後世に描き足されたものと判明し、修復時に除去されている。また、画面の右端が切り縮められており、制作当初の画面は現状より12センチほど幅が広かったと推定されている。


取り持ち女
    制作年代:1656年
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:140×130cm
    アルテ・マイスター絵画館(ドイツ、ドレスデン)

 「取り持ち女」とは売春婦と客との仲立ちをする「やり手婆」のことである。本作品に描かれるのは、宿屋で客を取る娼婦と、買う男達で、同時代の風俗的に場面が題材であることから、フェルメールが宗教画(物語画)から風俗画へと転換した時期の作品と見なされている。

 場面の中で娼婦を後ろから抱く男の左手は娼婦の乳房を掴み、右手では金貨を渡そうとしている。また娼婦も右手で金貨を受け取る仕草を見せ、左手にはワイングラスを手にしている。このような人物が見せる瞬間の動作や表情を捉えた表現は、当時23歳であった若きフェルメールの高い描写技術を示すものである。

 「取り持ち女」すなわちやり手婆は、左から2番目の人物がこれに当たる。なお根拠はないものの伝統的に画面中、左端でこちらに視線を向けて薄笑いしている男がフェルメールの自画像とされている。

 フェルメールの義母は、バビューレンが描いた「取り持ち女」の絵を持っていた。バビューレンの「取り持ち女」は、フェルメールの合奏」と「ヴァージナルの前に座る女」にも画中画として登場する。若き頃の作品であるため、奥行きのある作品だが空間の整理が出来ていない。天才も人間味溢れる一人の人間であったことを感じさせる。


眠る女
    制作年代:1657年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:87.6×76.5cm
   メトロポリタン美術館(アメリカ合衆国、ニューヨーク)

 デパート経営者が1908年に購入するが、1913年にメトロポリタン美術館に遺贈。室内の女性を描いた作品のうちもっとも初期のもの。画中にあるライオンの頭部の飾りのついた椅子、東洋風の絨毯、白いワイン入れなどは、以後のフェルメールの作品にしばしば登場する。テーブルの上の2つのワイングラス(1つは倒れている)は、女が酒に酔って眠り、家庭の主婦の勤めをおろそかにしていることを暗示している。テーブルの上の果物の鉢も性的な堕落を示唆するものである。女の背後の壁に掛けられた絵は、暗くてよく見えないが、「仮面を踏むキューピッド」(キューピッドは愛を、仮面は不誠実を意味する)が画中画として描かれている。女の背後の開けっぱなしのドアの向こうには隣の部屋が見えるが、X線写真によると、この部分には犬(やはり性的なものを示唆する)と、一人の男が描かれていた。後に画家によって塗りつぶされたことが明らかになっている。

 このことから失恋し憂鬱とワインによって酔いつぶれた女性と解釈されている。


窓辺で手紙を読む女
    制作年代:1657年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:83×64.5cm
    アルテ・マイスター絵画館

    1742年にザクセン選帝侯3世がレンブラントの作品と信じて購入し、第二次大戦後、一時的にモスクワに運ばれたが、1955年にドレスデン国立美術館に返還された。現在、アルテ・マイスター絵画館が所有している。

 「左方から光の入る室内にたたずむ女性」というフェルメールの典型的作品のうち、もっとも早い時期のものである。それまでの作品と比較し、空間の構成と光と影の表現に劇的な向上がみられる。女性の手前にはリンゴ、桃などが盛られた果物鉢が見える。傾いた鉢からこぼれる果物は堕罪や許されざる愛を、開かれた窓は外界への憧れを暗示する。X線写真によって、背景の壁には当初キューピッドの絵が掛けられ、画面右手前にはワイングラスが描かれていたが、後に塗りつぶされたことがわかっている。キューピッドやワイングラスは、画中の女性が読む手紙の内容は恋愛事で、その表情から女性が望む内容ではなかったと解釈できる。不倫相手からの悪い知らせを暗示している。

 当時オランダでは一般的であった真横から近距離で描く構図を用いているが、自然な空間構成や、開放された窓から射しこむ自然光の柔らかな表現は、女性の複雑な感情を照らし出すしている。画面の右部分を隠すカーテンは当時のオランダで流行したトロンプ・ルイユ(騙し絵)的な要素を取り入れたものである。


小路
    制作年代:1657 - 1658年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:53.5×43.5cm
    アムステルダム国立美術館(オランダ、アムステルダム)

