平成10年から19年

 平成9年、バブルの後遺症にアジアの通貨危機が加わり、日産生命、山一証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行などが破綻し、銀行は合併を繰り返して日本経済の雲行きは一段と暗くなった。企業は終身雇用制度を見直し、リストラと非正社員採用で人件費を抑制し、正社員には過労を、非正社員には低賃金と不安定な生活を強いらせた。小渕内閣は総額40兆円を超える経済対策を実施し、大量の国債を発行して「世界の借金王」を自称したが、将来への悲壮感はなかった。

 小渕首相が脳梗塞で死去し、森喜朗首相が失言で失脚し、平成13年に「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎が圧倒的国民的支持を得て総理大臣に就任した。小泉内閣は日本再生のため「聖域なき構造改革」を掲げ、市場原理主義と規制改革、スクラップとビルドによる経済活性化を図った。小泉内閣は一時的に個人消費を拡大させたが、市場原理主義が弱肉強食の格差社会を生み、拝金主義のヒルズ族がもてはやされ、その一方で、非正規雇用のワーキングプアーをつくった。小泉内閣は三位一体改革で7兆円の地方財政を減らし、平成の大合併で由緒ある地名の半分を記号同然の地名に変えた。また一方では、平壌に乗り込み30年間放置していた日本人拉致問題に着手し、北朝鮮から5人の帰国解放を実現させた。

 平成13911日、イスラム過激派アルカイダにより同時多発テロが発生、アメリカはイラク戦争でフセイン政権を打破するが、イラクの秩序を維持できず、世界の警察を自認しているアメリカは、宗教の自由と宗教テロという難問を抱えることになる。

 平成14年、政府は「いざなみ景気」を超えたと自慢し、大企業は設備投資、日銀は量的緩和、中小企業は労働力不足を訴えるたが、それは一時的な景気の回復であって、国民にとっては実感なき景気回復、幻想的景気回復であった。むしろ人材派遣業法の成立、人件費削減のため正規雇用の縮小、金融機関の貸し渋りが、日本社会を締め付けることになった。

 国民の多くは「日本を経済大国」と思い込んでいたが、平成12年に世界第2位であった一人当たり国内総生産が、平成20年には19位に急落していた。失われた10年と自嘲的に言っている間に経済は低迷し、地方活性化を言う度に地方の商店街はシャッターを閉じていった。

 世界各国の個人所得は倍増していたが、平成209月のアメリカ発のリーマン・ショックで景気は一気に悪化した。数年前まで見下していた中国経済は急成長し、10年前に国家破産となった韓国は蘇り、さらにアジア諸国の台頭により日本製品のシェアは低下し、日本の経済は中国経済に依存するようになった。

 日本経済の凋落は政治の無策によるものと思いがちであるが、賃金の安い国に製造業が海外に移動したこと、高齢化により扶養人口が増えたこと、資源のない日本が技術と学問をおろそかにしたこと、競争社会を否定した教育が若者と企業の活力を奪ったことなど、これらが複合的に重なったせいであろう。

 平成12年に介護保険制度が実施され、介護の問題は解決したかにみえたが、実際には財政難から介護保険は危機的状態に陥っている。日本の人口構造は、かつては年齢とともに人口が減少していく「ピラミット型」であったが、中高齢者が多く年少者が少なくなり「つぼ型」となり、さらに少子高齢化が進み、現在では「逆ピラミット型」になっている。

 生産者人口が半分になれば労働者の負担は倍になり、高齢者が倍になれば労働者の負担は倍になる。つまり少子高齢化は倍かける倍、4倍の社会保障費(養うための必要経費)を労働者に課すことになるが、4倍の負担など出来るはずもないし、また負担しようにも雇用がない。このような構造を抱えながら、大衆は不満のやり場を政治に向け、小泉純一郎内閣から安倍晋三、福田赳夫、麻生太郎と自民党政権は次々に変わり、さらに平成218月の衆議院選挙で「政治主導、国民の生活が第1」を掲げた民主党が308議席を得て大勝し、自由民主党は議席を300から119議席に減らして結党以来初めて第1党の座を失い、民主党政権が誕生した。鳩山内閣の友愛政治は高い支持を受けたが、政治資金と沖縄米軍基地の問題から9か月で崩れ去った。管内閣に交代したが、政治は混迷したままである。

 国民は民主党政権に大きな期待を抱いていた。しかし負担を嫌っては何も解決しない。医療、介護、年金などの社会保障の財源を、誰がどのように負担するのかを決めなければいけない。沖縄米軍基地についても「少なくても県外」と公言しながら、沖縄県民の気持ちを踏みにじることになった。

 政治家は耳に心地よい言葉を並べ、官僚は意味不明の言葉を並べ、評論家は職業病の空論を述べるだけでは何も解決しない。国民は政治不信、生活不安に陥り、政治の貧困は人心の貧困を招き、動機なき無差別通り魔事件、弱者を犠牲にする事件が多発するようになった。かつての犯罪には貧困、金銭、欲望、怨恨などの動機があり、犯人には苦悩、後悔、改悛の気持ちがあった。しかし平成10年以降の犯罪は、人間としての感情や精神が壊れているような非人間的かつ短絡的である。事件が世相を反映するのなら、日本そのものが壊れているのかもしれない。

 日本の労働時間はアメリカより少なく、温室育ちの若者にたくましさは見られない。小学生の勉強時間は江戸時代の寺小屋より少なく、学力は国際的にも低いレベルである。また拝金主義がモラルの低下を生み、共通一次試験が思考力を奪い、学校から競争を排除したことがやる気を削ぎ、貧困が貧困な心を生んだとも分析できる。

 人口構成が「ピラミット型」から「逆ピラミット型」に変わったのは時代の流れである。しかし恐ろしいのは、「逆ピラミット型」でもひとり1人がしっかりしてれば問題はないが、ピラミットの土台がシロアリに食われ、「逆ピラミットシロアリ型」構造になり、日本が根本から崩れることである。このシロアリを駆除するには、シロアリの生態を点検し、適切な駆除によって、建設的に改革を行うことである。日本はこのまま衰退するのか、再生するのか、これまでの歴史において衰退時に悲劇を味わうのは、常に弱者と若者であることを忘れてはいけない。

 

 

 

前橋市5人殺傷事件 平成10年(1998年) 

 平成10年4月24日の夕方4時頃のことである。前橋市内に住む47歳の無職の男が、約40分の間に親類宅、前橋赤十字病院、歯科医院の3カ所を回り、親類や看護師ら5人を次々と包丁で刺し1人を死亡させた。

 男は午後4時過ぎ、前橋市の自宅にいた叔母の吉田いし子さん(75)をステンレス製の包丁で刺し、屋根に逃げた吉田さんの長女が助けを求め110番通報。次ぎに男は500m離れたいとこの不動秀子さん(47)宅に押し入り、逃げようとした不動さんを包丁でめった刺しにした。

 さらに約25分後、男は約4km離れた前橋赤十字病院にレンタカーで移動。新病棟のナースステーションで看護師に「母親の主治医はいるか」と言い、看護師が「ここにいないので呼んでくる」と答えた直後、看護師の高野よしえさん(38)と大沢忠さん(32)に包丁で襲いかかった。その約10分後、男は病院から約800m離れた林歯科医院へ行くと、診察中だった林栄世院長(50)を、背後から「先生」と声を掛け包丁で2度刺した。

 通報を受けた前橋東署は、緊急配備を敷いて男の行方を追い、同日午後4時55分、林歯科医院から約4km離れた路上で男の身柄を確保した。殺人容疑で逮捕されたのは吉田幸男(47)で、首や腹に軽いけがをしていたが、それは自殺を図ったためらい傷であった。

 胸と腹を刺された不動秀子さんは出血性ショックで死亡。叔母のいし子さんは軽傷だったが、看護師の高野さんと大沢さんは胸を刺され重傷を負った。背中など2カ所を刺された林院長は重体となった。

 吉田が親戚の2人を殺傷したのは、相続をめぐるトラブルからであった。母親の病死は、養父の遺産を相続できなかったことによる生活苦と思い込んでいたが、養父にはもともと財産はなかった。死亡した不動さんの遺族は、約3900人から極刑嘆願書を集め死刑を訴えた。

 前橋赤十字病院が狙われたのは、吉田の被害妄想からであった。吉田と同居していた母親が糖尿病を患い、同年2月に前橋赤十字病院に入院、吉田は病院で母親の点滴を引き抜くなどして暴れたため母親は一時退院となった。その後、母親の容態が悪化。そのため民生委員が仲立ちになって、前橋赤十字病院は吉田が病院を訪ねないことを条件に、再入院を受け入れた。ところが4月9日に母親が心不全で死亡すると、吉田は「病院で間違った注射を打たれ、母親が死亡した」と邪推し、病院に何度も出向いては暴れていた。その都度、警察が駆け付けていた。このように吉田の犯行動機には典型的なマザーコンプレックスがあった。林歯科医院には、差し歯の治療で通院していたが、吉田は歯がガタガタになったと林院長を恨んでいた。

