アシュケナージ

アシュケナージ (1937年7月6日ー)

 ウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージはソ連邦出身のピアニスト、指揮者である。ヘブライ語の姓「アシュケナージ」が示す通り、父方はユダヤ系である。6歳でピアノを始め、2年後にはモスクワでデビュー演奏会を開いた。9歳の時にモスクワ音楽院附属中央音楽学校に入学し、1955年にショパン国際ピアノコンクールに出場し2位に輝いた。この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしている。同年にモスクワ音楽院に入学、56年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝。以後、ヨーロッパ各国や北米を演奏旅行して成功を収めている。1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場しジョン・オグドンと優勝を分け合った。1963年にソヴィエト連邦を出国し、妻の故国アイスランドに移住、1972年にはアイスランド国籍を取得した。

 ピアニストとしては、バッハからショスタコーヴィチまでレパートリーは広い。特にショパンのすべての曲を録音しており、ポリーニと共にショパン弾きの第一人者とされている。音色は美しくテクニックもあるが個性や凄みはなく、ハメを外さない優等生タイプである。

 1970年頃から指揮活動にも取り組み、1987年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。そのほかこれまでにベルリン・ドイツ交響楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、首席指揮者のポストを歴任している。また2007年までNHK交響楽団の音楽監督を務め、N響との結びつきが強い。
 2010年、洗足学園音楽大学の名誉客員教授に就任。後進の指導にあたっている。