 フェルメールの2点しか現存しない風景画のうちの1つ(もう1点は「デルフトの眺望」)である。デルフト市内のどこで描かれたかについては諸説あり、特定の場所を描いたものではないとする説もある。左から洗濯をする女、道端に座る二人の子供、戸口で針仕事をする老女が描かれているが、いずれも当時の人々のありふれた日常生活の一場面である。煉瓦で使用される赤褐色や、それらを繋ぐモルタルの白色、点綴法や何層にも重ねられた厚塗り描写など「牛乳を注ぐ女」や「ルフトの眺望」で用いられた手法と同じことから、同時期に手がけられたとされている。


士官と笑う娘
    制作年代:1658年 - 1660年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:50.5×46cm
    フリック・コレクション(アメリカ合衆国、ニューヨーク

    ワインを飲む女性と男性というテーマの作品は他に2点ある(紳士とワインを飲む女、ワイングラスを持つ娘)。女性の服は「窓辺で手紙を読む女」の女性の服と似ている。女性に比べ、手前の男性が不釣合いに大きく描かれているのは、作画にカメラ・オブスクラを利用したためと言われている。背景の地図はウィレム・ヤンスゾーン・ブラウが1620年に出版したホラント州と西フリースラントの地図で、「青衣の女」にも描かれている。


牛乳を注ぐ女
    制作年代:1658年 - 1660年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:45.4×40.6cm
    アムステルダム国立美術館(オランダ、アムステルダム)

 フェルメールの代表作の一つで、全ての作品の中でも特に人気が高い。使用人階級にあたる女性が牛乳を陶製の容器の中へ注ぎ込むという素朴な日常風景の一場面を描いた作品。壁、パン、籠、陶器などの質感描写が高く評価されている。画面右下の箱状のものは足温器。

 画面全体にフェルメールの大きな特徴のひとつであるポワンティエ技法(点綴法)が認められ、その光の表現における効果はテーブルの上に置かれるパンへ顕著に示されている(同部分の絵具層は三層に重ねられていることがX線調査によって判明した)。また左部の窓から室内に射し込んだ柔らかく明瞭な陽光描写や、画面を包み込む穏やかな雰囲気も特筆すべきである。牛乳を注ぐ女やテーブル上の黄色、青色、赤色と、背後の白壁との鮮やかなコントラストは観者に爽快な印象を与える。フェルメールはテーブル上により多くの食物を配するために、テーブルを長方形ではなく台形状に描いている。
 フェルメールの作品には女性像が多く、左から光が差す室内に立つ女性というテーマはおなじみだが、働く女中を単独で表したものはこれ1点のみである。モデルはフェルメールの義母の元で働いていたメイドとされている。なお本作にはかつては署名が記されていたことが判明しているが、現在ではその判別が極めて困難な状態にある。


紳士とワインを飲む女
    制作年代:1658年 - 1660年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:65×77cm
   所蔵:ウルリッヒ絵画館(ドイツ、ベルリン)

    室内の男女、ワインを飲む女性というテーマは明らかに男性から女性への誘惑を意味している。椅子に置かれた楽器(リュート)も恋愛と関わり深いモチーフである。男性の手はテーブルの上のデカンタの取っ手をつかみ、女性にもっとワインを飲ませようとするかに見える。窓の色ガラスには片手に直角定規、片手に馬の手綱とくつわ(欲望の統制を寓意する)を持つ「節制」の寓意像が表され、女性の行為に警告を発している。


ワイングラスを持つ娘
    制作年代:1659年 - 1660年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:77.5×66.7cm
    ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館(ドイツ、ブラウンシュヴァイク)

 邦題は「2人の紳士と女」とも。ワイングラスを手にこちらを思惑的な眼差しで見つめる女性、女性に言い寄る紳士、頬杖をつく紳士を描いた風俗画である。室内の男女とワインという道具立ては「紳士とワインを飲む女」と似ているが、もう一人の男性が加わること、女性の仕草にワインを飲むべきかためらっている様子が見えることが異なっている。男性2人の関係はあいまいで、女性に飲酒を勧めている男性は、後方に腰掛ける男性と女性との間を取り持っているとも見られている。窓ガラスの「節制」の寓意像は「ぶどう酒のグラス」と同じ。背景の画中画に描かれた男性の視線はワイングラスを持つ女性の方に向けられ、この場のなりゆきを見守るかのようである。画面右部の床と壁付近の矩形に注目すると歪んで見えるが、これは画家が透視法に則った為に不自然さが際立ってしまった例で、本作以降の作品には見られない。


中断された音楽の稽古
    制作年代:1660年 - 1661年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:39.3×44.4cm
   所蔵:フリック・コレクション