 前橋地裁で検察側は「残虐で計画的な犯行で、犯行を正当化する主張に酌量の余地はない」として無期懲役を求刑。弁護側は「人格障害が犯行の大きな原因になった」として情状酌量を求めたが、精神鑑定では「妄想性人格障害だが、自分の行動を制御できない状態ではなく、責任能力がある」と診断された。

 平成11年3月16日、前橋地裁の広瀬健二裁判長は、「地域住民の受けた衝撃や恐怖感は大きく、結果の重大性から極刑に値する大罪である」と述べ無期懲役の判決を下した。吉田被告は同日控訴したが、上告は棄却され刑が確定した。

 

 

 

体外受精問題 平成10年(1998年)

 平成1066日、長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニックの根津八紘(やひろ)院長が、不妊に悩む夫婦に、第三者(妻の妹)から卵子の提供受け、夫の精子と体外受精をおこない、受精卵を妻の子宮に戻してで双子の男児を出産させたことを明らかにした。妻以外の卵子を用いて、遺伝的には母子関係にない子を妊娠させたのは日本で始めてのことであった。

 日本には「夫婦以外からの卵子の提供を禁止する」という法律もなければ、国のガイドラインもなかった。あるのは日本産科婦人科学会が決めた「体外受精の対象者は夫婦に限る」という会則だけである。日本産科婦人科学会は、根津八紘院長の確信犯的行為に対応を迫られ、臨時評議会を開いて評議員369人中358が除名に賛成、反対3,白票1で根津八紘院長を除名にした。

 今回出産したのは30歳代の夫婦で、早期卵巣不全にて妊娠できず、夫婦の希望で妻の妹から卵子を提供してもらったのだった。排卵誘発剤を妹に投与し、卵巣から複数の卵子を採取し、夫の精子と体外受精させ、受精卵3個を妻の子宮にいれ、妻は双子の男児を帝王切開で出産した。

 欧米では夫婦以外からの卵子提供は法律で認められていたが、日本では、昭和58年、日本産科婦人科学会が卵子の提供を会則で禁止していた。しかし一方、夫以外の精子を用いる人工授精は認められていて、男性が不妊の場合には第三者からの精子提供は許されていた。他人の精子で出産した子供は1万人以上とされ、「精子バンク」さえ作られていた。根津院長は「精子の提供は認められているのに、卵子の提供を認めないのは矛盾している」と述べたが、それは当然の理屈であった。

 医学が進歩し、海外では卵子提供が行われているのに、日本では法的整備はなされず、学会がつくった会則にしばられていた。学会は根津八紘院長を除名にして決着を図ろうとしたが、時代の流れに合わせて、他人からの卵子提供を可とするか、実施するにはどのような倫理基準が必要かを検討すべきとの声が出てきた。

 不妊に悩む夫婦が約1割いることは事実で、不妊治療を受けても妊娠できない夫婦がいることも確かである。今回、根津院長が問題提起を含めて事実を公表したが、実際には非夫婦間の体外受精は秘密裏に行われていた。

 根津八紘院長があえて非夫婦間の体外受精を公表したのは、「倫理的、社会的問題を日本産科婦人科学会にゆだねていることが問題で、法的整備をしてもらうため、幅広く議論してほしい」との気持ちからだった。

 日本産科婦人科学会の内規を簡単に破られてしまった学会の面子(めんつ)から、学会側は「ガイドラインを守っている会員は怒っている」などと批難したが、根津院長は学会からの除名処分について「学会の会則は、同好会の内規のようなもの。私を処分している場合ではないだろうと」と、平然としていた。

 学会側が、体外受精のガイドラインの見直しについては議論せず、不妊治療の議論を先送りして感情的除名処分を行ったことに批判もあった。日本では法的整備が遅れていた。そのため、不妊患者を海外に斡旋する業者が存在していた。

 代理母出産については、学会でも認めず、厚生労働省の審議会でも認めず、法は未整備のまま日本では実施されないことになっている。そのためタレントの向井亜紀さんが海外での代理母出産を依頼することを公表。しかし向井亜紀・高田延彦夫妻が代理母出産によって得た子供の戸籍上の扱いが問題になった。

 さらに平成18年、根津八紘医師が、母親が女性ホルモンを投与して、娘のために代理母になったことを発表した。さらに根津医師は15例の代理母出産をさせていたことも発表した。また平成205月に、野田聖子議員らが代理出産を条件付で認める法案提出を決めたが、実現には成立していない。

 日本において、子宮の疾患などによる不妊女性は20万人とされ、自らの子を授かるには代理出産以外に方法がない。代理母出産には様々な問題があることは事実である。しかし例外的問題はあくまで例外であり、問題を列挙すればそれだけ代理母出産が遠のいてしまう。

 平成22年9月、野田聖子議員は米国で卵子の提供を受け、受精卵を子宮に移植して、妊娠したことを発表した。野田聖子議員が米国で代理出産を行ったのは日本での法律の未整備からであろうが、合法とも違法ともいえる日本の代理出産の法的整備を願うものである。

 

 

 

ドクター・キリコ事件 平成10年(1998年)

 平成101212日午後1時頃、東京都杉並区の無職の女性(24)に宅配便が届いた。女性は母親に「友人からクスリが送られてきた」と言って、自分の部屋にこもった。午後3時頃、女性が倒れて痙攣しているのを母親が発見。女性は「宅配便で届いたカプセル6錠を全部飲んだ」と言って意識を失った。母親はすぐに119番通報し、女性は救急車で杏林大病院救命救急センターに運ばれた。この女性の自殺がドクター・キリコ事件のきっかけであった。

 この女性は精神的に不安定な状態で、精神科への入退院を繰り返していた。それまで何回か薬物による自殺未遂を図っていた。遺書はなかったが、家族には死にたいと漏らしていた。宅配便には「草壁竜次」という送り主の名前と携帯電話の番号が書かれていた。救命救急センターの担当医が宅配便に書かれていた電話番号に連絡すると、男性が「青酸カリ入りのカプセル6錠を送った。純度の高い青酸カリなので確実に死にます。もし彼女が死んだら自分も死にます」と答えた。

 その後、草壁と名乗る男性から、女性の安否についての問い合わせの電話が、何度か病院にかかってきた。女性は危篤状態のまま、1215日午前2時に死亡した。警視庁捜査1課と高井戸署は、青酸カリの送り主である草壁を調べようとしたが、草壁の名前、携帯電話、銀行口座は偽名だった。1226日になって草壁が札幌市に住む27歳の男性であることが判明したが、その男性は女性が死亡した当日に自宅の2階で自殺していた。

 男性も青酸カリによる自殺だったが、男性の遺体を診た医師は、持病の喘息による病死と判断して警察に届けなかった。男性は荼毘(だび)に付されていたが、病院に残されていた男性の血液から青酸カリが検出された。男性は死亡した女性と面識はなく、インターネット上だけの関係であった。

 警察は草壁竜次と名乗る男性の自宅からパソコンとフロッピーを押収。分析の結果、男性はインターネットを通じて自殺志願者に青酸カリを売っていたことがわかった。銀行口座の入金状況から、平成10年3月から12月までに7人に青酸カリを送っていた。青酸カリを売った7人の相手先を調べると、その1人である東京都足立区の主婦(21)が平成10年7月3日に自殺していた。この主婦は亡くなる1カ月前に3万円で男性から青酸カリを買ったが、主婦が自殺に用いたのは青酸カリではなく睡眠薬だった。

 草壁竜次と名乗る男性は、東京都千代田区の私立大理工学部化学科を卒業した後、札幌市内の医薬品開発研究会社に務めていた。薬剤師の資格はなかったが薬剤には詳しかった。勤務ぶりはまじめだったが、給料が安いことを理由に退職。その後、男性は学習塾の講師をしていた。

 男性は、偽造した身分証明書を用いて薬局から5g660円で青酸カリを買い、5gを約3万円で自殺願望者に販売していた。薬局で「水の成分分析に用いる研究用」と偽って購入した青酸カリは3000人の致死量に相当していた。

 この事件が世間を驚かせたのは、匿名性の高いインターネットで、青酸カリという毒物を自由に売買していたことである。当時、インターネット上に「安楽死狂会」というホームページがあった。このホームページの「ドクター・キリコの診察室」という掲示板で、男性は青酸カリを販売していた。このホームページは、東京都練馬区の主婦(29)が開設したもので、ドクター・キリコの診察室は自殺や精神病に関すること、さらに心中相手の募集、薬物相談などの投稿欄があった。男性はこの掲示板で専属医師を気取っていた。

 ドクター・キリコとは、手塚治虫の人気マンガ「ブラックジャック」に登場する安楽死専門の医師「ドクター・キリコ」から取った名前だった。ブラックジャックは、患者の命を救う医師が主人公であるが、ドクター・キリコは患者の安楽死を手掛ける死神の化身として登場する医師であった。草壁竜次はその医師になり切っていたが、別のホームページ「完全自殺マニアル研究所」で青酸カリを販売しようとして非難され、「ドクター・キリコの診察室」へ移ったのであった。

 自殺願望者に青酸カリを売ることは自殺幇助(ほうじょ)になるが、男性の理屈は違っていた。男性は「青酸カリを、自殺という衝動から自分を守るためのお守り」としていた。「青酸カリがあれば、いつでも死ねるという安心感を持てる」というのがその理屈だった。インターネットの掲示板で「自分にはお守りがある。いつでも死ねると思うと生きていける。お守りが欲しければ連絡ください」と書き、自殺志願者らに販売していた。

