長崎は今日も雨だった

「長崎は今日も雨だった」は永田貴子作詞、彩木雅夫作曲、森岡賢一郎編曲で、昭和44年に発売された内山田洋とクール・ファイブの最大のヒット曲である。グループ脱退後、ソロ活動中の前川清の代表曲でもある。内山田洋とクール・ファイブは長崎市内のグランドキャバレー「銀馬車」の専属バンドで、ラテンやジャズなど幅広いレパートリーを有していた。一方、競合店「十二番館」の専属バンドは中井昭・高橋勝とコロラティーノで、「思案橋ブルース」で1年早く世に出ていた。昭和43年、佐世保のナイトクラブの歌手前川清をリードボーカルに売り出す計画が始動した。「涙こがした恋」に続くデビュー曲で、『銀馬車』の音楽監督だった吉田が急造した詞を、当時北海道放送でディレクターを務めていた彩木雅夫に手渡して「長崎は今日も雨だった」が完成した。

 発売約4ヶ月後にオリコンBEST10入り。森進一の「港町ブルース」や森山良子の「禁じられた恋」に阻まれて2位止まりとなるが、年間売上第8位のロングセラーになった。累計売上は約150万枚に達する。この曲のヒットで同年の第11回日本レコード大賞新人賞を受賞、「第20回NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たし、クール・ファイブは一躍全国区に名乗りを上げた。
 昭和10年の「長崎行進曲」以来、長崎をテーマにした歌は1000曲以上あり、ヒットした曲だけでも70曲以上とされている。「長崎の女」(春日八郎、昭和38年)、「長崎ブルース」(青江三奈、昭和43年)、「思案橋ブルース」(中井昭・高橋勝とコロラティーノ、昭和43年)、「長崎は今日も雨だった」(昭和44年)、「長崎の夜はむらさき」(瀬川瑛子、昭和45年)このように長崎県のご当地ソングがヒットを連発したことから事から、全国的な長崎ブームを巻き起こし観光面でも大きく貢献した。
 この曲や長崎大水害などから「長崎は雨が多い」という誤解が定着したが、ヒットした昭和44年前後の長崎市は慢性的な水不足だった。長崎市は東京など他の都市に比べても、降水量は少ない方であるが、オランダ坂に雨がしっとり振り、その中を和服の美人が傘もささずにひとり歩くイメージだけで、歌詞の格好のイメージになるのだった。