 音楽は恋愛と関連の深いモチーフである。左上の壁に掛けられた鳥篭は、家庭の主婦に期待される貞節を暗示する。背景の画中画は黒ずんでよく見えないが、片 手にカードを持つキューピッドの像で、「真実の愛はただ一人の人のためにある」という寓意を表すとされる。全体に画面の損傷が大きい。


デルフトの眺望
   制作年代:1660〜1661年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:96.5×115.7cm
    マウリッツハイス美術館

 フェルメールの生まれ故郷であり、生涯を過ごしたデルフトは、オランダ南ホラント州の古都である。ロッテルダムとデン・ハーグとの中間に位置し、人口は2007年の時点で約9万5千人である。

 本作品は市の南端にあるスヒー川の対岸から、運河と市壁に囲まれたデルフトを眺めた絵画である。街の前景に影を、後景に光を当てる描写や、理想的な美しさを求め現実の街を描いた表現は、風景画の中でも出来栄えである。中央にスヒーダム門(時計塔)、右にロッテルダム門が描かれ、スヒーダム門の時計から、時間が朝の7時過ぎであることがわかる。日中は賑わいを見せるデルフトの玄関口だが、陽はまだ昇りきっておらず、人も閑散としている。空が画面の半分以上を占める大胆な構図で、2つの門の間から、新教会の塔がひときわ明るく照らされている。

 なおマウリッツハイス美術館で本作品を観覧した20世紀フランス文学を代表する作家プルーストは、「あの絵画を見て、私は世界で最も美しい絵画を見たのだと悟った」と語り、自身の傑作『失われた時を求めて』に重要なモチーフとして登場させている。


音楽の稽古
   制作年代:1662年 - 1664年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:74×64.5cm
    ロイヤル・コレクション(イギリス、バッキンガム宮殿)

    女性が弾く楽器はチェンバロの小型版のヴァージナルである、その蓋には「音楽は喜びの伴侶、悲しみの薬」というラテン語の銘がある。演奏者を真後から捉え描くことによって、観る者を自然に入り込むような感覚を与えている。なお男の解釈については恋人説や音楽教師など様々な説が唱えられている。画面右端に掲げられている画中画はローマの慈愛(キモンとペロ)とされている。画面右側下半分へオリエンタル風の絨毯が掛けられる大きなテーブルが描かれている。またテーブルの上に乗せられる白磁器の水差しやヴァージナルの前の男女の間に置かれる青い椅子は、主に暖色が支配する本作の構図中で絶妙なアクセントとなっている。ヴァージナルの上に掛かる鏡は女性の姿を正しく写しておらず、鏡の中の女性の顔は音楽教師の男性の方へ向けられている。エックス線写真によると、当初は男女の距離はもっと近く、女性の頭部は男性の方に向いていた。


青衣の女
    制作年代:1663年 - 1664年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:46.6×39.1cm
    アムステルダム国立美術館

 1847年、アムステルダムの銀行家アードリアン・ファン・デル・ホープが市に寄贈。フェルメールの最盛期に何点か描いた、室内の単身女性像の1つである。画面向かって左から光が差す点は他の作品と共通しているが、他の作品と異なり、窓そのものは画面に描かれていない。青衣の女と、女が手にする手紙、壁に掛けられた世界地図、二脚の椅子、机とその上に乗る木箱、書籍、真珠、と極めて簡単な構成であるが、そこに射し込む柔らかく明瞭な光によって、各構成要素をあまり感じさせない。包み込むかのような自然で調和に満ちた描写である。

 壁に掛けられた世界地図は手紙の送り主が外海にいることを暗示し、また妊娠しているとも推測される青衣の女に関してフェルメールの妻カタリーナをモデルにしたとも考えられている。女性は妊娠しているように見えるが、この当時の女性のファッションはふくよかなシルエットが好まれ、厚手の綿の入ったスカートをはいているために妊娠しているように見えるという説もある。この点は、「天秤を持つ女」「真珠の首飾りの女」にも共通する。


天秤を持つ女
    制作年代:1664年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:39.7×35.5cm
    ナショナル・ギャラリー(アメリカ合衆国、ワシントンDC)

    ピーター・A・B・ワイドナー旧蔵。1942年に息子のジョセフからナショナル・ギャラリーに寄贈。左から光が差す室内に立つ女性というテーマはおなじみのものだが、本作品では閉じられたカーテンを通してわずかに光が差すのみである点が他の作品と異なる。テーブルの上には宝石箱と真珠のネックレスが見え、光を反映している。女性が右手に持つ天秤は真珠か金貨を量っているように見えるが、実際には天秤の皿の上には何も乗っていない。これまでこの女性は金貨や真珠を量っているものと考えられていたが、近年の顕微鏡調査によって、天秤には何も乗せられてないことが判明している。