 しかし杉並区の女性が青酸カリで自殺したことで、男性の理論は崩れ去った。彼女の死は男性の理屈を裏切り、幻想を現実化させた。妄想に裏切られ、男性は責任を取って自殺したのである。男性は自殺志願者の悩みを聞くドクターを気取り、その心地良さが妄想を走らせていた。警視庁捜査1課と高井戸署は、この男性を自殺幇助容疑で被疑者死亡のまま書類送検とした。

 ドクター・キリコ事件へのマスコミの反応は大きかった。インターネット社会では、顔も声も知らない相手から容易に毒物を買えるのだった。この事件は、新聞やテレビで話題を独占し、ホームページの管理者は「ドクター・キリコの診察室」を非公開とした。

 しかし同様のホームページが次々につくられ、草壁竜次を殺人者扱いにする世間を批判し、彼の行為を擁護する声が数多く書き込まれた。当時、自殺をキーワードで検索すると、2万4000件以上のホームページがヒットし、自殺の仕方を具体的に紹介していた。この事件はインターネット情報が新たな犯罪につながる恐怖を知らしめた。現実社会の裏に隠れた人々の勝手な心情をインターネットが醜くあぶり出した。

 平成10年、インターネットを利用した事件が頻発した。1220日には、東京都板橋区の男性がインターネットで購入したクロロホルムで女性(28)を乱暴。男性は自宅で寝ていた女性にクロロホルムを染み込ませた布を押しつけたが、抵抗されたため逃走した。男性は逮捕されたが、女性の上司だった。この男性にインターネットでクロロホルムを売っていた京都大大学院生・加藤栄一(32)が逮捕され、加藤の銀行口座には10数人からの送金があった。加藤は研究室からクロロホルムを持ち出して販売していた。

 平成11年8月、静岡市の女性(38)が、兵庫県尼崎市の女性が開設した自殺や安楽死をテーマにしたホームページに「死ねる薬ください」とメールを送ると、メールを受けとった女性は、筋弛緩系薬品100錠を郵送した。静岡市の女性は、豊橋市内のビジネスホテルで内服、翌日応答がなかったため救急隊員が室内に入り、倒れている女性を発見。女性は一時重体となったが軽快した。「薬はホームページで知り合った女性から入手した」と話したことから、メールの交信記録から薬品を郵送した女性(32)が突き止められ、自殺幇助未遂の疑いで逮捕された。自殺そのものは処罰されないが、自殺を容易に援助する自殺幇助は刑法202条によって、6カ月以上7年以下の懲役または禁固に処されことになる。

 

 

 

宇多野病院の毒物混入事件 平成10年(1998年)

 平成101028日の朝、京都市右京区の国立療養所宇多野病院(現・独立行政法人国立病院機構宇多野病院)で、コーヒーを飲んだ医師8人が嘔吐などの症状を訴えた。男性医師11人が、病院管理棟2階の医師集談室でコーヒーを飲み、8人が嘔吐やめまいなどを訴えたのである。

 医師の1人は点滴による治療を受けたが、他の医師の症状は軽度で数時間で回復した。連絡を受けた京都府警は、毒物混入事件として捜査を開始した。翌29日、京都府警は電気ポットの湯、飲み残したコーヒーからアジ化ナトリウムを検出。症状がなかった医師が最後にポットの湯を使ったのが8時35分で、最初に症状が出た医師は8時45分に使用していた。つまり犯行はこの10分間に行われたのである。また8時半ころに女性職員がポットに水道水を足していたことが分かった。混入されたアジ化ナトリウムの両は不明であるが、症状が軽度だったことから少量と推定された。

 医師集談室は医師34人が利用しており、医師であれば自由に出入りができた。アジ化ナトリウムは、病院の数カ所の研究室の戸棚や薬品用冷蔵庫に保管されていて、研究用あるいは防腐剤として用いられていた。そのため内部事情に詳しい者の犯行とされた。

 使用されたアジ化ナトリウムには、使用日や使用量の記録はなかった。当時、アジ化ナトリウムは「毒物及び劇物取締法」の規制対象外の試薬で、宇多野病院だけでなく、他の研究施設でも使用記録はなかった。アジ化ナトリウムは単なる防腐剤として気楽に扱われていたのだった。

 平成11年3月7日、京都府警捜査本部は内科医長・石田博(43)を傷害と浄水毒物等混入の疑いで逮捕した。石田博は嘔吐などの症状を訴えていたが、その症状を目撃した者がいなかった。また犯行時間帯のアリバイがなかった。さらに決定的だったのは、尿検査で石田から致死量を超える反応が出たのである。しかも尿検査を提案したのは石田本人であった。致死量を超えるアジ化ナトリウムが尿から検出されたのは、故意に自分の尿に試薬を混入したと考えられた。

 この隠蔽(いんぺい)工作が墓穴を掘ったことになる。石田博は東京医科歯科大を卒業後、京都大大学院を修了し、平成6年4月から宇多野病院に勤務していた。犯行の動機は院内での人間関係や院長との反目とされている。石田は犯行を自白したが、裁判では犯行を全面的に否認し、警察での取り調べが不当だったと主張した。平成15年2月28日、京都地裁の古川博裁判長は、「石田博が混入した可能性は高いものの、第三者による犯行の疑いを完全に排除できない。また警察の脅迫的な自白調書は違法であり信用できない」として、石田博に無罪とした。

 しかし控訴審の大阪高裁では「取調官による脅迫はなかった」として自白調書を証拠として認め、京都地裁の判決を破棄し、審理を京都地裁に差し戻した。差し戻し審議の結果、京都地裁の東尾龍一裁判長は「状況証拠から被告が犯人であることは明らかで、アジ化ナトリウムの毒性を認識しての悪質な犯行」として懲役1年4月の判決を下した。平成20年5月15日、大阪高裁は1審の判決を支持し石田の控訴を棄却した。

 この事件は、石田博が犯人でなければ他の医師が犯人であった。いずれにしても、生命に関わる医師が人命を狙ったことに、患者たちのショックは大きかった。さらに厳格なはずの裁判の判決が「自白調書を証拠とすれば有罪、証拠としなければ無罪」というように、第三者からみれば自白偏重に基づいた裁判官の判断が、無罪から有罪に一転させる裁判の恐ろしさを教えてくれた。

 この事件の被害者は、被害者と呼ぶにはあまりに軽症であったが、自白を証拠として採用するかどうかで裁判は10年近く長期化した。その長期化が刑罰以上の苦痛を石田に与えたのではないだろうか。

 アジ化ナトリウムは、ナトリウムと窒素の化合物で無色無臭である。水に溶けやすく、防腐剤として研究室や実験室に常備され、研究者にとっては身近な試薬であった。またかつては自動車のエアバッグのガス発生剤として用いられていた。

 アジ化ナトリウムを毒物とする認識は少なかったが、ヒトが飲むと中枢神経系に障害をきたし頭痛や吐き気、めまい、けいれん、血圧の低下などを起こすことが知られている。ネズミを使った実験から、ヒトの致死量は約 1.5gと推測されている。

 最初にアジ化ナトリウムが注目されたのは、この事件の数カ月前に新潟市で起きたアジ化ナトリウム混入事件であった。平成10年8月10日、木材防腐処理会社「ザイエンス」新潟支店で、お茶やコーヒーを飲んだ10人が薬物中毒症状を示し9人が入院となり、事件から半年後に、経理を担当していた男性社員(43)が逮捕された。男性は会社の金を横領し、東京本社の業務指導で横領が発覚することを恐れていた。そのため、業務指導を妨害する目的で23gのアジ化ナトリウムをポットのお湯に入れたのである。男性社員は、社内預金など約300万円を横領して遊興に使い込んでいた。平成111012日、新潟地裁は男性社員に対し懲役2年4月の実刑判決を下した。

 なお新潟市の事件で、被害者は新潟市民病院に搬送されたが、胃洗浄などの治療を行った医師や看護師6人が、胃の内容物から出た有毒ガスで目まいや吐き気などを訴えた。これは毒物を飲んだ患者の治療中に、患者からの有毒ガスを吸った症状であった。このように医療従事者は「中毒患者の治療の危険性を常に想定しなければならない」ことを教えてくれた。

 平成101015日には、三重大生物資源学部の研究室でアジ化ナトリウム中毒事件が起きている。助教授、事務員、学生ら4人が、休憩室でポットの湯を使いコーヒーや紅茶を飲んだ直後に、吐き気や目まいなどを訴えた。助教授はこれ以上被害が出ないようにポットを自室に持ち帰った。

 しかし同大の大学院生栢木奈生実さん(29)が、やかんで湯を沸かして紅茶を煎れ、砂糖を入れて飲んだところ、最も強い症状をおこし入院となった。アジ化ナトリウムは、ポットだけでなく砂糖にも混入されていたのだった。

 この事件の犯人は不明のまま、事件から約4カ月後の平成11年2月22日、奈生実さんが大学の屋上から飛び降り自殺をした。奈生実さんのコートのポケットから「私は絶対にやっていない」と書かれたメモが見つかった。奈生実さんが犯人だったのか、厳しい取り調べを苦にしての自殺だったのかは不明であるが、この事件は未解決のまま時効(7年)となった。

