黒い花びら

黒い花びら
 作詞永六輔、作曲中村八大で水原弘が歌い第1回日本レコード大賞に輝いた。水原弘のデビューにして代表曲である。同名の映画が東宝から公開され、主演は水原弘であった。
 水原弘(本名高和正弘)愛称は「おミズ」は昭和10年に東京都江東区に生まれ、東京都立赤坂高等学校商業科を卒業している。高校2年の時に文化放送主催の「素人ジャズ喉自慢」で優勝。その後ジャズ喫茶でスカウトされ芸能界に入った。

 夏木陽介主演の東宝映画「青春を賭けろ」に歌手役で出演。「黒い花びら」は発売初年に30万枚、総合計57万枚の大ヒットとなった。その歌唱力は誰もが認め、独特の甘い低音で一世を風靡した。しかし勝新太郎への憧憬があり、「宵越しの金は持たない」とした破天荒な生活に傾倒。取り巻きを引き連れて夜の街を豪遊し、「業界屈指の酒豪」と呼ばれ、「水代わりにレミーマルタン」との逸話が残るほどで、飲酒やギャンブルに加え、高利貸し、闇金融から多額の借金を抱えていた。昭和40年、警視庁が暴力団の頂上作戦が行われ、花札賭博に水原が参加していたことが発覚。事実上の芸能界の追放となった。しかし昭和42年、「君こそわが命」(作詞:川内康範・作曲:猪俣公章)を歌い、その歌唱力で大ヒットとなった。「奇跡のカムバック」と言われ、第9回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。その後も活躍したが、酒びたりの生活が祟り病気がちになる。
 昭和45年、アース製薬のエアゾール式殺虫剤「ハイアース」のテレビCMに由美かおるとともに出演。水原を起用した同商品の看板も造られ、全国津々浦々に設置された。この時期、再び放蕩三昧の生活に舞い戻り、膨れ上がる借金でクラブ、キャバレーの地方営業を休みなしでやらざるを得なくなった。

 昭和52年、巡業先の金沢市で倒れ、病院と自宅静養くりかえしたが、アルコール性の急性肝炎から慢性肝炎、肝硬変を発症しており、極めて深刻な状況を迎えていた。しかし1億数千万とも言われた借金を返済するため、水原は「馬車馬のように」全国を営業し続け、酒も手放すことはなかった。
 昭和53年、北九州市小倉北区の宿泊先の客室トイレで大量に吐血し、瀕死の状態で倒れているのを発見され、健和総合病院に救急搬送。11日後、42歳の若さで死去。