 画面の1/4を占める作品内の画中画、女性の背後の絵は「最後の審判」、つまり、人間の魂が秤にかけられ、天国と地獄に振り分けられる様を表している。またこれまでの明瞭で自然的な光の描写から、やや暗めの光彩を用い、女性の顔や前半身・天秤・真珠・金貨・画中画の右縁など要点となる箇所へ光を強調して描いている。


水差しを持つ女
    制作年代:1664年 - 1665年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:45.7×40.6cm
    所蔵:メトロポリタン美術館

    来歴:銀行家のヘンリー・G・マーカンド旧蔵。左から光が差す室内に立つ女性という、おなじみのテーマである。女性は右手を窓枠にかけ、左手でテーブルの上の水差し(純潔や節制の象徴とされる)の取っ手をつかむ。窓の外に水差しの水を捨てようとしているかに見える。テーブルの上の宝石箱は虚栄を表すモチーフである。女性は「節制」を捨て、「虚栄」に走るべきかどうかの岐路に立っているのであろうか。


リュートを調弦する女
    制作年代:1664年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:51.4×45.7cm
    メトロポリタン美術館

  鉄道王コリス・P・ハンティントン旧蔵。1925年、メトロポリタン美術館に遺贈。題名は「窓辺でリュートを弾く女」とされることもあるが、画中の女性はリュートを弾いているのではなく、調弦しているところである。女性は窓の外を見つめ、誰かがやって来るのを心待ちにしている風情である。画中にはもう1つの楽器があり、向かって右には椅子があることも、やがてやって来る来訪者を暗示している。

 本作品は保存状態が悪いために傷みが激しく、また画面の暗さのため分かりづらく、一部の研究者は真作から除外していたが、署名が記されること、様式的特徴からほぼ真作と認められている。 


真珠の首飾りの女
    制作年代:1664年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:51.2×45.1cm
    所蔵:絵画館(ドイツ、ベルリン)

左から光が差す室内に立つ女性という、おなじみのテーマである。髪にリボン、耳に真珠のイヤリングを付けた女性は、真珠のネックレスに付けたリボンを持ち上げ、左の壁に掛かった鏡を見つめている。鏡、宝石などのモチーフは伝統的に虚栄を表すものである。背景は白い壁のみだが、エックス線写真により、当初は壁にネーデルラントの地図が掛けられていたのを後に塗りつぶしたことがわかっている。女性の着ている毛皮の縁のついた黄色の上着は『手紙を書く女』『婦人と召使』など、他のいくつかの作品にも登場するもので、フェルメールの死後に作成された財産目録にはこの上着に該当すると思われる「白の縁取りのついた黄色のサテンのコート」が記されている


手紙を書く女
    制作年代:1665年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:45×39.9cm
    所蔵:ナショナル・ギャラリー

画中の若い女性は、羽ペンを持って手紙を書く手を止めて鑑賞者の方へ視線を向けている。白い毛皮の縁のついた黄色い上着、テーブルの上の宝石箱とリボンのついた真珠のネックレスなどのモチーフは他の作品にも使われているものである。


赤い帽子の女
    制作年代:1665年〜1666年頃
    技法:板、油彩
    サイズ:22.8×18cm
    ナショナル・ギャラリー

 他のフェルメール作品に比べてサイズが小さいこと、カンヴァスでなく板に描かれていることなど異色の作品で、フェルメールの真作であるかどうか疑問視する意見もある。絵の前面には、フェルメールの絵にしばしば登場する、背もたれに獅子頭の飾りの付いた椅子の部分が見えている。絵の各所に見られる、フォーカスがぼけたような表現や点描風の描き方は、カメラ・オブスクーラを利用して作画したためと言われている。エックス線写真によって、この作品は男性の肖像を描いた別の絵を塗りつぶして描かれたことがわかっている。


真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)
    1665年 - 1666年頃 44.5×39cm カンヴァス、油彩
   オランダ・バーク・ マウリッツハイス美術館

 とりわけ人気の高いフェルメールの代表作である。体を横に向けながら、肩越しにこちらに顔を向けようとしている。潤んだ大きな瞳、少し空いた口元、まさに少女が振り向いた瞬間を捉えている。かすかな笑みを口元に示し謎めいた雰囲気から「北欧のモナリザ」「オランダのモナリザ」とも呼ばれている。フェルメールが33歳から34歳の頃で、画家として安定した技量を発揮していたころであった。