 平成101027日には、愛知県岡崎市にある国立共同研究機構(現・自然科学研究機構)の基礎生物学研究所の休憩室で、お茶を飲んだ助教授や大学院生、事務員ら4人が気分不快を訴え、市立岡崎病院に入院となった。岡崎署はポットの湯からアジ化ナトリウムを検出し、毒物混入事件として特捜本部を設置した。

 基礎生物学研究所は、警備員が出入りをチェックし、暗証番号を入力しないと入れないシステムであった。そのため内部事情に詳しい者の犯行と考えられた。この研究所では、この事件が起きるまでに、教授室や休憩室などで毒物が混入される事件が4件起きていて、そのうちの1件から微量の青酸カリが検出されていた。このことから、岡崎署はのべ1万3000人を超える捜査員を投入、約90人の関係者から事情聴取を行ったが、犯人は分からないままであった。

 このように平成10年の夏から秋にかけ、新潟、三重、愛知、京都でアジ化ナトリウム混入事件が連鎖的に発生した。これらの事件は、同年に起きた和歌山カレー事件後に起きており、和歌山カレー事件の影響によるものと考えられた。

 平成11年1月、厚生省は、アジ化ナトリウムを毒劇物に指定。そのため、平成11年以降の事件としては、アジ化ナトリウムを用いた故意的な犯罪は発生していないが、誤用による医療事故が病院現場では起きている。

 平成14年1月31日、京都府宇治市の宇治徳洲会病院に心筋梗塞で入院していた男性患者(66)に、アジ化ナトリウムを投与され翌日死亡した。尿の防腐剤アジ化ナトリウム1.5gを、検査室の技師が病棟で看護助手に渡し、看護助手は「アジ化ナトリウムです」と言って看護師に渡したが、看護師は臨時の鎮痛剤と思い患者に投与。30分後に容態が急変して翌日死亡した。この医療事故で看護師ら4人が業務上過失致死容疑で書類送検された。看護師長と看護師が業務上過失致死罪で略式起訴され、罰金50万円の略式命令が言い渡された。一方、検査技師と看護助手は不起訴処分となった。 

 平成16年7月、浦安市川市民病院(千葉県浦安市)で、尿検査のために医師が看護師に渡した防腐剤のアジ化ナトリウムを、別の看護師が内服薬と思い、入院していた千葉市の女性(56)に飲ませた。女性は低酸素脳症から重い脳症となり全面介護が必要な状態になった。平成20年2月18日、東京地裁の孝橋宏裁判長は病院側に約9880万円の賠償を命じた。このようにアジ化ナトリウムはありふれた防腐剤であるが、その管理には慎重な対応が必要である。

 

 

 

名古屋大医学部日高元教授事件 平成10年(1998年)

 平成10年8月28日、名古屋地検特捜部と愛知県警は、名古屋大医学部教授・日高弘義(60)とその妻の邦江(60)を収賄容疑で、富士薬品(本社・埼玉県大宮市)の取締役医薬品研究開発本部長・村松宏(57)を贈賄容疑で逮捕した。日高弘義は現金1億2400万円を受け取っていた容疑だった。

 調べによると日高弘義は、同大医学部の薬理学研究室に富士薬品の社員数人を研究員として受け入れ、実験データなどを同社に提供して、その見返りに、平成6年2月から平成10年4月頃までに、計13回にわたり現金1億2400万円を受け取っていた。また日高弘義は日本新薬(京都市)からも 6000万円を受け取っていた。

 現金は、日高弘義と親交がある三重県紀伊長島町の病院理事長(63)が設立した「基礎薬理研究所」(三重県紀伊長島町)や都内のダミー会社3社を通じて、コンサルタント料の名目で支払われていた。基礎薬理研究所では、日高弘義の長男や義母らが役員に就任していた。また銀行口座は実質的に妻の邦江が管理していた。日高弘義と邦江は容疑を否認したが、村松宏は容疑を認めた。

 日高弘義は、名古屋大医学部教授に就任する前の三重大の教授時代に、邦江が社長を務めていた医薬品販売会社をダミー会社として、「アイデア料」の名目で総額約490万円を受け取っていた過去があった。その金は医薬品メーカー4社から出ていたため、文部省から国家公務員法違反(無許可の兼業)で戒告処分を受けていた。

 昭和62年、名古屋大医学部の教授に就任したとき、薬理学教室の前教授は「戒告処分を受けたことのある人物は教授にふさわしくない」と強く反対した。しかし日高弘義は基礎薬理学、特に脳梗塞予防薬研究の権威として知られており、「カルシウムイオンの細胞レベルの研究」では世界的な業績があった。そのため、「世界に通じる研究業績は捨て難い」という声に押し切られたのだった。

 平成9年9月、日高弘義と医薬品メーカーとの癒着が再びささやかれた。名古屋大医学部の胸部外科教授が、愛知県警に収賄容疑で逮捕される事件が発生。そのときに医薬品メーカーから接待を受けた人物として、日高弘義の名前が浮上したのが今回の事件のきっかけであった。

 平成10年8月24日、日高弘義は教授会で、「米国デューク大の教授に就任する」と突然の辞意を表明。それは逮捕4日前のことで、逮捕を予期してのことであった。教授会に出席した教授たちは「日高教授の発言には逮捕されるような動揺は感じられなかった」と述べている。

 新薬の開発は地道で、経費のかかる基礎研究と臨床試験が必要である。そのため、産(企業)と学(大学)との産学協力が必要であるが、産学連携の金銭的な倫理観があいまいだった。

 国公立大の教員にとっては公務員としての職務、研究者としての企業への貢献、これらの兼ね合いが明確でなかったことが事件の下地にあったと思われる。

 名古屋大医学部教授・日高弘義とその妻の邦江が逮捕されが、それ以上の波紋が製薬業界にあった。それは1124日、業界大手の大塚製薬社長の大塚明彦(61)が、贈賄容疑で逮捕されたことである。大塚社長のほかに、常務取締役新薬開発本部長の薮内洋一(53)、元取締役法務部長の川口茂樹(60)の2人も逮捕された。

 大塚製薬は、日高弘義が三重大教授だったときから、社員を研究生として派遣。データを得る謝礼として、日高弘義への裏金として「基礎薬理研究所」(三重県紀伊長島町)を送金していた。さらに大塚明彦社長は日高弘義の都内のダミー会社にも「技術指導料」の名目で、「基礎薬理研究所」と合算して総額7200万円を送金していた。この7200万円がわいろに当たると判断されたのである。大塚明彦社長は、日高弘義と金額などについて直接交渉していた。

 昭和39年、オロナミンCなどで知られている大塚製薬は、祖父の大塚明彦社長が創立した「大塚製薬工場」(徳島県鳴門市)から分離して設立された。大塚明彦社長が昭和52年に38歳の若さで社長に就任すると、ポカリスエットやカロリーメイトをヒットさせ、自社開発の医薬品事業を大きく飛躍させようとしていた。

 大塚製薬は大企業であるが上場はしておらず、労働組合もなく、大塚明彦のワンマン体制を敷いていた。そのためこの企業体質が今回のような贈賄事件を起こしたと批判されたが、その一方で、むしろ大塚明彦自らが新薬開発のために陣頭指揮を執り、主導的に資金提供を行ったと好意的に受けとめる声もあった。新薬開発をめぐるこれまでの贈賄事件は、臨床試験で便宜を図るパターンが多かった。今回の事件のように基礎研究のための金銭授受が問題になったのは異例なことだった。

 平成11年3月、名古屋地裁は日高弘義が大塚製薬など3社から総額2億5600万円のわいろを受け取ったとして有罪の判決を下した。「産学協同制度では、教授個人の報酬は基本的に認められていないが、今回の事件の収賄額は極めて多額で、教育公務員職務の公正さを著しく侵害した」として、懲役2年、執行猶予5年、追徴金2億5600万円が言い渡された。大塚製薬の大塚明彦は、懲役1年8月、執行猶予3年の判決であった。

 製薬業界が、大学の研究者と協力しながら新薬の研究を進めることは、海外では当然のことである。大学の頭脳を活用したい企業側にとっても、資金不足の研究者にとっても、お互いに利点があった。この利点について、金銭授受を理由に有罪とされたのである。

 この事件は、研究者の道徳観の欠如、営利を求める企業の犯罪とされがちであるが、そのように捉えるのではなく、むしろ新たなルールをつくり、産学協同制度の構築のきっかけとすべきである。

 資源のない日本が科学技術創造立国を目指すには、産学の連携と協力は不可欠である。産学協同は、大学の社会的貢献を具体化させるものである。日本の基礎研究を停滞させないためにも、日本全体を低迷させないためにも、産学協同の透明性と法制度を明確にして、積極的に進めるべきである。

 なお日高元教授の兄はNHKのワシントン支局長、アメリカ総局長などを歴任した日高義樹氏である。約40年近く米国で報道に携わったことから、名前は知らなくても、その顔はテレビで多くの人たちが知っている。日高兄弟の人生は大きく違ってしまったが、テレビに映った兄弟の容貌がとても似ているのが印象的であった。

 

 

