芭蕉と団塊の世代

芭蕉と団塊の世代
 月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也.舟の上に生涯をうかべ,馬の口とらえて老をむかふる物は,日々旅にして旅を栖とす.古人も多く旅に死せるあり.
 これは誰でも知っている松尾芭蕉「奥の細道」の序文である.ところで奥の細道に描かれた松尾芭蕉の肖像をみると,どう見ても70歳を過ぎた爺さんである.しかし松尾芭蕉が奥の細道の旅に出たのは45歳のときであり,この世を去ったのは50歳のときであった.
 お爺さんと思っていた芭蕉が,現在の団塊の世代よりも若い年齢で死去しているのである.松尾芭蕉の死亡時年齢が意外に若いことに驚きを覚えたが,それ以上に愕然としたのは,日々のつまらないことに悩み続けている自分たちが芭蕉よりも老人であることである.
 芭蕉よりも年上の自分たちが,子供のこと,家計のこと,患者のこと,病院のこと,老後のこと,このような様々なことに悩んでいるのである.まして,いつかはクラウンと心に秘めながら,ベンツやBMWに乗ってみたいと外車雑誌を手にしている自分がなさけない.あの世で芭蕉に会えたならば,芭蕉の開いた口はふさがらないであろう.人生は欲じゃない,与えられた人生は与えられた範囲で使うもので,自然の中で生きている無情を知ることです,アホじゃないの.このように言われてしまいそうである.
 芭蕉50歳にて死去の衝撃から,歴史上の著名人の死亡時年齢を調べてみた.「働けど働けど我が暮し楽にならざり じっと手を見る」,この石川啄木が借金だらけの極貧生活だったことは有名であり,6畳の部屋に一家5人が生活していたことも事実である.そして母親,妻と同じく啄木は肺結核をわずらい26歳で亡くなっている.極貧と若死という悲運な人生が啄木の文学をより価値の高いものとしているが,なぜ啄木は極貧だったのだろうか.
 石川啄木は小学校の教員,新聞記者で生計を立てていたが,明治の時代とはいえ,当時の小学校の教員,新聞記者がすべて極貧だったわけではない.石川啄木がなぜ極貧生活を送ったかといえば,それは女遊びが原因だったのである.当時の女遊びは遊郭であるが,遊郭のナンバーワンを指名し続けたことが極貧の原因とされている.この事実を知ったときも大きな衝撃を受けた.教科書に載るような,記念館が建つような人物がなぜ女遊びだったのか.
 しかしそうは言っても,写真で見る啄木の美男子像に憧れと嫉妬を覚えていた著者にとって,啄木の人間性に触れたようでなぜか親しみがわいてきた.才能に恵まれながら金銭的に恵まれなかった啄木が,他人との優位性と悲運を自覚しながら女遊びにのめり込んでいった.
 この人間的弱さが,人間が持つ側面として理解できる気がする.そして啄木の才能に惚れていた啄木の妻が文句を言わなかったことが,今の妻たちとは違った人間の側面を感じるのである.女遊びをしている旦那以上に,旦那の才能に惚れていたのであろう.
 しかしながら女遊びをしながら,じっと手をみている啄木を想像すると思わず微笑んでしまう.
 明治維新の原動力なった松下村塾をつくった吉田松陰は,安政の大獄に連座して29歳で処刑されている.吉田松陰はアメリカへの出国を企て失敗,自首して犯罪者となったが,吉田松陰は高杉晋作、木戸孝允,伊藤博文など日本の基礎を築いた人たちを育てたのである.吉田松陰は研修医と同じぐらいの年齢で,明治維新の思想的設計図を描きそれを伝承した.吉田松陰は手取,足取り,挨拶もできない研修医と同じ年代である.彼らと比較するまでもなく,日本の国の将来を考え人材を育てた吉田松陰の偉大さが分かる.
 松尾芭蕉,石川啄木,吉田松陰,彼らはテレビも携帯もない時代に生きた.いっぽう団塊の世代も彼らと同じテレビも携帯もない生活を体験している.戦後の貧困を知り,学生時代は受験戦争に巻き込まれ,大学では学生運動でヘルメットをかぶり,就職したら猛烈社員となり,バブルとバブル崩壊を体験したのが団塊の世代である.そして住宅ローンを抱え,リストラに怯えていた団塊の世代もそろそろ定年を迎えようとしている.
 昭和22年前後に生まれた団塊の世代は芭蕉より5歳は年上になっている.これからどのような人生を送るのか.バッカスの神に惚れられ酒に浸るのか,ゲーテのように73歳で恋をするのか,大学時代を思い出し社会正義のためヘルメットをかぶるのか,人生の評価は自分が決めることであるが,せめて先輩たちに笑われないような人生を送りたい.