 他の多くのフェルメールの作品とは異なり、この作品には物語性や教訓性はなく、無地の暗い色を背景に、少女の上半身だけが描かれている。くっきり浮かび上がる少女の印象的な絵は、「光の画家フェルメール」の本質を見事に表している。一見すると、背景が暗く光とは無縁のようだが、無意味な誇張や派手さを抑えた背景である。少女の特徴であるターバンはオランダ社会のファッションとは無縁で、トルコの風俗であるが、当時強大だったトルコ帝国の影響なのか、異国趣味からなのか青いターバンの理由は謎のままである。

 この少女の神秘的な眼差しを生かしているのは、両目の瞳の端にある白い点である。白い粒ひとつを瞳に加えるだけで、生き生きとした生命感あふれる瞳になることをフェルメールは知っていたのである。さらに少女のイヤリングが衣服の襟に白く反射し、下唇を明るく光らせている。上唇の輪郭をぼかし、若々しさと瑞々しさを出している。また唇の両端と中央部に白いハイライトを置き、唇が濡れている感じを出している。少し開き加減の口元は、何かを言いたそうにも見え、また微笑しているようにも感じられ、強い印象と想像力を刺戟する。
 修復時の調査により、下塗りには黄土、赤、クリーム色などさまざまな色を使い分け、微妙な階調を出していることがわかった。

 この作品は、トレイシー・シュヴァリエが2000年に発表した小説「真珠の耳飾りの少女」およびその映画によって一段と有名になった。小説では、フェルメール家の女中がモデルとされ、フェルメールと女中との淡い恋物語がテーマであった。しかしこれは勿論フィクションで、実際のモデルが誰であったかは不明である。フェルメールの娘マーリア説、彼の妻説、恋人説、あるいはモデルなしの架空人物説などがある。フェルメールによる家族や知人の肖像画は無く、伝記などの記録もないため真相は不明である。

 当時のオランダでは、この作品は風俗画でも肖像画でもなくトロニー(頭部)と呼ばれ分類されていた。トロニーとは集団人物画のための研究として描かれたもので、モデルが肖像画のように似ている必要はなく、人物の地位や名声を気にせずに自由に描けたのである。そのためこの絵が作成された17世紀のオランダでは、この美少女が誰なのかを詮索する人はいなかったのである。

 今では名画として高く評価されている真珠の耳飾りの少女であるが、1882年のオークションでは2.5ギルダー(現在価値で1万円程度)で競り落とされた。現在取引きされたならば、価格は100億円とも150億円とも言われる。絵の価値を見抜くのは難しいが、評価は時代によって変貌することがわかる。


合奏
   制作年代:1665年 - 1666年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:72.5×64.7cm
    所蔵:イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館(アメリカ合衆国、ボストン)

    1892年にイザベラ・スチュワート・ガードナーがパリで開催されたオークションで5,000ドルで落札、1903年に創設した自身の美術館に所蔵。1990年に盗難されて以降行方不明。画面奥に楽器を演奏する人物を配する点は「音楽の稽古」と似るが、この絵では女性が2人になっている点が異なっている。左の女性が弾く楽器はチェンバロ(クラヴサン)で、蓋の裏面には田園風景の絵が描かれている。こちらに背を向けた中央の男性は斜めに置かれた椅子に腰掛けてリュートを弾き、右の女性は右手で調子を取りながら歌っている。背後の壁に掛けられた絵のうちの1枚は、フェルメール家の所蔵品であったディルク・ファン・バビューレン作「取り持ち女」である。これは売春婦と客、その両者を取り持つ「取り持ち女」を描いた絵であり、リュートを弾く男性の関心が音楽以外のところにもあることを暗示している。本作は1990年3月18日に所蔵先の美術館から盗まれた。フェルメールの作品は1970年以降相次いで盗難に遭ったが、本作品のみが現在も未発見でFBIが捜査中である。


フルートを持つ女
    制作年代:1665年 - 1670年頃
    技法:板、油彩
    サイズ:20×17.8cm
    所蔵:ナショナル・ギャラリー

この作品は保存状態が悪い上に出来映えも他のフェルメール作品に比べて劣ると評価され、フェルメールの真作とは見なさない研究者が多い。所蔵先の美術館でも「伝・フェルメール作」と表示している。フェルメールの描いた未完成作を彼の死後に他の画家が補筆したものだという説もある。フェルメール作とされる絵画のうち、板に描かれているのは本作品と『赤い帽子の女』のみである。


絵画芸術
    制作年代:1666年 - 1667年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:120×100cm
    美術史美術館(オーストリア、ウィーン)

 こちらに背を向け、カンヴァスに向かう画家とモデルの少女とが表されているが、この作品は単なるアトリエ風景の描写ではなく、絵画の中にさまざまな象徴や寓意が含まれ、絵画芸術そのものをテーマとした寓意画とされている。