 

 いわき市の医師殺し 平成10年(1998年) 

 平成10年5月29日、午前10時5分頃、福島県いわき市常磐上湯長谷町上ノ台の市立常磐病院(萩原昇院長)の神経科外来で、診察中の精神神経科医師・鈴木裕樹さん(34)が、診察を受けに来た同市内矢吹町の無職大和田源二(42)に刃物で首を切られ死亡した。

 大和田源二は、ほかの医師ら3人にもけがを負わせ、刃物を持ったまま自動車で逃走した。大和田は、以前から統合失調症で同病院の神経科に通院していた。大和田は乗用車で逃走したが、東京都内の国道で千住署員に発見され、同日午後、いわき中央署は大和田源二を殺人未遂容疑で逮捕した。

 精神鑑定が2人の医師によって行われ、心神喪失と心神耗弱の2通りの鑑定に分かれたが、地検いわき支部は、責任能力を問えない心神喪失の鑑定を採用し、平成11年2月、大和田を不起訴処分にした。心神喪失とは是非善悪を判断できない状態のことである。一方、心神耗弱とは善悪の判断は可能であるが、判断に従って行動することが困難な状態で、有罪であるが減軽されることが多かった。

 この検察の不起訴処分に対し、鈴木裕樹さんの父親・通夫さん(66)がいわき検察審査会に不起訴不当の申し立てを行った。その理由は、大和田源二は病院に来る途中で刃物を購入して隠して持ち込んだこと、車を正面玄関に止めて逃走しやすいようにしたこと、犯行後も逃走するなど計画性が認められ、統合失調症の行動とは断定できない、としたからである。

 平成13年6月、いわき検察審査会は「刃物を準備し、犯行後に逃走するなど計画性が認められる」として、不起訴処分は不当として再度精神鑑定が行われ、責任能力ありと判断された。福島地検は大和田源二を殺人罪で起訴することになった。また医師の遺族はいわき市と男性患者、その両親を相手に総額2億2000万円の損害賠償を求めた。

 平成151213日、福島地裁の大沢広裁判長は大和田源二に懲役10年の刑を言い渡した。犯行は短絡的で酌量の余地に乏しく、刑事責任は極めて重いとした。争点となった責任能力については「心神耗弱状態」と認定し、心神喪失状態とする精神鑑定を退けた。発生から判決まで5年7カ月が経過したが、被告の責任能力を認める判断が下されたのである。

 平成16年5月18日、鈴木裕樹さんの両親が損害賠償を求めていた訴訟判決で、福島地裁の吉田徹裁判長は、いわき市と大和田、その母親に総額約1億6500万円の支払いを命じた。吉田裁判長は「いわき市は診察室に逃げる場所を確保するなど、医師の安全を確保する義務があった」と述べ、いわき市の管理責任の過失を認めた。なお鈴木裕樹さんの両親は損害賠償金の一部を日本司法精神医学会に寄付して、「鈴木裕樹研究基金」として若手の研究の運用になっている。

 精神障害者の凶行事件は、精神障害から不起訴になることが多かった。しかし最近では、大阪の大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件、滋賀県草津市の母子殺害事件、沖縄県佐敷町の6人殺傷事件など、加害者の責任能力を認める傾向が強まっている。

 精神障害者は、日本の全人口の約1.7%であるが、犯罪に占める割合は0.6%にすぎない。精神障害者の犯罪率は0.09%で、国民全体の犯罪率(0.25%)に比べれば3分の1程度である。このことから「精神障害者が犯罪を犯しやすいのは間違っている」とする精神科医が多い。しかし殺人や放火などの凶悪犯罪に関しては、精神障害者の犯行頻度は高いとする統計もあり、精神障害者と犯罪に関する一般人のイメージが、単なる偏見かどうかについて議論の余地がある。

 

 

 

和歌山毒カレー殺人事件 平成10年(1998年)

 平成10年7月25日の夕方、和歌山市園部(そのべ)地区の空き地で、自治会主催による夏祭りが開催された。夏祭りは住民同士の親睦(しんぼく)を目的に、6年前から毎年行われていた。

 今年は、調理したカレーライスとおでんが振る舞われることになっていた。夏祭りは午後6時に始まったが、楽しいはずの夏祭りはすぐに悲鳴と苦痛の声に変わった。カレーライスを食べた人たちが、次々に激しい吐き気と腹痛に襲われた。すぐに、「カレーを食べるな」と怒号が飛び交った。救急車が次々に要請され、倒れている人たちを病院へ収容していった。

 住民たちは道路の所々にエビのようにうずくまり、会場近くの前田外科には苦痛に満ちた60人が押しかけた。前田院長は治療にあたりながら、重症患者を次々と救急車で病院へ送り出した。

 和歌山市内のすべての救急車が出動し、11台の救急車が2時間の間に病院との間を21回往復し、小学生を含む住民66人が13カ所の医療機関に運ばれた。けたたましいサイレンの音と回転する赤色灯が交錯し、平和なはずの夏祭りが地獄絵に変わった。この凄惨(せいさん)な事件が発生した当初は、多くが集団食中毒と思い込んだ。

 この事件の2年前、大阪府堺市でO157による大規模な集団食中毒が発生し、その後もO157による食中毒が相次いだからである。そのため事件から約6時間後の26日午前0時5分、和歌山市保健所長はこの事件を食中毒と記者会見で述べた。

 被害者は激しい嘔吐と下痢を示し、食中毒と同じ症状だった。そのため、病院関係者も食中毒として治療にあたった。しかし被害者はカレーを食べた直後に症状を出していたのである。食中毒にしては、食べてから発症までの時間があまりに短すぎた。もし食中毒ならば食べてから発症まで最低1時間はかかるが、まさか毒物混入とは誰も考えつかなかった。

 誠佑記念病院では、救急隊員が「集団食中毒が発生した」と報告したが、当直の小池良満医師(47)は「発症が早過ぎるし、症状も重すぎる。本当に食中毒か」と疑問を持ちながら、点滴などの対症療法を行った。

 翌26日の未明になって、自治会長の谷中孝寿さん(64)が誠佑記念病院で亡くなった。谷中さんは、住民を次々と救急車で送り出し、「わしは最後でいいから」と言って最後まで現場に残っていた。さらに副会長の田中孝昭さん(53)、高校1年生・鳥居幸さん(16)、小学4年生・林大貴君(10)の4人が相次いで死亡した。

 4人が死亡し42人が入院する惨事から、この事件は保健所長が発表した食中毒事件ではなく、何者かが毒物をカレーに混入させた無差別殺人事件の疑いが強くなってきた。

 カレーライスを食べたのは67人であったが、その生死を分けたのは、毒物量や個人差もあるが、むしろ嘔吐によって毒物をどれだけ吐いたかであった。また最初から毒物と診断していれば、医師は治療として胃洗浄を行うはずであった。しかし医師たちは食中毒と診断して、点滴による治療を行っていた。

 和歌山県警捜査一課と和歌山東署は、26日午前6時30分、患者の吐いた内容物から青酸化合物を検出したと発表。毒物事件として和歌山東署に捜査本部が設置された。青酸化合物は、炊き出しのカレーライスからも検出され、司法解剖された犠牲者の血液や胃の内容物からも検出された。青酸化合物が強烈な毒物であることは誰でも知っていた。すると「いったい誰が何の目的で不特定多数の人たちを殺害しようとしたのか」この疑問が浮かんできた。

 警察は用いられた毒物が青酸化合物と断定したが、事件から8日目の8月2日になって、用いられた毒物は、ヒ素(亜ヒ酸)であると発表した。この警察の間違いが、なぜ起きたのか明らかにはされていない。青酸化合物が原因であれば、被害者はほぼ即死状態のはずである。このことから、当初発表された青酸化合物には疑問があった。また下痢や皮膚の色素沈着などは、青酸化合物ではみられない症状であった。

 なぜ青酸化合物とヒ素を間違えたのか、その真相を警察は公表されていないが、おそらく、感度の悪い青酸予備試験(シェーンバイン・パーゲンステッヘル法)を安易に信じ、本試験(ベルリン青反応、ロダン反応)を怠ったせいであろう。青酸予備試験では、青酸カリ以外でも反応を示すことがあるからである。

 事件翌日、兵庫県尼崎市でシアン化金カリウム875gが紛失していることが判明。このシアン化合物が事件に使用された可能性が浮かび上がった。そのため、あらためて毒物を分析したところ、使用された毒物は青酸カリではなくヒ素であった。これは警察の大失態であるが、警察は青酸カリについては訂正せず、青酸カリが含まれていたかどうかについて言及しなかった。このことから2つの毒物がカレーに入れられていたとマスコミは思い込んだ。まさか警察が、青酸化合物とヒ素を間違えるはずはないとの先入観があったため、2種類の毒物が同時に混入されたと受け止めたのである。

 2種類の毒物を同時に入手できる人物は限られている。大学や企業の研究所の関係者が疑われ、捜査の方向もその関係者に向けられた。しかし8月25日になって、用いられた毒物は亜ヒ酸であって青酸カリではないことが公式に発表された。

 亜ヒ酸は農薬や防腐剤に用いられ、その致死量は体重1kg当たり1.4mgとされている。問題のカレーには約250gのヒ素が混入されていた。何者かがカレーに800人の致死量に相当する亜ヒ酸を入れたのである。

