平成20年から

後期高齢者医療制度 平成20年(2008年)

 平成9年、当時の厚生大臣だった小泉純一郎はサラリーマンの自己負担を1割から2割に、そして総理となった小泉純一郎は平成15年に2割から3割に引き上げた。小泉純一郎は「自己責任」という言葉を用いたが、病気に自己責任など存在しない。もしあるとしたら食べ過ぎによる糖尿病ぐらいである。もし自己責任という言葉を使うのならば、国民の生命を守るべき政府の自己責任の放棄であった。

 平成18年、社会保障費を5年間で1.1兆円削減することが骨太の方針として閣議決定した。高齢化にともない社会保障費は毎年8000億円のペースで自然に増加するが、それを毎年2200億円削減する政策となった。しかもマスコミは報道しないが、社会保障費の毎年2200億円の削減とは、次年度には4400億円、次々年度は6600億円の削減と倍々の削減で、10年間の累積で12.1兆円の削減という意味である。つまり骨太の方針は、骨太ではなく弱者の骨をへし折る政策だった。

 そして平成204月、後期高齢者医療制度が始まると、連日のようにマスコミが騒ぎだし、「老人を見殺しにするのか」、「姥捨て山法案」などの怒鳴り声が国中に響き渡った。発足と同時に「長寿医療制度」と名称をかえたが、それが「名前で誤魔化すのか」と国民の反感を買った。この後期高齢者医療制度は10年以上議論され、2年前の小泉内閣で閣議決定され、国会で可決された法案であったが、なぜ混乱が生じたのか。それは国民のほとんどが、後期高齢者医療制度を知らなかったからである。そして施行直後になって、悪い制度と直感したからである。「のど元過ぎれば熱さを忘れる」のではなく、のど元に熱湯を注がれ、初めてその激痛に気づいたのである。

 後期高齢者医療制度には感情論的な反発と、本質論的な反発にわけることができる。感情論的反発とは後期高齢者の線引きを75歳にしたことである。この「年齢で機械的に国民を差別するのは、人間の尊厳を無視した世界に類をみない差別的医療制度」というのは単なる感情論である。後期高齢者医療制度が実施される前の老人保健制度も75歳以上を対象にしていたからである。「保険制度はみんなが助け合う制度で、みんなが負担して75歳以上の高齢者を助ける」というのは本質的正論である。この後期高齢者医療制度の文字をよく見ると「保険」という文字が入っていない。このことは「後期高齢者医療制度は保険制度ではない、助け合いの制度ではない」という厚労省のメッセージである。このように名実ともに保険制度と呼べないところが本質的な問題といえる。

 次に保険料を年金から勝手に天引きすることへの批判も感情論である。年金からの天引きは年額18万円以上の年金受給者からの天引きで、それ以下の人たちは払い込みに行かなければいけない。むしろ年金からの天引きは、負担の意識を低下させ、徴収経費が安くなり経費削減になる。しかし本質的問題は年18万円以上の老人から天引きし、年18万円以下の老人からも保険料をとることである。 

 後期高齢者医療制度は、75歳以上のすべての老人からも保険料を徴収する制度であるが、収入のある老人は限られ、多くは年金生活者である。老齢基礎年金は全国平均月47000円で、このわずかな年金生活費から、年額約6.5万円の保険料を取るのはあまりにひどすぎる。しかも2年ごとに保険料を見直す制度なので、2年ごとに保険料が高くなるのは確実である。生活保護受給者は保険料を払わないが、生活保護を下回る収入の者から保険料を取るのは理屈に合わない。さらに保険料を払えない場合は免除ではなく、保険証取り上げという制裁が待っていた。かつての老人保健制度では、滞納が続いても老人から保険証を取り上げることは法律で禁止されていた。しかし後期高齢者医療制度では滞納が1年以上続けば事実上の無保険者となる。これではお金がない老人は受診できない。老人保健制度には優しい心があったが、後期高齢者医療制度には冷酷な心しかないのである。

