医療サービス

医療サービス
 環境保護,減税,社会保障,このような耳に心地よい言葉がある.そして誰もが心地よく感じる言葉のひとつに「医療サービス」という新顔が登場した.
 もしアンケート調査を行ったとしたら,医療サービスという言葉に反対する者は誰もいないであろう.医療に対し多くの不満を持っている国民は,医療サービスという言葉に喝采を上げ迎え入れるにちがいない.
 反対する者がいないので,この言葉が流行ることになる.また流行に乗り遅れまいと,それまで高飛車だった病院までもが医療サービスを口に出すようになった.しかし医療がサービス業かと言われると,何となく違うものを感じてしまう.
 それは医療サービスという言葉の裏に,利潤を追求する医療機関の宣伝を感じるからである.医療機関どうしの競争の中で,患者を顧客ととらえた場合,サービスという言葉は患者の来院意識を高めるのに適しているからである.患者の利便性,快適性を優先させる努力は必要である.しかし患者優先の医療をうたい文句に,収入を目的とした患者への迎合行為を感じてしまうのである.
 私たち医療機関は安定した患者にも様々な検査を行う.病院が検査を行うのは患者の健康不安を解消させるための検診サービスであるが,サービスと称して病院が利潤を求める行為でもある.そしてこのような無駄な行為が医療財政悪化の原因と非難されている.サービスという言葉に,小さなパイを奪い合う医療機関の姿を連想してしまうのである.
 平成7年,厚生省は厚生白書に医療をサービス業と明示した.しかし「金を出さずに口ばかりだす厚生省」が本気で医療をサービス業と捉えているのだろうか.
 現行の診療報酬は検査や薬剤に金を出しても,患者サービスへの金はわずかばかりである.医師の増員が医療サービスにつながるのに,医師過剰時代として医師を減らそうとしている.基準看護で看護婦を増やせと言いながら,その財源を示さない.そして極めて少ない現在の国民医療費をさらに抑制しようとしている.
 厚生労働省の言葉と実際とは常にチグハグ矛盾している.
 病院,診療所の役割分担についても同様である.診療所の初診料を病院より高く設定しているが,これは診療所の医療サービスの方が病院よりまさっているからであろうか.開業医優先の政策であろうが,これでは病院の待ち時間解消など到底無理である.
 患者の大部分は医療の現状を知らずにいる.医療機関がぎりぎりの経営で苦しみ,医師や看護婦が過労で倒れそうなのに,患者は何も知らずにサービスばかりを求めてくる.そして医療機関は医療で儲けているのにサービス感覚が欠如していると憤慨している.医療費抑制政策の現状を知らずに,自分へのサービスばかりを求め憤慨している.
 昭和36年に国民皆保険制度が設立されてからすでに40年の歳月が経っている.保健医療の目的は貧富に関係のない平等な医療の実現であった.しかしこの問題はすでに設立当時から十分に解決している.むしろ問題は,自由な時間を持つ者が医療において常に優先されている新たな不公平,不平等である.税金も保険料も払っている多忙な人たちが,時間的束縛から医療を利用しにくくなっているのである.
 新幹線にグリーン車が,航空機にもファーストクラスがあるように,もし国民医療費を抑制したままサービスを求めるならば,医療サービスの突破口として混合診療の導入も選択肢のひとつであろう.
 現状の国民皆保険制度を変えずに医療サービスという言葉を用いるのは違和感がある.保険医療は最低の医療を保障するもので,医療の快適性までを保障するものではない.もしサービスという言葉を医療に持ち込むならば,サービスに見合う財源の議論が必要である.快適性をサービスというならば,サービスに金を払うという当然の感覚が必要である.
 医療サービスという意識改革には反対はしない.迷惑そうに患者を診察する医師がいることも事実である.長時間患者を待たせることも心苦しい.しかし現在の医療費抑制政策を変えずに,薄利多売の医療を変えずに,患者が望む医療サービスを実現させるのは困難である.
 コンビニ感覚で医療を利用できれば,それにまさるものはない.しかし医療機関に犠牲を強いるサービスは,現場に疲労と嫌気をもたらすだけであろう.財源を考えずにサービスという心地よい言葉を使うべきではない.むしろ強制的ボランティアと表現すべきである.
 現在の医療にサービスを求めるのは,一流ホテルのサービスを民宿に求めるようなものである.もう少し現実的な議論が必要である.