 夏祭りという多数の人々が出入りしている中で、不特定多数の人々を殺害するために亜ヒ酸を混入させたのである。いったい誰が、このような無差別テロを仕掛けたのか、国民の大きな不安と関心を呼んだ。亜ヒ酸は無色無臭で、かつては毒薬の王様と呼ばれていた。

 和歌山市園部地区は、JR和歌山駅から北へ約3km離れた田んぼに囲まれた新興住宅街で、祭りの会場は袋小路になっていた。祭りの参加者は165人で、その約7割が地元自治会の住人だった。カレーは自治会の主婦ら約20人によって朝から調理され、昼頃にカレーの味見がなされたが異常はなかった。つまり、昼から祭りの始まる午後6時までの間に亜ヒ酸が混入されたのである。カレーは、事前に配られていた無料引換券を持ってきた住民に配られた。

 この前例のない無差別殺人事件に大勢の報道陣が集まり、園部地区は日本中の注目を集めた。毒殺を恐れた住民たちは家の扉を閉め、うわさ話から隣人関係がぎくしゃくしていった。住民たちは互いに疑心暗鬼になり、次第にある夫婦に疑惑の目が向けられた。

 和歌山県警は犯人を園部地区の関係者に的を絞り捜査を進めていた。住民の聞き取り調査から、後に逮捕される元生命保険会社外務員・林眞須美(37)夫妻をめぐる多額の保険金詐欺疑惑が浮上した。

 和歌山毒カレー事件について、保険金詐欺との関連性を最初に報道したのは、8月25日の朝日新聞だった。この報道以降、マスコミは多額の保険金詐欺疑惑のある元生命保険会社外務員・林眞須美(37)と夫の健治(53)に集中した。マスコミはこの夫婦の名前は出さず、テレビでは顔にモザイクがかけられていた。しかし疑惑が強まるにつれ、夫婦の写真が雑誌に掲載され、空撮により夫婦の住居が映し出され、連日100人近い報道陣がこの疑惑の人物の家に詰めかけ、80近い脚立が夫婦宅を取り囲んだ。林眞須美とその夫の健治は、園部地区に7000万円の豪華な住居を構えていた。林健治は、定職もないのに外車を乗り回す豪華な生活を送っていた。

 しばらくして、林宅にたびたび通っていた元会社社長(46)と無職の男性(35)が、カレー事件以前に今回のヒ素中毒と同じ症状で入院していたことがわかった。中毒様の症状を訴えて入院した2人は、2人とも林宅で食事をご馳走(ちそう)になった直後のことであった。またこの2人には2億4000万円の保険が掛けられ、保険金の受け取りは健康食品販売会社になっていたが、事実上保険金は林夫妻に入る仕組みになっていた。眞須美は「保険料は自分が負担する」と言って彼らを保険に加入させていた。2人の爪からは通常の100倍に当たるヒ素が検出された。

 林夫妻は以前から住民とのトラブルが多かったことから、今回の事件について嫌疑がかけられていた。朝日新聞がこの嫌疑内容を報道すると、林健治、林眞須美へのマスコミの取材合戦が始まることになった。林健治は無職だったが、数年前までシロアリ駆除の会社を経営していた。シロアリ駆除業者は、シロアリの駆除に40年前まではヒ素を使用していた。ヒ素はすでに使用禁止になっていたが、林健治はヒ素を大量に持っていた。

 林夫妻からヒ素を預かった知人が、捜査当局にヒ素を任意提出したことから、マスコミ報道はいっそう過熱した。40日間にわたって、報道陣は豪華な林宅を包囲した。疑惑の夫婦は、マスコミを家に入れ、テレビや週刊誌を通して身の潔白を雄弁に主張した。しかしマスコミの関心は、この疑惑の夫婦がいつ逮捕されるかであった。

 これまでに林眞須美が関与していた保険は、生命保険、損害保険、共済保険など11130件であった。支払った保険料は1億5000万円、受け取った保険金は6億1000万円であった。捜査本部の調べでは、林夫妻が最初に他人の保険に関与して保険金を受け取ったのは13年前のことである。夫婦宅に住み込みでシロアリ駆除の仕事をしていた男性従業員(27)が体調を崩して入院、数日後に急死したのが最初であった。保険料を払っていた林夫妻が、死亡保険金2500万円全額を受け取り、遺族とトラブルになった。このトラブルは、和歌山地裁に提訴され1250万円ずつ折半することで和解していた。

 また別の元従業員の男性(36)が一時、下半身不随になったことがあった。昭和62年2月、夫婦宅でお好み焼きを食べた直後、体調を崩して入院。翌年秋に最重度(1級)の障害認定を受けた。このケースでも林夫妻が保険料を負担し、高度障害保険金約3000万円が支払われていた。男性は「原因不明の神経マヒ」とされたが、捜査本部から依頼を受けた専門医によりヒ素中毒の後遺症と診断された。

 眞須美の実母が死亡した際にも、1億4000万円の保険金を得ていた。実母は白血病と診断されたが、病理解剖はされていないので原因は不明であった。ヒ素中毒は、白血病と似た症状を示すことが知られている。

 林眞須美は、平成2年から6年半の間、大手保険会社の外交員をしていた。そのため保険に詳しかった。眞須美の実母と元従業員の死、さらに夫である健治のヒ素中毒症など多くの疑惑がもち上がった。これらすべてに林眞須美がかかわっており、逮捕前から、「平成の毒婦」と書いた週刊誌もあった。保険金詐欺疑惑が毒カレー事件解決の突破口になりそうな雰囲気になった。無職で豪邸に住む容疑者の逮捕を世間は待った。容疑者である林健治はシロアリ駆除業をすでに廃業しており、妻である林眞須美は保険外交員を平成8年に辞め、定期的な収入がないのに、年間1億円を超える生活をしていた。

 10月4日午前6時、和歌山県警の捜査官が林宅のドアを叩き、林眞須美に逮捕状を読み上げた。林眞須美は知人男性への殺人未遂容疑で逮捕された。また平成8年、自転車で故意にバーベキューの鍋に衝突し、重症の火傷を負い、交通傷害保険金を騙(だま)し取った詐欺容疑も追加されていた。林眞須美は、火傷で1種1級の障害者に認定されていた。1種1級は、終日寝たきりの重度の障害であるから、詐欺は明らかであった。

 林眞須美の逮捕と同時に、夫の健治も眞須美と共謀して、保険金詐欺を働いたとして別件逮捕された。健治はそれまで原因不明の病気で、入退院を繰り返していたが、彼の血液からもヒ素が検出された。不自由な足は、ヒ素中毒によるものとされた。健治は妻の眞須美からヒ素を飲まされ、それでいながら共犯にされていたのである。加害者でありながら被害者でもある健治の心境は複雑だったと想像される。

 眞須美被告は、夫の健治にも保険をかけ、生保3社から2億円の保険金を騙し取っていた。裁判で林健治は、自分を殺そうとした妻の眞須美を常にかばっていた。このかばう心理はどこからくるのか、やくざな男の美学なのだろうか。

 2人は厳しい取り調べを受けたが、否認と黙秘で応じた。和歌山県警は、再逮捕を重ねてカレー事件との関連を追及したが、自白はもちろん調書も取れず、そのため膨大な状況証拠を積み上げるほかなかった。現場検証を繰り返し、眞須美以外の第三者が関与した可能性を次々に消していった。

 事件当日のカレーは、アルミホイルでふたをされ、主婦が交代で見張りをしていた。正午から午後1時までの時間帯に眞須美が1人でガレージに残り鍋の番をしていて、紙コップを手にして料理場のガレージに入り、周囲を窺(うかが)うそぶりをしていたことが複数の住民に目撃されていた。

 眞須美が、自宅に隠匿していたヒ素を紙コップに入れ、ガレージでカレーに混入させた可能性が浮上した。朝から常に2人の主婦が交代で鍋の番をしていたが、眞須美だけが1人で番をしていた。

 祭り会場のごみ袋から発見された紙コップから、また林宅からも亜ヒ酸が検出された。物証については、カレーの鍋や林宅など8カ所から亜ヒ酸を採取し、兵庫県の大型放射光施設「スプリング8」という最先端装置によって、カレー、紙コップ、林宅のプラスチック容器に付着した亜ヒ酸が、健治がかつて使っていた亜ヒ酸と同一とする鑑定結果が出た。

 また眞須美被告の台所の排水管の汚泥からも高濃度のヒ素が検出され、ヒ素を台所で流したと推測された。部屋のほこりからも、さらに眞須美の前髪からもヒ素が検出され、それが事件発生時に付着したものと分かった。

 和歌山県警は12月9日、林眞須美を殺人と殺人未遂容疑で再逮捕したが、この毒カレー事件の最大の疑問は犯行動機であった。夏祭りの夜には、少なくても死亡時5億円を超える保険金が夫や知人に掛けられていた。しかし夏祭り当日になって、開催されるはずだったマージャン大会が中止されていた。このことから、保険金目当てではないことは確かであった。