 良心的な病院は患者を追い返すことができず、無保険者の医療費は病院のもち出しになる。また入院が3ヶ月以上になると入院費が包括になり、診療報酬は大幅にカットされ、治療をすれば病院のもち出しになる。つまり後期高齢者医療制度は医療から高齢者を排除し、病院経営を悪化させ倒産へ導くのである。医師は「悪魔の心で高齢者を追い出すか、天使の心で病院を倒産させるか」の選択を迫られることになる。

 これでは「高齢者は早く死ね」と命じているのにひとしい。高齢になれば病気になる頻度は増え、医療費が増大する。しかも病気になれば治療費がいくらなのか前もって分かるものではない。老人は保険証を持っていても1割の自己負担、無保険となれば全額自己負担、これでは病気になっても病院へ行けるはずがない。

 高齢者は現役時代に子供を育て、子供のために働いた世代である。そしてこの日本をつくり上げた世代である。

 このような流れのなか、東京都の日の出町では75歳以上の医療費を無料とする条例を賛成多数で可決した。高齢者の窓口負担分(原則1割)を町が肩代わりするのです。国の政策に対する自治体の反乱であるが、この動きが全国的に広まることを期待したい。まさに日本の日の出となってほしい。また民主党が政権を取り、後期高齢者医療制度は根本から変わる予定である。

 

 

 

銚子市立総合病院閉鎖 平成20年 (2008年)

 平成20930日、千葉県銚子市民の健康を守ってきた銚子市立総合病院(393床)が、財政難と医師不足から58年の歴史に幕をとじた。病院に入院していた患者は他の病院に転院を強いられ、外来患者は宛先名のない紹介状を渡され、遠くの病院へ通うことになった。年間3万人が受診していた病院を銚子市は廃止したのである。銚子市立総合病院の休止は、同年77日、岡野俊昭市長がその方針を発表し、822日の市議会で採決の結果、病院存続が12、反対が13、わずか1票の差で閉院が決定した。

 元中学校校長の岡野俊昭市長は「市立総合病院を必ず残す」と公約して、平成18年の市長選挙で前市長を破り初当選。岡野俊昭氏が13235票、前市長の野平匡邦氏が12756票、わずかの差の勝利だった。岡野市長が病院存続を公約にしなかったら、当選は困難だったであろう。公約違反は市長の市民への裏切りで、政治家にとって公約違反は最大の罪である。岡野市長は病院閉鎖を決めたが、銚子市では病院存続を求める46000人の署名が集められ、1221日、岡野市長のリコール(解職請求)に必要な有権者の3分の1を上回る25639人の署名が集まり、住民投票の結果市長は解任となった。

 この数年、銚子市立総合病院は経営難におちいり、累積赤字は184000万円に達していた。医師不足から患者が減り、患者減少が収益減となり、経営がさらに悪化する悪循環に陥ったのである。岡野市長は「市の一般会計から病院を救済する財源がなくなった」と述べたが、自治体の財政は不明な点が多い。銚子市は平成20年に約70億円の借金で市立銚子高校を開校、平成16年には大学進学者が入学定員を下回る時代に、90億円以上を投入して千葉科学大学を開校させ、さらに220億円をかけて銚子大橋の架け替え工事を行い、このことが銚子市の財政を悪化させ、病院への支援が限界になっていた。市民にとって最も大切な医療を二の次、三の次にしたのである。岡野市長は夕張市を例に挙げ、「銚子市を救うのか、病院を救うのか」の選択をせまったが、銚子市の負債を夕張市と比較することそのものが間違いで、「お金がないので病院を救済できないのではなく、お金はあるが病院には使いたくない」が本音であった。病院の廃止により看護師や医師など200人以上の退職金、清算業務が発生し、新たに60億円が必要になったが、この金額は病院の累積赤字の3倍以上になる。

