上海帰りのリル

上海帰りのリル

「どこにいるのかリル、だれかリルを知らないか」この歌を聴くと、まずリルという名前に違和感をもつであろう。しかし戦前のジャズに「上海リル」という曲があることを多くが知っていたのでリルでよかったのである。「上海帰りのリル」をビロードの歌声と言われていた津村謙(大正14年~昭和36年)が歌った。津村謙は富山県下新川郡入善町出身の歌手で本名は松原正。魚津中学校卒業後に上京し、江口夜詩の門下となる。昭和18年、テイチクからデビューしたが、まもなく徴兵される。昭和21年芸名を津村謙として再デビュー。この芸名は、戦時中に発表されて一世を風靡した映画「愛染かつらの主人公・津村浩三の「津村」と、それを演じた俳優・上原謙の「謙」を取ったものである。
 しばらくヒットに恵まれなかったが、昭和26年に、上海帰りのリル(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信)が大ヒットし一躍大スターになった。この曲は、昭和32年に作家の松本清張が「別冊・文藝春秋」に発表した「捜査圏外の条件」のモチーフにも使われており、発売後6年経過した時点でも、口ずさまれていたことがわかる。なおリルとは「my little daring」の略である。NHK紅白歌合戦にも8回連続出場している。

 昭和36年、東京都杉並区の自宅の車庫にエンジンを入れたまま停めていた乗用車の運転席で、排気ガスによる一酸化炭素中毒で昏睡状態になっているところを発見された。病院に搬送されたが意識は快復しないまま同日死去。享年37歳。麻雀帰りで遅くなり、家族を起こしてしまうと気遣い、車の中で眠ってしまったのが原因であった。