 そこで、かねてからゴミの投棄や駐車のトラブルが周辺の住民とあったこと、さらに眞須美が近所の主婦から祭りの準備などで罵倒(ばとう)されことから、これに激怒したことが犯行動機とされ、いわゆる衝動的無差別殺人と推測された。

 和歌山地検は、眞須美の自宅やカレー鍋から検出された亜ヒ酸の成分が一致したこと、調理現場での目撃情報などの状況証拠から、同年1229日、容疑否認のまま殺人などの罪で和歌山地裁に起訴した。平成11年5月13日、いわゆる和歌山毒カレー殺人事件の初公判が開かれた。被告である林眞須美は、保険金詐欺についてはその一部を認めたが、殺人と殺人未遂については全面否認した。

 和歌山地裁は平成121020日、林健治に「妻である眞須美と共謀して保険金詐欺を行った」として懲役6年の刑を下した。検察、被告とも控訴しなかったため、林健治の刑が確定した。刑の決定後、健治は「何とも軽い刑だ」と雑誌にコメントを述べた。

 この事件で、医療従事者にとって問題になったのは、死亡した3人の遺族が和歌山市と2病院を提訴したことである。遺族は、保健所と病院が適切な指導や初期治療をしなかったため死亡したと訴えたのである。和歌山市、治療に当たった日赤和歌山医療センター(吉田修院長)、中江病院(中江遵義院長)に逸失利益など計7000万円の損害賠償を求める訴えを和歌山地裁に起こしたのである。

 カレー事件被害者支援弁護団(団長・大谷美都夫弁護士)は、和歌山市保健所が事件直後に食中毒と発表したため、この誤った情報が毒物治療に影響したと述べた。この種の訴訟で保健所が被告になるのは異例のことで、裁判では保健所の責任を問えるかどうかが最大の争点になった。病院側にとっても、まさに寝耳に水の訴訟であった。

 医療側のもう1つの問題は、医師が林夫妻の言いなりに診断書を書き、謝礼までもらっていたことである。保険金の支払いには診断書が必要であるが、その診断書が杜撰(ずさん)だった。さらに医師が謝礼として金銭を受け取っていた。保険金不正取得で、虚偽の診断書作成に関与したとして医師4人が和歌山県警に詐欺ほう助と虚偽診断書作成の容疑で書類送検され、起訴猶予処分になった。

 さらに林健治に保険金を支払った明治生命が、事件当時の主治医だった元近畿大付属病院の医師(38)に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。大阪地裁堺支部は、明治生命の訴え通り約5000万円の支払いを医師に命じた。中路義彦裁判長は「医師は診察時に詐病だと認識し、診断書を作成した」と判断、明治生命の訴えを全面的に認めたのだった。

 林眞須美、林健治には後遺症障害1級の認定が下りていた。後遺症障害1級とは、症状が固定して回復が期待できない高度機能障害である。終日、他人の介助がなければ生活できない状態を意味していた。障害が手足の欠損であれば認定は簡単であるが、本人が動けない、見えないと最後まで主張すれば、認定せざるを得ない場合もあるだろう。しかし実際には、林眞須美と健治は日常生活を普通にできていたのである。

 主治医は敗訴したが、主治医が夫婦に騙されていた可能性もある。明治生命が、あるいは障害者認定を受理した行政がきちんと調査していれば、この不正事件は防げたはずである。はたして主治医だけの責任でよいのだろうか。

 平成141212日、和歌山地裁の小川育央裁判長は元保険外交員・林眞須美に死刑の判決を下した。被告以外にヒ素を混入できる者がいなかったと結論づけ、焦点となった動機については、「他の主婦に疎外され激高したこと」とした。眞須美被告は、自白なき1審判決を不服として大阪高裁へ控訴したが、大阪高裁も死刑の判決であった。

 この事件は、生命保険会社が6億円という多額の保険金を支払い、生命保険会社は被害者となった。しかし生命保険会社が不正を事前に防いでいれば、このカレー事件は起きなかったはずである。しかもカレー事件によって初めて一連の保険金詐欺事件が発覚したのである。保険会社の杜撰な審査が引き起こした事件といっても過言ではない。保険会社はいざというときのための共済を目的とした会社であるが、保険会社が悪人を犯罪に走らせたともいえる。

 

 

 

竜岡門クリニック事件 平成10年(1998年)

 平成101014日、警視庁薬物対策課と池袋署は東京都文京区湯島にある竜岡門クリニック所長の鈴木寛済(ひろなり)(64)ら7人を医師法違反(無免許医療)の疑いで逮捕した。逮捕されたのは鈴木寛済のほか鈴木寛済の長男と二男、さらに同診療所の女性検査技師(49)と女性栄養士(50)で、彼らは医師免許がないのに学生たちから血液を買い、「抽出したリンパ球液で免疫力を高める」と言ってがん患者に投与していた。

 竜岡門クリニックとクリニックを経営するシービーエス研究所などが家宅捜索を受けた。この事件は、警視庁薬物対策課が未承認の薬剤をがんに効くとして製造していた製薬会社役員らを薬事法違反容疑で書類送検し、その事件の捜査過程で鈴木寛済らのリンパ球液投与を知り、聞き込み捜査をしていたのだった。リンパ球液は医薬品と見なされ、製造と販売には厚生大臣の承認と許可が必要だった。

 警視庁の調べでは、売血していた学生らは延べ3000人以上であった。早稲田、慶応などの大学生が含まれ、主に体育会系の部員が集められ、投与された患者は1000人以上に及んでいた。

 昭和59年から平成10年4月まで、鈴木寛済らはアルバイトとして雇った男子大学生から血液400ccを2万円で採取、リンパ球液を抽出してパックに詰め、がん患者に1パック8万円で投与していた。竜岡門クリニックはリンパ球療法によってがんが消えた、若い人のリンパ球液を投与すれば免疫力が高まる、副作用はまったくないと宣伝していた。がん患者を集め、年間平均売り上げは約6500万円で、総額10億円を超す荒稼ぎだった。

 リンパ球は白血球の1種で、体内に入ったウイルスや細菌などを攻撃する免疫機能を持っている。リンパ球にはウイルスに感染した細胞を直接攻撃するT細胞、未知の異物と戦う抗体を分泌するB細胞の2種類に分けることができる。竜岡門クリニックで行っていたリンパ球療法は、買い上げた血液からリンパ球を抽出し、がん患者らに点滴をして、患者本人の免疫力を活性化して治すと説明していた。

 リンパ球療法として、「自己血のリンパ球を培養して抗原を認識させて体内に戻す治療」は今日でも行われているが、他人のリンパ球を患者の体内に入れるのは危険だった。他人のリンパ球が、患者の身体を異物として逆に攻撃する移植片対宿主病(GVHD)を引き起こして死に至らせる危険があったからである。竜岡門クリニックでは、血液提供者の梅毒、B型肝炎、C型肝炎などの検査が行われていなかった。そのためウイルス感染の危険性も高かった。

 鈴木寛済は医師ではなかったが、がんの治療法として「末期がん患者に他人のリンパ球を投与する新リンパ球療法」を唱え、3冊の本を出版して「がんが消えた」などと広く宣伝していた。自ら本を書いてそれを宣伝に利用することは、民間療法のよくやる手法である。本屋に行けば民間療法に関する本が並び、新聞の第1面の広告には怪しげな本の宣伝が掲載され、本や新聞といった権威を利用した宣伝は「バイブル療法」と呼ばれているが、鈴木寛済も同じ手法をとっていた。

 竜岡門クリニックは、95歳の寝たきりの医師の名義を無断で借り、末期がん患者に他人のリンパ球を投与していた。竜岡門クリニックは販売ルートを全国に広げ、小包や宅配便などでリンパ球を郵送し、約40の医療機関で患者に投与していた。それぞれの患者が持ち込んだリンパ球を各病院の主治医が投与していたのだが、いずれも安全性を考慮していなかった。副作用はなかったとされているが、危険性はきわめて高かったはずである。

 医療機関の中には5つの国立大付属病院が含まれ、富山医科薬科大付属病院は胃がんの患者に4回投与していた。山形大医学部付属病院は卵巣がん患者に25回投与、肺がん患者に2回投与していた。金沢大医学部付属病院、浜松医科大医学部付属病院、名古屋大医学部付属病院でもがん患者に投与していた。

 厚生省は「リンパ球液投与」の全国実態調査を行い、その結果、竜岡門クリニック以外にリンパ球療法を行っていた都道府県は29で、リンパ球液を投与していた医療機関は103カ所、投与患者数は1万1169人であったと発表した。リンパ球液の入手方法は、患者や家族が直接購入したものが82件、医師が仲介したものが15件、自院で調整投与したものが7件であった。

 投与された患者1万729人のがん患者のうち7091人はすでに死亡していたため、感染症や副作用の有無は不明のままであった。

 リンパ球液療法を行っていた医療機関が予想以上に多かったことから、厚生省は、「リンパ球液の投与について」の通知を各都道府県に送付した。その通知には、「有効性、安全性が確認されていない薬事法上の未承認薬の投与に当たっては、患者の病状、診療上の必要性、期待される効果、可能性のある副作用などすべての事情を十分考慮し、その取り扱いについて慎重に検討すべき」と指摘している。さらにリンパ球液を買い集めることを、買血行為として新たに禁止した。