 銚子市立総合病院は日大医学部の関連病院で、常勤医35人中28人が日大医学部の出身だった。平成16年に新臨床研修制度が導入され、人手不足となった日大医学部が医師を引き揚げ、このことが医師不足を引き起こしたと市は説明した。しかし日大医学部の片山医学部長は「引き揚げたのではなく、銚子に行きたい医師が見つからなかった。将来の展望がないと評判が立てば、誰も希望しなくなる。市の責任こそが問われるべき」と反論した。銚子市立総合病院の佐藤博信院長が3月の市議会で「市民の健康を守れない病院長は無能だ!」と批判を受け退職、さらに医師の給料を減らしたのである。医師の待遇改善に否定的な病院に医師が集まるはずがない。市長と議会は病院を大切にする意識が欠けていた。銚子市は医師給料を引き下げた後、32人いた医師が12人に減り、あわてて給料を引き上げたが遅すぎた。

 自治体病院は民間病院に比べ医師の給料は安く、看護師や事務職員の給料は高い。また「銚子市はヤミ給与発祥の都市」といわれるほど職員の給料は高かった。平成18年の銚子市立総合病院の看護師の年収は614万円(平均41.9)、医療技術職678万円(平均43.1)であった。看護師や事務職員の給料は民間病院より3割程度高かった。病院の支出に対する人件費の割合は、全国平均は55.5%であるが、銚子市立総合病院は78.2% と飛び抜けていた。病院職員の給料は市職員の給料と連動しているので、病院職員の給料は市の職員全体の給料に関わることになる。市職員の給料は市議会の承諾が必要なので、市議会は労働組合と対立するよりは、病院をつぶしたほうが簡単と考えたのだろう。自治体病院の事務職員は数年で本庁に戻るため、コスト意識、経営改善意識は低く、納入する薬剤や医療器具を値切ってもご褒美がないので言い値で買ったほうが楽であった。書類さえ揃っていれば公務員としての責任は問われない。そのため一般に自治体病院の薬剤や材料費は民間病院より10%高く、建設費は1.5倍高いとされている。銚子市長も病院閉鎖の原因として公務員体質を述べたが、市長は市のトップとして改善策を実行すべきなのに、そのトップが公務員体質を述べたというのは、自らの職務怠慢を公表したに等しいことである。

 各地方自治体はそれぞれ自治体病院をもっているが、その90%以上が赤字である。病院の赤字は各自治体の補助金で穴埋めとなるので、自治体の財政を悪化させることになる。銚子市に隣接した旭市にはベッド数956床の旭中央病院があるので、銚子市は市立総合病院が閉院となっても、銚子市民は旭中央病院へ行けばよいと考えたのであろう。このように自治体にとってお荷物である病院を閉院し、隣の市町村の病院にお荷物を背負わせたほうが財政的に楽になるのだった。隣接する市町村が病院を閉院にする前に、自分たちの病院を閉鎖すれば、財政的に勝ち組になる。自治体の「病院から逃げるが勝ち」の現象で、この1年間だけで26の自治体病院が閉院になっている。

 

 

 

都立墨東病院妊婦死亡事件 平成20年(2008年)

 平成201022日、東京都江東区に住む妊婦(36)が7つの病院から受け入れを断られ、出産後に死亡していたことが報道された。この妊婦は104日の午後645分ごろに激しい頭痛、吐き気、下痢を訴え、かかりつけの「五の橋産婦人科(江東区)」に救急車で搬送され、診察した医師は緊急対応が必要と考え、7時ごろ都立墨東病院に受け入れを要請。しかし都立墨東病院は「当直医が1人しかいないので、対応できない」と断った。そのため医師は対応可能な病院を探したが、7つの病院に断られ、745分ごろ都立墨東病院に再び受け入れを要請。都立墨東病院の当直医は、自宅にいる産婦人科部長を呼び出し対応することになった。818分、妊婦は都立墨東病院に到着。同930分ごろ帝王切開で赤ちゃんを出産、さらに30分後に脳出血の手術を行ったが、母親は3日後に死亡した。医療が充実しているはずの東京都心で、このような痛ましいことが起きた。

