高校三年生

舟木一夫(1944年〜
 舟木 一夫、本名上田成幸は、愛知県中島郡萩原町出身の歌手。学生服と八重歯がトレードマークで、デビュー当時は高校生活をテーマにした歌が多かった。同じ時期にデビューした西郷輝彦、橋幸夫とともに「御三家」として人気を集める。青春ソングの定番「高校三年生」は同窓会の時の歌の定番にもなっている。また「銭形平次」のテーマソングのように時代モノも歌っている。
 昭和36年夏、名古屋で行われた「松島アキラショー」で、ステージ上の松島アキラが「湖愁」を誰か一緒に歌わないかと客席に声を掛けた。その時、前列に居た高校生が勢いよく手を上げ、見事に「湖愁」を歌いきった。この少年こそが舟木一夫である。 偶然そこに取材に来ていた「週刊明星」の記者が目を付け、少年に氏名と住所を聞き、ホリプロの会長だった堀威夫に名古屋での出来事を話し、興味を持った堀は、上田少年に歌のテープを送ることを依頼。そのテープを聴いた堀は、少年を上京させ日本コロムビアのディレクターに紹介。遠藤実のレッスンを受けさせることにした。少年は愛知高等学校から自由ヶ丘学園高等学校転校して通いながら、遠藤実のレッスンを受けることとなった。 上田少年は芸名を舟木一夫とし、ホリプロに所属することになった。社長の堀は、舞台で時々学生服を着て歌っていた橋幸夫の対抗馬として、現役高校生だった舟木一夫を学生服でデビューさせたのであった。
 1963年、デビュー曲は遠藤実作曲、丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。4月で高校を卒業していた舟木だったが、遠藤実の指示で歌謡界では異例の学生服デビューとなった。「高校三年生」は、発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、舟木一夫は第5回日本レコード大賞新人賞を受賞した。デビューから2ヵ月後、本人が主演した同名映画も大ヒットし、舟木一夫は一躍スター歌手になった。それに続き、学園三部作と言われた「修学旅行」「学園広場」もヒットした。
 1970年前後には、こうした青春ソング以外にも時代モノ、民謡調などの歌にも独特の持ち味で数々のヒットを飛ばした。テレビ時代劇「銭形平次」のテーマソングも、番組のロングランもあって舟木の歌としてよく知られている。また特に詩歌、文学をモチーフにした叙情歌謡と呼ばれるジャンルでは持ち前の歌唱を活かして第一人者的存在となり、「絶唱」「夕笛」「初恋」などがヒットし、1966年には「絶唱」で第8回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。このジャンルとしてはその集大成ともいうべきアルバム「その人は昔」がある。これは作家松山善三の長編抒情詩をすべて舟木一夫の歌唱で埋めるという作品で、舟木一夫の歌唱力が最大限に発揮されている。この作品はLPとしては当時記録的な売上となり、後に舟木一夫と内藤洋子の主演により映画化もされた。
 1969年までは名実共に高い人気を保持していたものの1970年に入ると、かねてより多数出演していた歌謡映画が廃れ、TVドラマへの需要が無くなり、それに追い討ちを掛けるが如く歌謡界の変化に伴い表立った仕事は激減し舞台と地方公演が主な活動の場となってゆく。それゆえに1970年と1971年と1972年に自殺を図るが未遂に終わったり、1973年に心身の不調のため翌年まで10ヶ月間静養することとなる。
 その後十数年に渡り不遇時代が続いたが、デビュー30周年プレ公演を機に、主に中高年女性のアイドルとして人気再燃、そのなかで「同じ青春を過ごした仲間にしか通用しない歌い手でいい」と述べている。そして1999年には中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!'99」を歌った。2007年にはデビュー45周年を迎え記念コンサートを行う。そして「単なる流行歌でない。何も変える必要はない。これでいい」と述べている。現在も歌手として活躍しているほか、舞台俳優としても毎年公演をこなし、幅広い層から根強いファンを集めている。