 青のローブと黄色のスカートをまとったモデルの少女は、勝利を意味する月桂冠をかぶり、右手には名声を象徴するトランペットを持ち、手に持つ分厚い本は歴史や知識を象徴している。この少女は学芸の女神クリオに扮しているとされている。ルネッサンスの衣装をまとっている画家はフェルメール自身と解釈され、歴史画を描いていることになる。「歴史画」とは、聖書や古代の神話、古典文学、歴史上の事件などを題材とした絵画のことである。描く画家にも一定の教養と構想力が要求されるため、西洋においては「風俗画」「肖像画」「静物画」「風景画」などの他のジャンルの絵画よりも一段高いランクの絵画と見なされていた。背景の壁にかかる地図は、地図の中央にある大きな折りじわが南北両地域の境に当たとされ、北部諸州(オランダ)と南部諸州(ベルギー)に分かれる。宗教によって分断される前のネーデルラントの地図である。天井から下がるシャンデリアには過去の支配者であるハプスブルク家の紋章(双頭の鷲)が表されている。

 フェルメールは新教徒の家に生まれたが、結婚の際にカトリックに改宗したとされ、この絵画のモチーフはフェルメールのカトリック信仰の表明と見なされている。フェルメールはSIMまでこの絵を所有していたことから、本人にとっても重要な作品だったことがわかる。


少女
    制作年代:1666年 - 1667年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:44.5×40cm
    所蔵:メトロポリタン美術館

来歴:『真珠の耳飾の少女』と同様、無地の暗い背景に少女の上半身のみが描かれている。しかし、『真珠の耳飾の少女』ほど評価は高くなく、絵全体の印象もかなり異なっている。『真珠の耳飾の少女』同様、実在のモデルを描いたものかどうかは定かではない


婦人と召使
    制作年代:1667年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:90.2×78.7cm
    所蔵:フリック・コレクション

来歴:女主人と女中、そして手紙というモチーフは他の作品(『恋文』『手紙を書く婦人と召使』)にも共通するものだが、本作品では背景を黒で塗りつぶしている点が他と異なっている。女性が着ている、毛皮の縁のついた黄色の上着は他のいくつかの作品にも登場するものである


天文学者
    制作年代:1668年
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:50×45cm
    ルーヴル美術館(フランス、パリ)

    1886年以来ロートシルト家の所蔵。1940年ナチス・ドイツに接収されるが、第二次世界大戦後オーストリアで発見され、ロートシルト家に返却される。その後ルーヴル美術館が所蔵。フェルメールの現存作のうち、作者のサインとともに制作年が記された数少ない絵の1つである(他に制作年が記載されているのは「地理学者」、「聖プラクセディス」、「取り持ち女」のみ)。本作品は「地理学」とサイズがほぼ等しくことから、両者は一対の作品として構想されたとみなされている。

 フェルメールの作品にしては珍しく男性が描かれている。モデルについては確証はないが、フェルメールと同年の同郷の科学者レーウェンフックと言われている。フェルメールの死後、レーウェンフックが遺産の管理にあたっていたことから、2人の間には交流があったと考えられている。天文学者は天球儀に向かっている。その手前にあるのはアストロラープという、天体の角度を測る器械である。机の上の本はアドリアーン・メティウス著「星の研究と観察」という書物で、その本の何ページが開かれているかまで解明されている。壁の絵は「モーセの発見」であり、ユダヤの民を導いたモーセは地理学・天文学にも縁のある人物だと解釈されている。

 1886年から大戦までは「天文学者」はユダヤ系の金融一族、ロスチャイルド家の一人、フランス在住のエドゥアール・ド・ロチルドが所蔵していた。ナチス・ドイツは1940年のフランス侵攻時に「天文学者」を押収。ヒトラーは若い頃には画家を目指していたこともあり、抽象画を「退廃芸術」として弾圧する一方で、写実的な絵画を礼賛していた。特にフェルメールに魅了されていたという。もう1作「絵画芸術」という絵も、オーストリアの貴族からヒトラー個人が1940年に購入している。終戦に伴って「天文学者」はロスチャイルド家に返還されたが、1983年に相続税の現物納付としてフランス政府の持ち物になった。これ以降、ルーヴル美術館に展示されている。


地理学者
    制作年代:1669年
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:51.6×45.4cm
    所蔵:シュテーデル美術館(ドイツ、フランクフルト

