カンディンスキー

ワシリー・カンディンスキー

(1866年〜 1944年 78歳没)Wassily Kandinsky
 ロシア出身の画家であり、美術理論家。一般に、抽象絵画の創始者とされる。カンディンスキーはモスクワに生まれ、子供時代をオデッサで過ごした。1886年からモスクワ大学で法律と政治経済を学ぶ。フランス印象派展で見たモネの「積藁」が忘れられず、1896年(30歳)にミュンヘンで象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事して絵の勉強を始める。1902年、ベルリンの分離派展に出品。1904年からはパリのサロン・ドートンヌにも出品している。1909年には新ミュンヘン美術家協会会長となるが、1911年にはフランツ・マルクとともに脱退して「青騎士」を結成する。その間の1910年に最初の抽象画を手掛け、絵画表現の歴史に新たな一歩を記している。代表作の「コンポジション」シリーズは最初のドイツ滞在期に制作された。

 ロシア革命後、モスクワに戻った。当時のソ連は、レーニンによって前衛芸術は「革命的」として認められ、カンディンスキーは政治委員などを務めた。しかしスターリンが台頭するにつれ前衛芸術は軽視されるようになり、スターリンが共産党書記長に就く直前の1921年に再びモスクワを離れてドイツへと向かった。1922年からはバウハウスで教官を務めたが、1933年にナチス・ドイツによってバウハウスが閉鎖されたためフランスに亡命した。

 フランスはナチスによって占領されたが、アメリカへの移住を拒否し、パリ郊外でその生涯を閉じた。
 ナチス占領下のフランスでは、作品の展示を禁止され、彼について論じることをも禁止されるなど不遇のまま亡くなった。1967年に未亡人のニーナが、晩年の彼を支えた事でレジオンドヌール勲章を受けた。