ここに幸あり

 作詞:髙橋掬太郎 、作曲:飯田三郎で大津美子が歌いヒットした。
大津美子は愛知県豊橋市出身で私立桜ヶ丘高校卒業。昭和28年に作曲家だった渡久地政信に弟子入り「千鳥のブルース」でデビュー。デビュー2ヵ月後の9月に発売した「東京アンナ」がヒットするも、ビクターに移籍。飯田が作曲し、高橋掬太郎が作詞した同名映画の主題歌「ここに幸あり」が空前の大ヒットとなる。しかし、元々ここに幸ありはレコード会社の先輩の三条町子が吹き込みを予定していたが、三条町子がたまたま心身し出産とかさなり歌えなくなり、当時18歳の新人歌手だった大津美子にお鉢が回ってきたのである。

 「嵐も吹けば雨も降る 女の道よ なぜ険し
  君をたよりにわたしは生きる ここに幸あり 青い空」

 この歌詞は当時の世相、特に女性が男を立てて生きてゆくしかない世相がよくわかる。この曲名にあるように、結婚式で歌いたくなるような曲であるが、2番は歌ってはいけない。2番の歌詞は、「誰にもいえぬ 爪のあと 心に受けた 恋の鳥 ないてのがれて さまよい行けば 夜の巷(ちまた)の 風哀し」。歌詞は意味深で「誰にもいえぬ過去があること」を暗示させる内容である。これでは結婚式はぶち壊しになるであろう。実際、映画では男性にもてあそばれ、キャバレーのダンサーになる娼婦女性が主人公であった。なお結婚式では、江利チエミの「新妻に捧げる歌」、小林旭の「ついて来るかい」、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」、長渕剛の「乾杯」が披露宴の定番になっている。

 ここに幸ありはハワイ、ブラジルなどの多くの日系人の間で今愛唱され続けている。大津美子はNHK紅白歌合戦に7回出場している。昭和55年、くも膜下出血により倒れるが、奇跡のカムバックを遂げた。