 都立墨東病院は「総合周産期母子医療センター」として東京都から指定を受けていた。周産期母子医療センターとは重症妊娠中毒症、切迫早産、胎児異常などのハイリスクの妊婦と新生児の治療を24時間体制で行う高度な医療施設のことである。周産期母子医療センターの指定を受けているのは全国75病院で、どのような重症の妊婦でも受け入れ可能なはずであった。しかしその指定を受けている都立墨東病院の産婦人科医は常勤定数が9人であるが、医師不足から4人しかおらず、妊婦が搬送された日の産婦人科医の当直医は1人だけで、しかも研修5年目の医師だった。このように産科医不足は都立墨東病院に限ったことではなく、全国の周産期母子医療センターの休日当直の約半数が1人当直であった。

 都立墨東病院の当直医はいったん受け入れを断ったが、専用端末で受け入れ可能な周産期母子医療センターを探し、妊婦がいる「五の橋産婦人科」に連絡していた。しかし救急隊が受け入れ可能な3病院に連絡をとると3病院は受け入れを断ったのである。

 日赤医療センター(渋谷区)は救急患者の対応に追われ、順天堂大学病院(文京区)は2人の産科医が出産対応中であること、慈恵医大青戸病院(葛飾区)は脳神経外科が不在、慶応大学病院(新宿区)は妊婦に下痢症状があったことから、感染症に対応できる個室が必要と判断、個室が満室だったので断った。さらに日大板橋病院(板橋区)、慈恵医大(港区)は新生児集中治療室が満床のため断った。また翌日になり東大病院(文京区)も要請を断っていたことがわかった。妊産婦が頭痛を訴えた場合、産婦人科医は当然のこと、新生児に対応する小児科医、脳出血に対応する脳外科医が必要であるが、それ以前のこととしてベッドが満床であれば受け入れは不可能であった。このように救急医療の脆弱さが東京都心において露呈した。

 東京のような大都市部でも、1センター当たり年間約200件の妊婦の救急搬送を断っていて、驚くことにあの聖路加国際病院は東京都から補助金をもらいながら、救急搬送のすべてを断っていた。妊婦の搬送を断る理由の9割が、新生児集中治療室(NICU)の満床によるもので、都内のNICUが満床に近いのは、1500グラム未満の極低出生体重児がこの10年間で約1.3倍に増加し、重い障害のため退院できない新生児が多くなったからである。重症の新生児を扱うNICUは看護師1人当たり新生児3人までと配置が義務づけられ、小児科医不足、看護師不足から整備が遅れていた。

 いっぽう地方の周産期母子医療センターでは、すべての妊婦を受け入れている。地方の周産期母子医療センターは自分の病院が断れば、妊婦の行き場がないため、無理にでも受け入れていた。医療施設の多い都市では、最良の病院を選べる利点が欠点になり、医療施設の少ない地方都市では、最後の砦としてすべてを受け入れている。この違いをどのように評価すればよいのだろうか。

 この事件に対し、舛添要一前厚労大臣は「週末に当直医が1人しかいない。これで重症の妊婦に対応する周産期医療センターといえるのか、東京都の医療体制が悪い」と述べた。しかし石原慎太郎都知事は「医師不足が原因であり、東京に任せられないのではなく、国に任せられない。医師不足は国の責任」と反論。そして舛添前厚労大臣はすぐに医師不足を認めた。つまり厚労大臣でさえ周産期母子医療センターの医師不足を知らなかったのである。さらに1110日、妊婦死亡事件に関し二階俊博前経済産業大臣は「医者のモラルの問題。忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にすぎない」と発言したが、二階前大臣は周産期母子医療センターの医師が年間1100回当直していることを知っているのだろうか。さらに1119日、医師不足についての見解を求められた麻生太郎前総理は「医師は社会的常識がかなり欠落している人が多い」と発言した。この発言は、医療現場で必死に働いている医師への最大の侮辱である。国会議員と医師の犯罪率(逮捕率)を比較すれば、国会議員のほうが社会的常識に欠けている人が多いはずで、いずれにしても政権与党のトップがこのような認識なので、日本の医療はよくならないのである。

