ギレリス

エミール・グリゴリエヴィチ・ギレリス

(1916年10月19日- 1985年10月14日)

 ロシアのピアニスト。5歳の時にピアノを始め、16歳にして全ソ連音楽コンクールで優勝。モスクワ音楽院に進学後、1936年にウィーン国際コンクールで2位、1938年にイザイ国際コンクールで優勝(2位はモーラ・リンパニー、7位はアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ)し国際的名声を得る。ロシアの自宅ではアップライトピアノで練習していた。
 戦後、ソ連政府によって西側に送り出され、フランスやイタリアでコンサートを行い、1955年にアメリカ・デビューした。初めて「鉄のカーテン」を越えて訪米したソ連のピアニストである。欧米各国で演奏を繰り広げ、日本にも何度か来訪して話題を巻き起こした。鋼鉄のピアニズムと通称される完璧なテクニック、さらに格調高い演奏で非常に評価が高い。
とりわけベートーヴェンの解釈と演奏では男性的な演奏で「ミスター・ベートーヴェン」と呼ばれるほどであった。

 一方、ソ連ではチャイコフスキー・コンクールの審査委員長を務め、ヴァン・クライバーンが飛躍するきっかけをつくった。ギレリスはスターリンのお気に入りだったので、ソ連体制に従順と見られがちだが、それは誤っている。1941年、ネイガウスが逮捕された時、釈放すべくスターリンに直談判したのはギレリスであった。クライバーンがチャイコフスキー・コンクールで優勝した時、舞台裏で当局に脅されながら、フルシチョフの了解をとりつけたのも審査委員長を 務めていたギレリスであった。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に力を入れていたが、5曲のソナタを残したまま1985年10月14日に急逝している。