来歴:『天文学者』と対をなす作品とされる。フェルメールの作品のうち、男性単独像は本作と『天文学者』の2点のみである。モデルは長髪や鼻の形が『天文学者』の男性と似ており、同一人物のように見える。地理学者は日本の綿入はんてんのようなローブを着、手にはコンパス(またはディバイダ)を持っている。背後のたんすの上の地球儀は、『天文学者』に描かれている天球儀とともにヨドクス・ホンディウス(1563年 - 1612年)の作になるものである。


レースを編む女
    制作年代:1669年 - 1670年頃
    技法:カンヴァス(板の裏打ち)、油彩
    サイズ:23.9×20.5cm
    所蔵:ルーヴル美術館

 来歴:フェルメールの作品には小品が多いが、中でも本作は『赤い帽子の女』『フルートを持つ女』とともにサイズの小さい作品の1つであり、(板でなく)カンヴァスに描かれた作品の中ではもっとも小さい。手紙のやりとり、楽器の演奏、飲酒といったテーマから離れ、生産的活動に努める女性を単独で表している点で、他のフェルメール作品とは異なっている。絵の各所に見える焦点のぼけたような描写(特に女性の手前の赤い糸に顕著に見られる)はカメラ・オブスクーラを用いて作画したことの影響と見なされている。


恋文
   制作年代:1669年 - 1670年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:44×38cm
    所蔵:アムステルダム国立美術館

来歴:手紙を読み、書き、受け取る女性の像は、フェルメールの得意としたものである。本作品では、手紙を受け取って当惑顔の女主人と、訳知り顔の女中が描かれ、物語の細部は鑑賞者の想像にゆだねられている。女主人が手にしている楽器(ここではシターン)は恋愛と関係の深いモチーフである。また、背後の壁に掛かる海景を表した絵は、女性の揺れ動く心を象徴している。洗濯物の入った籠や画面手前に見える箒は、恋に落ちた女性が(17世紀当時の価値観では女性の義務であった)家事をおろそかにしていることを暗示している。女主人と女中の描かれている長方形の空間を「鏡」であると見なす研究者もいる。なお、この作品は、ブリュッセルにおける展覧会に貸し出し中の1971年9月24日に盗難に遭い、2週間後に発見されたが、盗難の際に木枠からカンバスをナイフで切り出して丸めて持ち歩いたため、周辺部の絵具が剥離してしまい、作品は深刻なダメージを蒙った。窃盗犯は、東パキスタン難民義援金を要求しマスコミとも接触、その後ブリュッセル郊外で通報により逮捕され、懲役2年の判決を受けたが半年で出獄、29歳で病死した。難民救済と文化財のことの軽重を問う物議が起きた。


ギターを弾く女
    制作年代:1670年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:53×46.3cm

フェルメールの晩年(と言っても30代後半から40代前半であるが)の1670年代の作品には、明らかな画力の低下が見られ、この時期の作品は一般にあま り高く評価されていない。本作品も1660年代の最盛期の作品に比較すると表現が平板で単調になっている点は否めない。この作品は1974年2月23日に 盗難に遭った。犯人からは絵の返却と引き換えに政治的な要求が突き付けられ、その内容からIRA系の人物の犯行と推定された。要求が通らない場合は絵を燃 やすとの声明もあったが、盗難から2か月半後の5月6日、匿名の人物からの電話通報により、絵はロンドン市内で無事発見された。


手紙を書く婦人と召使
    制作年代:1670年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:71.1×60.5cm
    所蔵:アイルランド国立絵画館(アイルランド、ダブリン)

    来歴:ダブリンの実業家が旧蔵。1987年に現美術館に寄贈。フェルメールの作品には手紙をモチーフにしたものが多く、本作品もその中の1つである。女主人と女中を描いた作品は他に『恋文』と『婦人と召使』があるが、これら2作品が女中が女主人に手紙(おそらくは男性の愛人からのもの)を渡す場面を描いているのに対し、本作品では女性が手紙を書き、女中はその手紙が書き終わるのを待っているという構図である。女中は窓の外を見やっている。テーブルの前の床には印章と封蝋(手紙に封をするためのもの)が転がっている。背後の壁の絵は『モーセの発見』をテーマにしたもので、『天文学者』の背景にも描かれている。この絵は、アイルランドの首都ダブリンの近郊のブレシントンの実業家が所蔵していた時に2度盗難に遭っている。1度目は1974年4月26日に武装した犯人らにより強奪され、約1週間後の同年5月4日に発見された。犯人の1人はIRA支持者で指名手配中であったイギリスの上流階級出身の女性であった。判決は懲役9年。この事件の直後の修復で絵画上に「封蝋」が描かれていたことが発見された。12年後の1986年5月21日には同じ家からまたも盗まれ、この際はすぐには発見されなかったが、1993年、捜査当局は絵がベルギーにあってIRAに敵対する組織に密売されようとしていることを突き止め、ベルギー、イギリス、アイルランドの警察が合同で囮捜査を開始。同年9月1日、ベルギーのアントウェルペンで無事に絵を回収、犯人はアイルランドでも指折りの犯罪者マーチン・カーヒルであった。彼は逮捕されることはなかったが、後にIRAにより殺害された(映画『ザ・ジェネラル』に描かれている)。 絵はこの間の1987年にアイルランド国立絵画館に寄贈されている

