有楽町で逢いましょう

有楽町で逢いましょう
 フランク永井の曲である。この曲は、大阪に本社のあるデパートそごうが東京進出に有楽町を候補地とした事から始まる。当時の有楽町は闇市の面影があり、有楽町の高級化キャンペーンとして「有楽町で逢いましょう」が企画されたのである。当時、アメリカで流行していた「ラスベガスで逢いましょう」をマネたキャッチフレーズであった。

 日本テレビにもデパートからこの話が持ち込まれ、歌番組「有楽町で逢いましょう」が昭和32年4月から放送開始された。このことから「有楽町で逢いましょう」は当時の流行語となり、有楽町そごうは開店前から評判が高いまま開店したが、開店初日は雨にも拘らず30万人以上の来客で賑った。さらに「有楽町で逢いましょう」を佐伯孝夫作詞/吉田正作曲で作成され、フランク永井が歌唱した。その後、大映が映画化を行い、後に夫婦となる川口浩と野添ひとみの他、京マチ子、菅原謙二らの大映オールスターが映画に名を連ね、フランク永井自身も主題歌「有楽町で逢いましょう」を歌唱する場面に出演している。

 有楽町そごう跡の読売会館は、平成13年よりビックカメラがテナントとして入居している。レコードは発売から半年で約50万枚を売り上げ、現在でも人気の高い曲になっている。また有楽町マリオン前にはこの楽曲の石碑が設置されている。

 フランク永井(本名:永井清人)は宮城県出身。歌手を目指して上京、トラック運転手などをしながら、進駐軍のクラブでジャズを歌っているうちに、作曲家・吉田正の目にとまり、歌謡曲に転向。この「有楽町で逢いましょう」で、一躍有名になる。昭和60年、フランク永井は自宅で首吊り自殺を図った。自殺の原因は、愛人との間の子供の認知問題を苦にしたものと報道された。発見が早かったため、一命は取りとめたが脳に障害を残し、会話が不自由で記憶が乏しくなるなどの後遺症を患った。平成20年10月、東京の自宅で肺炎のため逝去。76歳没。