梓みちよ

梓 みちよ(1943年 - )
 本名は林美千代。福岡県福岡市博多区出身、福岡女学院中学校・高等学校1年で宝塚音楽学校入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに合格し、1962年に「ボサノバ娘」のキャッチフレーズで「ボッサ・ノバでキッス」でデビューした。
「夢であいましょう」の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)が大ヒットし、同年の第5回日本レコード大賞の大賞を受賞。また「第14回NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たした。また同曲は1964年5月、昭和天皇の御前でこの歌を披露し、初めての天覧歌謡曲となる。
 その後は歌手として人気が一時低迷、1971年に俳優の和田浩治と結婚したが、翌年に離婚している。デビューから清純歌手のイメージで売っていたが、実際は10代の頃から飲酒や喫煙を行っているなど清純とはほど遠いもので、そのイメージが嫌で仕方なかったと発言している。本人の意向もあり、1970年代以降は大人の女路線へとイメージチェンジしていく。1974年には床に座り込んで歌う「二人でお酒を」(作詞・山上路夫、作曲・平尾昌晃)が久々に大ヒット。同曲で第5回日本歌謡大賞・放送音楽賞、同年末の第16回日本レコード大賞・大衆賞を受賞し、また『第25回NHK紅白歌合戦』にも5年ぶり8回目の復帰出場を果たし、イメージ・チェンジを成功させた。1975年末の『第26回NHK紅白歌合戦』は、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲「リリー・マルレーン」を日本語詞で歌唱。1976年は「メランコリー」(作詞・喜多条忠、作曲・吉田拓郎)が翌1977年にかけてロングヒット。同曲で1976年末に第18回日本レコード大賞・編曲賞(編曲・萩田光雄)を受賞し、『第27回NHK紅白歌合戦』に3年連続で出演した。
 自身の持ち歌である「こんにちは赤ちゃん」を長年コンサートで歌わなかった。その理由は「この歌は今、私にとって重すぎる」、「いまさらこの歌は私には似合わない」などというものだったが、2002年の40周年記念コンサートでのアンコールの際に「初めて、心からこの歌の素晴らしさを理解することが出来た。こんな良い歌を今まで歌わなかったのか、情けない」と言い、封印を解き歌唱。以後はステージでも必ず歌うようになった。「良い歌は古い歌でも後輩の歌でも関係なく歌っていきたい」とJポップ、歌謡曲からタンゴ、シャンソンなど幅広いジャンルの歌を唄っている。