涙の連絡船

  涙の連絡船は都はるみのシングルである。都はるみにとって前年に発売した「アンコ椿は恋の花」以来2作目となるミリオンセラーで、本曲で昭和40年の「第16回NHK紅白歌合戦」に紅白初出場を果たした。累計売上は155万枚を記録した。

 前年の「アンコ椿は恋の花」は都はるみにとって初めてのヒット曲でミリオンセラーになった。また第6回日本レコード大賞の新人賞を受賞し、両曲ともに映画化されている。

 「アンコ椿は恋の花」は伊豆大島を舞台にした楽曲で、波浮港が登場する。表題中の「アンコ」とは、伊豆大島のことばで目上の女性を指し、「お姉さん」の訛った言葉とされている。
 都 はるみ(昭和23年~)本名北村春美は京都の織物屋に生まれる。子供の頃から歌が上手だったが、芸能好きの母親がはるみが5歳の時から日本舞踊とバレエを習わせ、6歳から母親が浪曲と民謡を教えた。唸りを出させるため、1回唸ると10円あげるという方法で練習させた。洛陽女子高等学校を「歌手になります!」と言って中退。京都出身なので当初は「京はるみ」の芸名でデビュー予定だったが、既に同名の歌手がいることが分かり「都はるみ」に変更した。昭和39年、「困るのことヨ」でデビュー。同年の「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーとなり一躍注目された。同年、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得する。

 「はるみ節」と呼ばれように、唸り声のような力強いこぶし、波打つような深いビブラートが特徴であった。これまでの演歌は「ちりめんビブラート」と呼ばれ、細かく振れ幅の狭いビブラートが主流だったが、彼女はゆっくりとした振れ幅の大きなビブラートで歌い聴衆に衝撃を与えた。昭和40年代から50年代にかけて数多くのヒット曲を歌い、名実ともに日本を代表する演歌歌手となった。

 「涙の連絡船」は唸らないことを意識した曲である。来るはずのない男性に会うため、連絡船が着くたびに港に行く女、一人ぼっちで波止場で待つ女を、うまく歌いきっている。
 昭和43年「好きになった人」、昭和54年「北の宿から」、昭和55年「大阪しぐれ」などのヒット曲を出す。36歳において「普通のおばさんになりたい」と突然の歌手引退を宣言。この年の「第35回NHK紅白歌合戦」の出場を最後に一旦引退するが、美空ひばりの訃報を機に歌手復帰を決心する。その年の「第40回NHK紅白歌合戦」に出場し、「アンコ椿は恋の花」を歌唱。以前と変わらぬ歌声を披露し、翌年、歌手活動の完全復帰を発表した。

涙の連絡船
歌:都はるみ    
作詞:関沢新一 作曲:市川昭介



いつも群れ飛ぶ かもめさえ
とうに忘れた 恋なのに
今夜も 汽笛が 汽笛が 汽笛が
独りぽっちで 泣いている
忘れられない 私がばかね
連絡船の 着く港

きっとくるよの 気休めは
旅のお方の 口ぐせか
今夜も 汽笛が 汽笛が 汽笛が
風の便りを 待てと言う
たった一夜の 思い出なのに
連絡船の 着く港

船はいつかは 帰るけど
待てど戻らぬ 人もあろ
今夜も 汽笛が 汽笛が 汽笛が
暗い波間で 泣きじゃくる
泣けばちるちる 涙のつぶが
連絡船の 着く港