マティス

アンリ・マティス(1869年〜1954年(84歳)
 マティスは、フランスの画家。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。彫刻および版画も手がけている。フォーヴィスム(野獣派)と呼ばれているが、野獣派の活動は短期間で。その後も代表的芸術家の一人として活動を続けた。
 フランス に生まれパリ大学に進学、法律事務所に勤めていたが、盲腸炎で入院中に絵画に興味を持ち、画家に転向する。国立美術学校でモローの指導を請け、同級生のルオーとは生涯の友情を結ぶ。
 マティスの初期のは写実的なものを志していたが、次第にゴッホ 、ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、自由な色彩による絵画表現を追究するようになる。「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」、「ダンスI」など、大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表した。フォーヴィスム(野獣派)とは「色彩を現実から解放し、例えば人の顔を描いても髪は緑だったり、感性の赴くままに色を配置した」、このことを批評家が皮肉を込めて読んだのだった。マティスは「私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい」とのべ、フォーヴィスム(野獣派)と呼ばれることをひどく嫌っていた。
 線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達する。マティスにとってハサミは鉛筆以上に素画に適した道具だったのである。晩年、南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当。この礼拝堂はマティス芸術の集大成とされ、切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、20世紀キリスト教美術の代表作と目される。
 また、緑好きが高じて一風変わったアトリエを作った。テーブルの上に所狭しと並べられた多様な花。身の丈を越す巨大な観葉植物など、まるで植物園のようであった。さらに大好きな鳥を多い時には300羽も飼っていたと云われている。草花が満ち溢れ、鳥たちが憩うアトリエから数々の傑作を生み出した。巨匠が晩年辿りついた癒しに満ちた世界。名画誕生の舞台となった緑いっぱいのアトリエであった。
 そして体力がなくなっていったマティスは油絵から切り紙絵へと変更する。アシスタントに色紙を作ってもらい、はさみで切り抜いて作品を作り上げていった。体調の変化で作品にも変化が現れ、自然から受ける感覚、感触をダイレクトに現すようなことができるようになっていった。形を見るというより、花や植物から感じる安らぎを心の目で見ると、はさみを使うという身体的な動きを通して機能化して表現、生命そのものの記号になるように求めていったのである。
 2004年に日本の国立西洋美術館ほかで日本初の大規模なアンリ・マティス展が開かれた。作品は初期の絵画から晩年までにわたり、制作作業を収めたドキュメンタリーフィルムも公開されている。