医療の効率化と医療難民

医療の効率化と医療難民
 経済を基盤とする現代社会は常に生産性や効率が求められている.企業はベルトコンベアーで無駄を減らし,カンバン方式で在庫を減らし,リストラで人件費を削り利益を上げようとしている.資本主義社会における効率化は良い製品をより安く売るための競争であるが,この効率主義を別の言葉で言い換えれば金儲けのための企業の論理と表現することができる.
 最近,この企業の論理を医療に持ち込もうとする動きがある.医療財源が困窮しているのは医療に無駄があるからで,効率化によって医療の無駄をなくそうという発想である.また病院が赤字なのは経営に無駄があるからで,経営のプロが病院を経営すれば黒字になるという理屈である.しかし彼らの理屈は根本的に間違っているだけでなく,国民を不幸のどん底に陥れる危険性を含んでいる.
 医療財源が困窮しているのは国が医療財源を出さないからで,欧米の2倍以上の患者を欧米より安い医療費で運営している日本の医療に,非難されるような無駄など存在しない.医療において効率化が可能なのは白内障の手術や整形美容などの生命に関与しない部分に限られ,しかも効率化が可能な部分はすでに効率化がなされている.病院が赤字なのは病院が赤字になるように医療が統制されているからで,赤字を非難するならば赤字を誘導している医療体制を非難すべきである.
 このように経済人が医療の効率化を言うのは,医療ビジネス参入のための口実にすぎない.動機が不純なだけでなく,彼らの発言は日本の医療に無駄が多いという誤解を国民に与えている.
 ところで人間の身体は巨大な化学コンビナートにたとえることができる.そしてこの巨大な化学工場が故障した場合に,その原因を診断し正常な状態に戻すことが医師の務めとされている.そのため医学部では化学工場の仕組みが教えられ,学生たちは壊れた部分の診断やその治し方を学んでいる.
 この医学の役割を示す当たり前の文章は,また同時に現代医学の最大の欠点をも表している.それは現代医学が人間を部品の集まりと捉え,故障した臓器にだけ目を奪われているからである.現代医学も経済人が考える効率的医療と同じ様に,医療をシュミレーションゲームのように捉えている.
 人間の身体はたしかに巨大な化学工場の集まりである.しかし人間は無機質のサイボーグではない.人間は喜怒哀楽の感情を持ち,数値では表現できない様々な要因によって左右されている.もし壊れた化学工場を治すだけならば,修理不能と患者を突き放すだけならば簡単である.しかし実際の医療が難しいのは,それを必要としている患者が人間であり,壊れた部品を交換するようにはいかないからである.
 現在は高齢化社会である.そして医療を必要とする大部分の患者も高齢者である.このような高齢化社会の医療には企業の論理も現代医学の論理も通用しない.70年以上も酷使した老人の身体はある部品だけが壊れているわけではない.経済人ならば廃車にするようなボロ自動車を丁寧に扱うのだから容易なことではない.老化を基盤とした疾患にはマニュアルも教科書も通用しない.一人ひとりへのオーダーメイドになるので,時間も費用もかかることになる.老化に関した疾患にはむしろ非効率的医療が求められている.
 高齢化社会には高齢者に適した医療,つまり医療に医学と福祉を融合させた考えが必要である.しかしこれらは別物であるかのように,統一されずバラバラのままとなっている.
 医療への市場原理の導入は患者の利益が目的ではなく,企業の利潤追求が目的である.修理工場や金貸しと同じ様な商売の発想である.患者の人間性や福祉の部分を削除した考えで,多くが望んでいる全人的医療とは逆行している.また効率化によってマンパワーが減少すれば患者へのケアーはなおざりになり,多忙による医療事故も多発することになるであろう.
 利益のために従業員の首を切る企業が,悩める患者のために何をするのだろうか.医療制度の美味しい部分だけを食い荒らし,儲からない患者を突き放すだけである.医療を必要とする患者が医療から追い出され,福祉の恩恵も受けられず,医療難民が路頭に迷うことになる.
 人間を札束で数えるような医療,人間を数値で評価するような医療,このような医療など誰も望んでいない.倫理性のない企業の論理,このような貧困な精神が医療に持ち込まれれば,患者はただ不幸になるだけである.
 元気な者にはわからないだろうが,いずれ年齢を重ねれば我が身のこととして医療難民を実感するであろう.