 薬事法上無許可で製造されたものであっても、すがる思いの患者に懇願されれば、医師はむげに断るのは困難である。丸山ワクチンと同じ感覚だったのだろうが、根拠のない治療は無意味である以上に危険性を伴うのである。しかも他人のリンパ球を投与することは輸血と同じ行為で、投与した医師に責任がないとはいえない。

 平成1011月、東京地方検察庁は竜岡門クリニックの経営者らを医師法違反罪で起訴、さらに薬事法違反容疑で再逮捕した。東京地裁(今崎幸彦裁判長)で鈴木寛済ら4人は起訴事実を認め、鈴木寛済は懲役2年の実刑判決を受けた。鈴木寛済は控訴したが「患者の必死の思いに付け込み、治療の名のもとに高額な利益を上げた責任は重大」として控訴は棄却された。鈴木寛済以外の容疑者の判決は執行猶予の付く実刑であった。また法人としてのシービーエス研究所も罰金200万円、追徴金7080万円の判決を受けた。

 シービーエス研究所は後に東京国税局の税務調査を受け4年間で総額約1億3000万円の所得隠しを指摘されている。シービーエス研究所が隠していた所得の一部は、鈴木社長と親しい女性のマンション購入費に充てられていた。この竜岡門クリニック事件は患者の必死の思いに付け込んだ、金儲けを目的とした卑劣な犯行であった。

 この事件で考えさせられるのは、もし逮捕された鈴木寛済が医師であったならば、偽装した治療成績を三流医学雑誌に掲載していたら、どのような経過になっていたであろうか。他人のリンパ球を利用する治療法として、白血病への骨髄移植という治療法が認められていることから、金儲けのインチキ療法であっても、自由診療であれば万が一にも合法とされることを危惧するのである。

 

 

 

 バイアグラ発売 平成11年(1999年)

 平成10年3月、米国の製薬会社ファイザー社が開発した勃起不全治療薬バイアグラが米食品医薬品局(FDA)の認可を受け米国で販売された。性的不能(インポテンス)治療薬としてはバイアグラが初めての薬剤で、また実際に効果があったことから、発売とともに「夢の薬」として爆発的に売り上げを伸ばしていった。

 内服には医師の処方が必要で、性交1時間前に1錠飲むだけで効果があった。ファイザー社は1錠7ドル(約900円)の卸値、1錠10ドル(約1200円)の小売値で販売。3月から12月まで、米国内で300万人が服用するという大ヒット薬剤となった。バイアグラの命名は、活力(Vigor)とナイアガラの滝(Niagara Falls)の合成語で、売り上げを伸ばしたのは、このネーミングも関係していた。

 バイアグラがこれだけ売れたのは、それだけ効果があったからである。ファイザー社によるとインポテンス患者4000人を対象にした臨床試験で、約70%に性機能改善が認められたとしている。臨床試験を受けた性機能障害の疾患としては、糖尿病、脊髄障害、前立腺手術、心理的障害などであったが、どのグループでも効果が確認された。

 インポテンスの治療は、バイアグラが発売されるまでは、性器へ直接薬剤を注入したり、シリコンを埋め込んだり、補助器具の使用などがあった。そのため気楽に内服できるバイアグラは、爆発的に売り上げを伸ばしたのである。バイアグラを求める男性の中には高齢のため性機能が衰えた男性も多く含まれていた。

 バイアグラの副作用として頭痛、顔面の紅潮、消化不良などがあり、平成10年6月、FDAはバイアグラを服用した男性16人が死亡したことを発表した。この16人中7人が性交中あるいはその直後に死亡していたが、このような警告にもかかわらず売り上げを伸ばしていった。

 バイアグラはもともと心臓の栄養血管である冠状動脈を広げる狭心症の薬剤として開発されていた。臨床試験では狭心症への効果は期待ほどではなかったが、治験を受けた患者がバイアグラの隠れた性機能改善効果を指摘したのだった。このように性機能改善効果は偶然の産物であるが、もともとが狭心症の薬剤だったことから、心臓病の患者が使用すると冠状動脈を拡張させる危険性があった。そのためバイアグラは、ニトログリセリンなどの心臓病の薬剤を服用している患者には禁忌となっている。

 日本でバイアグラの報道がなされると、男性週刊誌やテレビなどが盛んにバイアグラを取り上げその話題で盛り上がった。セックスレスで離婚した夫婦がバイアグラによって復縁した話、大富豪が若い女性に走り妻から巨額の慰謝料を請求された話、このような事例が多数紹介された。男性にとって性的欲求や性的欲望は、高齢になっても変わらないのであった。

 バイアグラは日本では発売されていなかったため、バイアグラ人気に目を付けた旅行会社はバイアグラの買い出しツアーを企画した。この買い出しツアーは日本人が大挙してバイアグラを買いに行くもので、ロサンゼルス空港からタクシーで専門クリニックへ行き、診察を受け、処方せんを書いてもらいバイアグラを購入するものであった。

 またインターネットを通じて、バイアグラが日本国内市場に上陸し始めた。日本の薬事法では「未承認の薬剤であっても、個人の使用であれば輸入を規制できない」、このことを利用した輸入代行業者が急増したのである。輸入代行はインターネットを利用した典型的なすき間商売で、日本で承認されていないバイアグラが日本国内に出回る状況になった。合法的ではあったが、値段は1錠2000円から4000円と高額であった。

 平成10年5月29日に発売された「週刊現代」がバイアグラの購入方法を紹介、購入申し込み用のはがきを添付した。このような事態から翌6月に、厚生省は初めて「バイアグラ」対策に乗り出し、「未承認薬の広告を禁じた薬事法に違反する」として出版元の講談社に事情聴取を行った。

 週刊現代編集部は、本誌ではバイアグラの購入申し込み用のはがきを添付しただけで、読者から届いたはがきはそのまま業者に渡している。本誌は直接利益を得ているわけではないので問題ないと反論した。厚生省はこの事態を重視し、ファイザー社に日本でのバイアグラの販売申請を急がせた。

 そして申請から半年という異例のスピードで、日本でもバイアグラが認可され、平成11年3月、ついに日本でもバイアグラが発売されることになった。

 一般的には海外で発売されている薬剤であっても、人種間の薬効や副作用の違いを考慮し、発売には日本独自の治験が必要であった。しかしバイアグラは日本での臨床試験を行わず、米国での発売からわずか1年で日本でも承認されたのである。海外の薬剤が日本で認可されるには通常は数年を要するが、このバイアグラの認可は異例といえるスピードであった。バイアグラは日本人のデータを用いず、海外のデータを用いての新薬認可第1号となった。

 バイアグラは一般の薬剤とは違い病気を治すのではなく、生活の質を向上させる薬剤として、医師の処方せんを必要としながら、保険の適用とはならず全額自費であった。医師の処方せんを必要としながら、保険の適用を認めない初めての薬剤となった。値段は1錠1100円で、米国の値段とほぼ同じであった。

 バイアグラの一般名はクエン酸シルデナフィルで、その効果は血管平滑筋弛緩作用を増強させ、陰茎への血液流入を促すとされている。バイアグラが必要とされるのは、病気によって勃起不全をきたした男性であった。勃起不全をきたす基礎疾患としては糖尿病、事故による脊髄外傷、骨盤内の手術による後遺症などがある。しかしストレス、疲労、恐怖心、アルコール中毒などによって勃起不全を来した男性にも効果があった。バイアグラは媚薬(びやく)でも強壮剤でもないので健康な男性がバイアグラを飲んでも変化は起こらないとされているが、そのような製薬会社の説明は理屈だけであって、高齢とともに勃起不全をきたした男性にも効果があるため、正常男性もバイアグラを買い求めた。

 日本では1年間に2人の死亡例が報告されているが、副作用を来した例は個人輸入や知人から譲渡されたバイアグラを使用した人たちだった。バイアグラの国内販売が始まってからも個人輸入の注文は減らなかったが、それは病院に行くのが恥ずかし気持ちと、医師の処方を受ける手続きが煩雑だったからである。

 バイアグラはこれまでの薬剤とは違い生活改善薬と呼ばれた。生活改善薬とは、生命にかかわる疾病を治療するのではなく、「これが解決できたらもっと幸せなのに」という悩みを解決してくれる薬剤である。ライフスタイルから生じる障害を減衰してくれる薬剤で、肥満治療薬、禁煙補助剤、育毛促進剤などがバイアグラと同様に生活改善薬と呼ばれている。

 それまで性的不能はインポテンスと呼ばれ、バイアグラはインポテンスの薬剤とされたが、インポテンスは人として本来備わっている能力が失われているイメージがあった。そのためED(Erectile Dysfunction)という言葉が用いられ、新聞などで盛んに宣伝された。

 EDとはインポテンスと同義語で、「性交時に十分な勃起が得られず、十分な勃起が維持できないため満足な性交が行えない状態」と定義されている。日本人の疫学調査では、40歳から70歳の男性の半数以上がEDとされ、年齢とともにその頻度は増している。

 男性機能回復センター(東京都港区)によると、EDの男性は全国で950万人、早漏を含めると1500万人と推定されている。EDのうち糖尿病による人が約20%、高血圧が約11%、心臓病が約9%で、最も多いのが病歴なしの約40%である。