ゴキブリホイホイ

ゴキブリホイホイ 昭和48年(1973年)

 人間の歴史は数十万年であるが、ゴキブリは約4億年前から地球上に存在し、いわゆる「生きた化石」であるが、ゴキブリほど人間に嫌われている昆虫はいない。ゴキブリは病気を媒介せず、人間に危害を加えるわけではない。その意味では害虫とはいえないが、とにかくその見た目のせいか人間から嫌われている。全体に油を塗ったようなツヤがあることから、かつてはアブラムシと呼ばれていた。

 昭和48年、営業不振に苦しんでいたアース製薬が「ゴキブリホイホイ」を発売。それまでのゴキブリ捕獲器はプラスチック製であったが、紙製の使い勝手のよさから、発売と同時にそのネーミングのようにホイホイと売れまくった。1セット5枚で500円だったが、発売から3カ月で売り上げ27億円を記録し、殺到する注文に昼夜3交代で生産しても間に合わないほどであった。テレビ広告に由美かおるを起用し、一般消費者から爆発的な人気を得た。

 ゴキブリホイホイを開発したのは、アース製薬開発部長・木村碩志(44)だった。木村は立命館大学の応用化学部を卒業すると、京都大学薬学部で学位を取り、国立衛生試験所からアース製薬に研究員として入社。アース製薬は殺虫剤では老舗だったが業績が悪化し、昭和44年に会社更生法を申請、翌年大塚グループの傘下に入った。この傾きかけた会社の片隅で、木村はゴキブリの研究の毎日だった。同社はエアーゾールタイプのゴキブリ殺虫剤「アース・ローチ」を製造販売していたが、昭和45年に塩素系殺虫剤が全面禁止となったため、これをきっかけに、各社は一斉に新たなゴキブリ殺虫剤の開発に走った。

 アース製薬は、大塚正富社長を中心に開発プロジェクトチームを編成した。プロジェクトチームは開発のために4つの目標を掲げた。それは、<1>使い捨てにする<2>家庭に置いても楽しい容器とする<3>使用方法は簡単にする<4>殺虫剤は使わず、粘着剤によってゴキブリを捕獲するであった。そして飼育室に30万匹のゴキブリを飼ってその生態を研究した。

 ゴキブリホイホイの開発で最も重要な課題は、ゴキブリを引き寄せる誘導物質であった。ネコにおけるマタタビのようなもので、ゴキブリの誘導物質として性ホルモンが検討されたが、量的問題が解決できなかった。さらに誘導効果が弱いとゴキブリは引き寄せられず、強いと家の外からゴキブリが入ってくる可能性があった。苦労の末に、ゴキブリの好きな臭いを発生する誘導物質が開発された。もちろん誘導物質が何であるかは企業秘密となっている。

 大塚社長はゴキブリの捕獲に、トリモチを用いるアイデアを思いつき、紙箱に粘着剤を塗って、そのまま使い捨てにする方法が生まれた。有毒物質でゴキブリを殺すのではなく、餌を食べられない状態にしてゴキブリの餓死を待つのである。そのためゴキブリホイホイの中をのぞくと、1週間経っても触角を動かしているゴキブリを見ることができる。

 発売されたゴキブリホイホイは次々に改良され、もがけばもがくほどゴキブリの足がめり込む「デコボコ粘着シート」、ゴキブリの足についた油分・水分を取り除く「足ふきマット」を採用して捕獲力が一段とアップした。

 家の形をしたゴキブリホイホイは、入ってみたいというイメージを、ゴキブリではなく使用者に持たせた。なにしろゴキブリホイホイのネーミングが素晴らしかった。商品のネーミングには、豪華さを感じさせるもの、効果をイメージさせるものなどがあるが、ゴキブリホイホイのネーミングは、殺虫を感じさせない親しみがあった。本来ならば「ゴキブリ版アウシュビッツ」であるが、それを感じさせないところにゴキブリホイホイの素晴らしさがあった。

 傾きかけていたアース製薬はゴキブリホイホイでよみがえり、アースレッド(昭和55年)、ねずみホイホイ(57年)、ダニアース(58年)を開発し、不景気といわれる平成の時代でも、アース製薬は成長を続け売り上げを確保している。

 アース製薬は殺虫剤・虫除け剤の分野でトップシェアを占めるが、そのほかに洗口液の「モンダミン」、水洗トイレ用芳香洗浄剤の「セボン」、除菌消臭剤の「車内のニオイとり」、「アースエアコン洗浄スプレー」など、他社に類を見ない創意あふれる商品を生み出している。アース製薬の商品は、アジア、米国、欧州を中心に80以上の国々に輸出され、殺虫剤をはじめ20品目にわたる商品が海外で利用されている。

 これもすべて「ゴキブリホイホイ」があったからである。数万匹のゴキブリと昼夜をともにした木村碩志の功績であるが、地球上の先輩であるゴキブリにとって木村の評価は最悪であろう。