【スズメ退治】昭和33年(1958年)
農家にとって群れを成して穀物を食い荒らすスズメは、カ、ハエ、ネズミと同じ害鳥であった。昭和33年3月5日の早朝、鳥取市周辺の農家で、アルコールにひたした穀物をスズメに食べさせ、酔ったところを捕獲する方法が試された。スズメたちはコロコロと倒れ、倒れたスズメはほうきで集められた。
この捕獲作戦は大成功であった。アルコールにひたした穀物は前日のうちに農家に配給され、朝になってスズメの来そうな所にばらまかれていた。このニュースが伝わると、日本の各地で利用されることになる。
スズメは穀物を食べることから害鳥と受け止められていたが、穀物以外の雑草の実を食べ、害虫を食べることから益鳥としての役割も大きい。中国では国をあげての大規模なスズメ退治が行われ、成鳥はもちろんヒナ、卵、巣までもことごとく潰してしまった。そして翌年、天敵のスズメがいなくなったため害虫が増え、穀物収益が減ってしまったのである。そのため中国は大飢饉に見舞われ、多くの餓死者を出すことになった。スズメは稲を食べる害鳥ではなく、害虫を食べてくれる鳥なので殺してはいけないのである。
かつてスズメは日本国中どこにでもいたが、この20年で80%減少している。農薬などによる昆虫の減少、落ちモミの減少、気密性の高い住宅などのせいであろうが、あのさえずりが聞こえないのは寂しい。日本人にとって身近なスズメ、電柱に止まり、地面のえさをついばんでいたスズメはどこに行ってしまったのだろうか。