この世の花

この世の花
 この世の花は雑誌「明星」に連載された北条誠の小説で大変な人気だった。そのため松竹で映画化され、この映画の主題歌が同名の曲で、島倉千代子が歌手デビューを果たした。
 島倉千代子(昭和13年〜平成25年)は、東京都品川区北品川に生まれ、日本音楽高等学校卒業である。7歳の時、長野松本市へ疎開。水の入ったビンを割り、この時の輸血がのちのC型肝炎の原因となった。9歳で東京に戻り、12歳で童謡「お山のお猿」がテイチクレコードから発売された。ただし誤植により「戸倉千代子」となっていたため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった。

 15歳で日本音楽高等学校へ入学すると、歌謡コンクールにも参加するようになり、昭和29年、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。翌年、16歳で本名「島倉千代子」でデビューした。デビュー曲「この世の花」は、初代コロンビア・ローズが吹き込む予定だったが、ローズが地方公演中のためスケジュールが映画公園と合わず、島倉千代子に大役が回ってきたのだった。しかし可憐な島倉が「散るもいじらし、初恋の花」と歌うのだから、ヒットしないはずがない。また高音に独自の哀愁を持ち彼女にぴったりの曲だった。半年後に200万枚達成し人気歌手になる。

 さらに19歳で「東京だョおっ母さん」が150万枚のヒットとなった。映画化もなされ自ら主演、この年初めてNHK紅白歌合戦に出場した。20歳には「からたち日記」が130万枚のヒットとなった。
 25歳、元阪神タイガースの藤本勝巳と結婚。30歳、「泣き節」を売り物としていた彼女には異色の作品である「愛のさざなみ」がヒット。この曲で第10回日本レコード大賞・特別賞を春日八郎と共に受賞。すれ違いの多い生活により、藤本勝巳とは別居を経て離婚している。
 昭和50年、以前かかった眼科医に頼まれ実印を貸してしまう。その他、島倉が知らない間にマネージャーや全く面識のない赤の他人まで大多数の保証人になってしまう。千代子を保証人に借金を重ねた人たちはその後行方不明になったりして、借金が雪だるま式に膨らみ総額16億円もの借金を抱えた。昭和52年、島倉が信頼して手形の裏書きをした守屋義人が事業に失敗して蒸発。借金の連帯保証人になり、これにより更に2億4000万円の債務を負う。20億近くの莫大な借金返済のため、写真集の発売や全国各地のキャバレー回りや地方興行などをしながら、足掛け7年程で完済した。このような島倉千代子であったが、人気は衰えを知らず、NHK紅白歌合戦の連続出場記録は続いた。
 昭和62年、「人生いろいろ」を発表、130万枚の大ヒットを記録。『第30回日本レコード大賞』で最優秀歌唱賞を受賞。「第39回NHK紅白歌合戦」に2年ぶり31回目の復帰出場となる。
 平成16年、歌手生活50周年を迎える。「第55回NHK紅白歌合戦」に生涯最後となった35回目の出場を果たす。平成19年、69歳、事務所のスタッフに資産を奪われ再び多額の借金を抱える。、平成20年、「人生いろいろ」が出身地の品川区の青物横丁駅のメロディに採用されれ、島倉自身が青物横丁駅を訪れて流れる駅メロに耳を傾けた。そして京浜急行電鉄に宛てに礼状を送付した。
 平成22年、肝臓癌であることが判明。手術・入退院を繰り返した。その間、3度の肝動脈塞栓術を受けたが肝硬変に至っていた。75歳の誕生日にはコロムビアレコードの100周年を記念したイベント「コロムビア大行進2013」に出演し、「人生いろいろ」など数曲を歌った。同年6月21日、宮崎県延岡市で開催したコンサートが生涯最後のステージとなった。同年10月中旬に一時退院したが、同年11月6日、「体調が悪いので来てほしい」と自宅からスタッフに電話して東京共済病院に再入院。11月8日朝に容体が急変、東京共済病院の病室にて眠るように息を引き取った(享年76)。