死の人体実験


【死の人体実験】昭和29年(1954年)

 昭和29年4月15日、京大病院第一内科で2人の若い医師、三上治助手(29)と山本俊夫無給副手(28)がある人体実験を行った。それは輸血後肝炎の患者から採血した血液1ccを自分たちの腕に注射する実験であった。

 その当時は、血清肝炎の概念は確立しておらず「肝炎が血液から感染するとしても軽い黄疸程度」との軽い気持ちだった。ところが注射から42日目の5月26日、三上助手は悪寒、戦慄、倦怠を覚え、3日後には意識障害から昏睡状態となり、翌30日に死亡した。三上助手は病理解剖によって劇症肝炎と診断された。山本無給副手も肝炎を発症したが、軽い倦怠感だけであった。

 当時は、肝炎ウイルスの正体は全く不明で、A型肝炎、B型肝炎、C型肝炎の区別さえなかった。肝臓の病理所見からも区別はできず、肝炎の感染経路、潜伏期などから、肝炎には2種類あるらしいことが推測されていた。

 三上助手の研究テーマは肝炎ウイルスで、ウイルスを分離するためマウスに患者血清を注射する実験を繰り返していた。血清肝炎は現在ではB型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルスなどが原因と分かっているが、肝炎ウイルスは人間とサル以外の動物には感染しないことが特徴であった。そのためマウスの実験では感染は成功しなかった。三上助手は患者の血液から肝炎がうつるかどうか疑問を持っていた。もし感染するとしたら、どのような症状がどのような経過で出現するかを自分の目で確かめたかった。

 この詳細については、山本無給副手が内科宝函(第四巻第五号)に論文として記録を残している。山本無給副手はその後、近畿大学医学部教授になっている。