信仰の寓意
    制作年代:1671年 - 1674年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:114.3×88.9cm
    所蔵:メトロポリタン美術館

  来歴:この作品より数年前に描かれた『絵画芸術』と同様、寓意をテーマにした作品であり、部屋の様子も『絵画芸術』のそれと似ている。片足を地球儀の上に乗せ、片手を胸に当てる女性は信仰の寓意像であり、手前の床に転がるリンゴと血を吐く蛇は原罪の象徴である。女性の視線は天井から下がるガラスの球体に向けられているが、この球体は信仰を受け入れる人間の理性の象徴とされている。女性の服装を含め、画中の道具立てはペルージャ出身のチェーザレ・リーパが著した寓意画像集『イコノロギア』に基づくものであることが指摘されている。背景の画中画はキリストの磔刑図で、ヤーコプ・ヨルダーンスの作とされている。オランダでは建国以来プロテスタントが支配的で、フェルメールの住んだデルフトも例外ではなかったが、本作品に見られるキリスト教のモチーフはカトリック的であり、カトリック信者からの注文と思われる(フェルメール自身は、結婚時に新教からカトリックへ改宗したと推定されている)。本作品については、細部はよく描かれているものの、女性の身振りが芝居がかっていて品位に欠ける点、女性の身体把握(特に右脚の位置)に不自然さが見られる点などから、現代の美術界ではあまり高い芸術的評価は与えられていない


ヴァージナルの前に立つ女
    制作年代:1672年 - 1673年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:51.8×45.2cm
    所蔵:ナショナル・ギャラリー(イギリス、ロンドン)

似た主題の『ヴァージナルの前に座る女』とともに晩年の作品と見なされている。左方の窓から光の入る室内という設定はおなじみのものだが、この作品では、室内全体が明るく照らされていることと、女性が光に背を向けて立っている点が他の作品と異なっている。背景の画中画はトランプの「1」のカードを持つキューピッド像で、女性の愛がただ一人の人にのみ向けられるべきものであることを意味している。同じ画中画は『中断された音楽の稽古』にも見られる。室内の壁の一番下、床との境目の部分には白地に青の模様の入ったデルフト焼きのタイルが貼られている。これは壁のこの部分が掃除の時などに傷むのを防ぐためのものである。


ヴァージナルの前に座る女
    制作年代:1675年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:51.5×45.6cm
    ナショナル・ギャラリー

 「ヴァージナルの前に立つ女」やヤン・ミーンス・モーレナール作の「ヴァージナルを奏でる女」(アムステルダム国立美術館所蔵)とテーマが似ている。前者とは画面のサイズもほぼ等しいことから対の作品として描かれた可能性がある。ただし、本作品は「ヴァージナルの前に立つ女」に比べても画力の衰えが見られ、フェルメールが43歳で没する直前の作と考えられている。画力の衰えは、背景の画中画の額縁の簡略な描き方や、ヴァージナルの側面の大理石模様の描写などに端的に見られる。画中画は「合奏」の背景にも描かれていた、ディルク・ファン・バビューレン作「やり手婆あ」(娼館の情景を描いた絵)であるが、この画中画が絵のテーマと密接に関係しているかどうかは定かでない。


ヴァージナルの前に座る若い女
    制作年代:1670年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:5.2×20cm
    個人蔵

 ベイト・コレクション旧蔵。1960年にベイト家からブリュッセルの個人に譲渡。2004年、サザビーズに出品。本作品は文献で初めて紹介されたのは1904年であるが、長年模作または贋作とされていた。2004年、専門家の鑑定の結果、キャンバスと絵具が17世紀のものであることから、フェルメールの真作と見なされるようになった。そして同年のサザビーズのオークションに出品されて一般に知られるようになった。2008年の東京におけるフェルメール展の監修者であるピーター・C・サットンは、この作品のカンヴァスの組織が「レースを編む女」のカンヴァスとほぼ同一であり、両者は同じ布から裁断されたと推定され、本作品と「レースを編む女」のモデルの髪型がほぼ同じであること、本作品にはフェルメール特有の画材である高価なラピスラズリが使用されていることなどから、本作をフェルメールの真作と断定している。