 五の橋産婦人科の救急要請から都立墨東病院到着まで約1時間15分かかっており、「もう少し早ければ助かっていたかもしれない」とのコメントが報道の大部分を占めていた。しかし東京都の統計では、救急要請から現場到着まで平均5分、救急車到着から病院到着まで平均45分かかっている。つまり今回の搬送時間は通常より約30分遅れただけで、救急体制の改善を望むのであれば、病院到着まで平均45分かかっていることを問題にすべきである。脳出血の経過は発症直後に決まるもので、搬送が30分遅れても脳出血による結果は避けられなかったと思う。

 救急医療システムの不備を指摘する声がある。救急医療システムとは「コンピュータ画面で受け入れ可能な病院は○、不可能な病院は×と表示されるシステム」で、都立墨東病院の当直医はコンピュータ画面から受け入れ可能な3つの病院を五の橋産婦人科に伝えたが、実際には受け入れは不可能だった。救急医療システムが機能しないのは、刻々と変わる受け入れ態勢を入力する職員がいないほど、病院は人手不足だったからである。

 都立墨東病院の当直医(研修医)は、1人では対応できないと判断。他の病院を紹介したが、この判断は正しいと思われる。研修医1人では手術は困難である。さらに他の病院が受け入れ困難と知った当直医は、自宅にいる産科部長を呼び出し、最終的に患者を受け入れている。都立墨東病院の当直医は医師として最善を尽くしたと思われる。

 マスコミは「救急病院をたらい回し、1時間で患者は死亡」、「受け入れ拒否」という表現を使った。しかし本当は「受け入れ困難、受け入れ不可能」と書くのが正しい。医師は助けたくても、手術中で対応できない、ベッドがないなど受け入れに余裕がなかったからである。このような事件が起きるとマスコミは「たらい回し」と表現するが、それを読んだ読者は「ひどい病院だ」と医療不信に陥るだろうが、たとえば博多のどんたくに突然行きたくなり、当日、博多のホテルに電話をしても、空いているホテルなどはない。これをホテルのたらい回しと表現しないのに、なぜ病院だけをたらい回しと表現するのか。

 マスコミは人の不幸で売り上げを伸ばし、あるいは視聴率を上げるという営利的側面がある。都立墨東病院での記者会見では「断るなんて、それでも医者か」と病院をつるし上げる雰囲気だった。この事件で島崎修次杏林大教授(救急医学)は「都内には病院が多いので、他の病院をあてにして受け入れ拒否が起こりやすい」とコメントを述べた。しかし皮肉なことに、この事件の1ヶ月前の9月、東京都調布市の妊婦(32)が片麻痺、嘔吐を訴え、杏林大病院の「総合周産期母子医療センター」に搬送を要請。しかし手術中を理由に断られ、3時間後に25キロ離れた都立墨東病院に搬送されていた。

 妊婦は右半身の麻痺を訴え、この症状だけで脳出血と診断できたはずである。杏林大病院は事件が報道されると、「緊急性があると分かっていれば受け入れていた」と述べたが、手術中で対応できないのなら、正直に「対応困難だった」と答えればよいのに、それとも手術を途中でやめて、対応するつもりだったのか。その杏林大学の教授が他人事のようなコメントを述べたが、あまりに白々しい。

 平成188月、奈良県大淀町の大淀病院で妊婦(32)が急変、主治医は手当てが困難と判断、他の病院を探したが、奈良県立医大など18の病院から断られ、19番目の病院が受け入れた。帝王切開で赤ちゃんは無事出産、しかし母親は脳出血で死亡という悲しい結果になった。妊婦が痙攣で意識を失った場合、妊娠中毒による子癇と診断するのがこれまでの常識だったので診断が遅れたのである。妊婦が脳出血を発症する確率は0.002%以下で、死亡率は13.7%とのデータがあるが、このデータは過去のデータである。高齢出産が常識となっている現在では、その頻度はより高くなっている。産婦人科医は妊婦の新たな合併症として脳出血を疑う必要がある。

