氷河から現れた5300年前の男

氷河から現れた5300年前の男 平成3年(1991年)

 平成3年9月21日、オーストリアの地方紙は「チロリアン・アルプスのハァナイル峰を下山中のジーモン夫妻が、氷河で覆われた小渓谷(海抜約3200m)の解けかけた氷河から、頭と肩を突き出した遺体を発見。身元はわからないが、10年以上前に遭難した登山家の遺体と思われる」と報道した。

 毎年のように、氷河から数体の遺体が発見され、遺体発見は特に珍しいことではなかった。遺体の周囲にスキー用のゴムバンドが落ちていたので、10年以上前に遭難した登山家らしいと報道された。

 遺体の頭部に毛髪はなく、コイン大の傷跡があった。この頭部の傷が、犯罪による傷ならば司法解剖になるが、山岳遭難による行き倒れならば、医師が死亡診断書を書き、家族が遺体を引き取るはずだった。

 しかし遺体がインスブルック大の法医学教室に運ばれ、よく調べてみると、ミイラ化した遺体は予想以上に古いものであった。遺体は法医学教室から解剖学教室に移され、さらにインスブルック大考古研究所のシュピンドラー教授に遺体の調査が一任された。

 氷河はなだらかな斜面をゆっくりと流れている。そのため、氷河の中の遺体はバラバラになるのが通常であるが、この遺体は無傷だった。これまで氷河から発見された一番古い遺体は400年前のものであった。

 遺体を損傷しないように、全身のレントゲン撮影とCTスキャンが行われた。遺体の身長は160cmぐらい、体重は完全乾燥状態で13kgだったので、本来の体重はおよそ50kgとされた。骨盤の形から男性と判明、背骨の状態から年齢は35歳前後と推定された。

 遺体の衣服、皮の靴、周囲に残された遺物の調査も行われた。すると遺体の側に置かれていた棒のようなものは、つくりかけの弓であった。弓の材質から、弓は17世紀以前のものとされた。さらに斧も発見され、その成分が銅であることから、有史以前のものとされた。

 遺体の年代はどんどん古くなってゆき、遺体はいつしかアイスマンと呼ばれるようになった。インスブルック大のシュピンドラー教授らは、炭素の放射性同位元素の測定を行い、アイスマンの年代を分析することになった。

 炭素の放射性同位元素を用いた年代分析は、昭和22年に米国の物理学者ウィラード・リビー博士が発見した方法である。人間を含めすべての動植物は、死後に炭素の放射性同位元素が崩壊する。そのため炭素の放射性同位元素を測定すれば、死後の時間を逆算できる。炭素の同位元素の半減期が約5730年であることを応用したものである。

 アイスマンの遺体と残された遺物が、オックスフォード大をはじめとした4研究所で分析された。その結果、アイスマンは紀元前3300年頃、つまり死後約5300年経過していた。

 さらにアイスマンのミトコンドリアDNAがミュンヘン大動物学教室のパーボ教授の研究室で分析された。ミトコンドリアDNAは他のDNAより安定していることから、人種間の遺伝子解析によく用いられていた。

 アイスマンと世界各地の人々のDNAを比較すると、イタリア人、エジプト人、サウジアラビア人、トルコ人では228人中3人が同じだった。デンマーク人、アイスランド人、イギリス人、北部ドイツ人では255人中9人。アルプス地方の人では72人中1人が同じ型であった。しかしアフリカ人、シベリア人、アメリカンインディアンとは違っていた。このことから、アイスマンは北部ヨーロッパ人に近い人種と推測された。

 ミトコンドリアDNAは同じ民族であっても、多数の型が存在する。そのためアイスマンと世界各地の住民とで、ミトコンドリアDNAの変異値が計算された。その結果、アルプス地方の住民がもっとも変異が少なく、アイスマンはアルプス地方のヨーロッパ人の祖先とされた。

 わたしたちの目の前に突然現れたアイスマンは、20世紀最大級の発見であった。世界中を熱狂させ、発見から3週間以内に2冊の本が出版され、本の中には「古代エジプトから運び込まれたミイラである」と断言する本もあった。このエジプトミイラ捏造説を書いたのは、高名な考古学者であったが、この捏造説はDNAの解析によって消え去った。

 アイスマンが5300年の長期間にわたり、氷の中で原形を残していたのは奇跡的なことであった。アイスマンの遺体が良好だったのは、雪に覆われ動物の餌食にならず、氷で覆われ腐敗を免れ、ほどよく乾燥凍結し、岩の割れ目に遺体が入っていたので氷河の流れによる損傷を免れたからであった。アイスマンは世界最古のウェット・ミイラ(脱水処理されていないミイラ)となった。

 5300年前といえば新石器時代である。アイスマンの腸内からヤギ肉と穀物が見つかり、このことは農耕社会を意味していた。また毛髪から銅とヒ素が検出されたことから、銅の精錬業に関与していたとされている。このように新石器時代の人々は、意外に高度な文明を持っていたのである。

 付着していた花粉から、アイスマンは春から初夏に死亡したとされ、さらにレントゲン撮影によって左肩から石製のやじりが発見され、3次元CTスキャンでやじりはアルプス南部に特徴的な形であることが分かった。アイスマンは、背後から矢を射られ、死亡した可能性があった。もちろん死因については、放牧での事故説、遭難による凍死説などもあった。

 新石器時代のミイラがわたしたちの前に姿を現したが、5300年前の生活を誰が想像できるだろうか。5300年前といえば紀元前3300年である。世界最古のメソポタミア文明の統一王朝(アッカド帝国、前2350年頃)が登場する1000年前である。エジプトのクフ王の大ピラミッド(紀元前2550年頃)もなければ、古代都市トロイもまだ成立(紀元前3000年頃)していなかった。日本では縄文時代中期のことであった。アイスマンは5300年を氷の中で悠々と過ごしていたのである。

 アイスマンはオーストリアで発見されたとされていたが、後に発見位置がわずかにイタリア側だったことから、現在、アイスマンは北イタリアの南チロル考古学博物館の冷蔵庫に保管され公開されている。アイスマンのレプリカは、平成17年に開催された愛知県の地球博でも公開されている。

 アイスマンは永い眠りから呼び戻されたが、アイスマンが新石器時代からやって来たのは、地球温暖化を警告するためだったのではないだろうか。