私説日本医療史

私説日本医療史

  混迷する現在の医療を何とかするため歴史書を紐解いてみた。「故きを温ねて新しきを知る」、この孔子の言葉にすがってみることにした。しかし医学史の書物 に書かれていることは、ヒポクラテスから北里柴三郎まで、つまりギリシャ時代から明治時代までのことばかりで、これら医学偉人伝、医療考古学から混迷する 今日を知ることはできず、試みはあえなく挫折するに至った。

 数日後、学ぶべきは戦後の医療史ではないかと思いつき、再度考察を試みた。

 戦後の医療史の10大事件を自選し、現代医療の解明に再び挑戦してみた。

 森永砒素ミルク事件(昭和30年)、水俣病(昭和34年)、サリドマイド薬害訴訟(昭和38年)、ライシャワー大使輸血後肝炎事件(昭和39年)、千葉大病院チフス菌人体実験事件(昭和41年)、筋肉注射による大腿四頭筋短縮症(昭和48年)、エホバの証人輸血拒否事件(昭和60年)、東海大学安楽死事件(平成4年)、ソリブジン薬害事件(平成6年)、薬害エイズ事件(平成8年)。

 このように医療事件を並べてみたが、現在の医療を暗示する関連性は浮かんでこない。事件の多くが製薬会社と行政が中心になった薬事事件であり、医師の直接関与した事件が意外に少ないことに多少の安堵を覚えた。しかしこの10大事件を眺めてみても、今日の医療を知るためのヒントは得られず、歴史をたどれば今日が分かるという孔子の言葉、ここに再び挫折する。

 翌朝、これは阿部定事件や酒鬼薔薇事件から日本の将来を予測するような愚かな方法であったことに気づき、再度考察に挑戦、ここから本題に入る。

 日本の医療は繰り返しのない一方通行の道を歩んできた。そして、これまでに3度の記念すべき日があった。国民皆保険制度(昭和36年)、保険医総辞退(昭和46年)、そして点滴記念日(平成4年)がそれである。この点滴記念日が現在の混迷する医療を解き明かすキーワードになると思われる。

 国民皆保険制度は最良の医療を国民に与えたが、医療はタダだと国民に思わせてしまった記念日である。そして武見太郎による保険医総辞退は医療の主体が行政ではなく医師にあることを確認した記念日といえる。

 問題は平成4年4月1日 の点滴記念日である。その日は、前日まで黄色だった点滴の色が全国いっせいに透明色に変わった日である。前日までビタミン混注のため黄色だった点滴が、入 院患者へのビタミン投与は保険適応外との厚生省通達により、この日を境に点滴の色が黄色から無色に変わったのである。そしてこの点滴記念日が、医師が医療 への主体性を失った記念日になった。

 点滴の色が変わったことが何を意味しているのか。ひとつは医療に行政の介入を許したことである。さらに行政の医療への介入が正しかったことである。

  医師が常識的な医療をやっていれば、このような事態にはならなかった。ビタミンの効用などの屁理屈を述べたことが間違いの元である。医師が医学知識をいか に駆使しても、ビタミンの必要性など常識外と通用しなかったのである。経営手段にすぎないビタミン混入を、医師が理屈を述べれば述べるほど、自らの信用を 落とす結果になった。この行政指導を受ける前に医師が自主的に使用を制限すればよかったのである。

  この点滴記念日を境に武見太郎の呪文から解放された行政の反撃が始まった。まるで子供を指導する教師のごとくである。医師に自浄作用が無いから行政の指導 を許すことになった。訳も分からずに検査をするから、何も考えずにクスリを処方するから、行政が包括医療としてのマルメを始めたのである。この流れは勢い を増しながら今も続いている。院外処方、レセプト開示、すべて医師の非常識、あるいは医師への不信から生じた世の流れである。

  移植法案もまたしかりである。人間の生死を決めるのは医師の仕事であるが、医師が信用できないから生死を法律で規制する移植法案ができたのである。医師に 自浄作用がないから、法律の網を被せられたのである。まさに医師の敗戦記念日、屈辱記念日である。これを統制経済による日本の医療の宿命と思ってはいけな い。世の常識に背を向け、自らを律することが出来なかった医師の宿命である。医師の理屈は保身のための屁理屈、医師の笑顔は金儲けのための笑顔、このよう な世間の評価は9割は誤解であるが、1割は正論といえる。

  このような医療の流れを知り、日本の医療の宿命を変えるためには対策が必要である。医師が医療を変えなければ、さらに法律の網はきつくなり日本の医療その ものがガンジ搦めになってしまう。学校が父兄と教育委員会に監視されながら崩壊したように、医師の一挙一動が行政に縛られ、法律に縛られれば、医療は立ち 行かなくなってしまう。

  まず成すべき事は、医師が如何にして国民の信頼を得るかである。そしてその実現のためには、まず身を正し、不正行為、不正請求があれば医師が身内を厳しく 罰することである。法律に反することはもちろんのこと、世の倫理や常識に反する行為は医師が自ら正すことである。クスリ漬けとの非難があれば反論するか、 反論が出来なければクスリの使用に関する自主規制をつくることである。自ら不正行為を正さないと、正しい行為も不正に見えるものである。泣いて馬謖を切 り、二十数万の医師を救うことが必要である。医療に哲学をもち。正しい医療を、正しい信念の元で行うことである。

 この日本の根底にある大きな流れをくい止めるには、医師が自らを正し、国民の信頼を得る以外に方法はない。古代聖人の無言の言葉がここにある。