 都立墨東病院で死亡した妊婦の夫(36)は、厚労省での記者会見で「だれをも責める気持ちはありません、裁判を起こすつもりもありません。赤ちゃんを安心して産める社会にしてほしい。どうすれば安心して子供を産める社会を築けるかについて、医師、病院、都、国が力を合わせ改善してもらいたい。再発防止に取り組んで頂くことを心からお願いします。妻の死を無駄にしないでほしい」と声を詰まらせコメントを述べた。さらに夫は「都立墨東病院の当直医が傷ついて、病院を辞めて産科医が減ったら意味がありません。産科医としての人生をまっとうし、絶対に辞めないでほしい」と訴えた。

 ご主人の発言は立派であり、感動させられた。このご主人こそが、この事件の本質を最も正しく理解していた。またマスコミによる医師バッシングを救ってくれたのもご主人といえる。彼の発言を最大の教訓として、赤ちゃんを安心して産める社会を築かなければいけない。

 

 

 

有料老人ホーム火災事件 平成21年(2009年)

 平成21319日の深夜11時頃、群馬県渋川市にある有料老人ホーム「静養ホームたまゆら」から出火、木造2階建て3棟を全焼した。ホームには16人の入所者と職員1人がいたが、現場から6人の遺体が発見され、搬送先の病院で4人が死亡、計10人の犠牲者をだした。認知症や寝たきりの入居者が多く、増改築で施設が迷路のようになっていたため、さらに徘徊防止ためにドアが施錠されていて、施設側に防火管理意識がなかったことが被害を大きくした。犠牲者の法要の際、10人中5人の写真はなく、祭壇には近所の主婦が描いた似顔絵が飾られていた。

 マスコミは「静養ホームたまゆら」を無届け有料老人ホームと報道した。しかしたまゆらには50歳代の入居者もいて、理事長が「老人ホームではなく救護施設」と言ったように、もし救護施設ならば届け出の義務はなく、自動火災報知設備やスプリンクラーの設置義務もなかった。たまゆらには認知症などの高齢者が多く入居していて、実際には老人ホームであるが、群馬県は無届けなので監視をせず内情を知らずにいた。この火災をきっかけに厚労省は緊急調査を行い、有料老人ホームのうち無届けが全国で446施設あることが判明した。このように法の整備不足、行政の不備があった。

 たまゆらを運営するNPO法人「彩経会」は、発足時はデイサービスの事業だけだったが、利用者が集まらず、平成15年から「静養ホームたまゆら」の入居者を募集、これに応募したのが東京都墨田区だった。東京などの都市部では地価が高いため介護施設が不足し、生活保護受給者が入居できる施設は限られていた。そのため東京から離れた施設でも、受け入れてくれれば助かったのである。墨田区は入居者に区民としての生活保護費を払い、施設は生活保護費から入居費が確実に支払われるので、両者ともに都合がよかった。入居者の大部分を墨田区民が占めていたが、墨田区は送り出すだけで、施設の実情を知らず、多くの高齢者が行政の目の届かない環境に置かれていた。たまゆらは身体の不自由な24人が入居しているのに職員は3人だけだった。

 東京23区では約1600人の生活保護受給者が東京都以外の福祉施設に入居し、そのうちの無届け施設には781人が入所していた。また都市部では安アパートを借り上げ、救護施設として失業者や高齢者を押し込んでいる施設が散在している。倉庫として放置しているより、生活保護受給者用のアパートにすれば確実に収入を得られるからである。慈善事業の看板を掲げていたが、これは生活保護受給者を相手にした貧困ビジネスで、入所者は福祉とはいえない劣悪な環境下におかれていた。

 都市部より地方のほうが、意外に介護施設が整っている。施設に入所できなくても、近所は顔見知りで、近所どうしの助け合いが自然になされているからである。高齢化は都市部でも確実に進行し、首都圏では今後20年間で高齢者が300万人増えるとされ、土地代の高い都市部ほど施設の整備が遅れている。高齢化の波を受け、隣人関係の希薄な都市部ほど老後の問題が深刻になっている。都市部では受け皿となる施設が少なく、地域や家族から疎外され、かつてのサラリーマンは「狭い部屋での孤独死、野垂れ死」の可能性がある。千里ニュータウン、多摩ニュータウンがオールドタウン化しているように、都市部の高齢化は深刻である。新宿区でさえ年間100人以上の高齢者が孤独死している。